「外国人墓地に眠る人」その2は、しんぶん(新聞)人・ブラックです。
明治初年、イギリス人・ブラックは、「ジャパン・ガゼット」という
日刊英字しんぶん(新聞)を 発行しました
次に出した、日本語しんぶん(新聞)・「日新真事誌」は、
政治
ろんせつ(論説)
海外・経済・地方・・
と
充実の紙面が ひょうばん(評判)となり、
スタート・わずか8ヶ月で
明治政府から 声がかかり、
「機関紙」になったほど
とはいえ
政府の「御用新聞」になっても
手先になるようなことは
しない
政府の フトコロじじょう(事情)をあばいたり、
いたがきたいすけ(板垣退助)の 「自由民権運動」をスクープしたりと、
大いそがし
「ジャーナリズムって、こういうものだぜ」
ってことを
ブラックは、世に示します
しかし
都合のわるいことを いろいろバラされた・明治政府は、
ブラックをだまして
しんぶん(新聞)から手を引かせ、
あっという間に
「日新真事誌」を
はいかん(廃刊)に 追い込みます
その後も、
ことごとく・ふっき(復帰)をはばまれた
ブラックは、
一度日本を はなれますが、
病気になってから
日本をなつかしんで 再来日し、
さいごは
日本で 亡くなりました
モレルたちの鉄道が まだ・なかったころ、
ブラックは
ヨコハマから東京まで
馬や馬車で
ひっきりなしに 行き来し、
ライブかん(感)をもって
世の中のうごきを 伝えました
「新聞は、毎日読むものなんだ!」
と、
生きた・ろんせつ(論説)で
伝えたかったのです
日刊にこだわったのも、駅売りをはじめたのも、
社屋の前に、その日のしんぶん(新聞)を はり出すのも、
みんな、
ブラックが 広めた・ワザ
世の中のじしょう(事象)を
はば広く とらえる
その青い目は、
後につづく・日本のしんぶん(新聞)人を 生みだしました
「外国人墓地」の 向かいに、「大佛次郎記念館」が ありますが、
次郎さんの 小説の中に出てくる・ブラックさんは
こんなことを 言ってます
「 ところで、わたくしは、士族が好きです。
ただ、刀を差している士族ではなく、
刀を捨ててしまった士族に限るがね。
私の店に働いている士族、
みな、礼儀正しい。
文章を書かせても 上手。
熱心に働きますね、偉いです。
・・・どうして、この人たちが、頑固で旧弊で、刀がなければいけないのか。
わけわかりませんね。
平等、みな同じで いいでしょう。
日本人が国のためにする仕事は、まだたくさんある。
刀は野蛮の時代の習慣、
邪魔なのです。
あなた方は若い。それを考えなさい。
わたくし、考えます。
新聞は、日本の士族の仕事になりましょう。
刀は要りません。
言葉が刀の代わりします。
わかりますか。」
・・・・・・・
あたらしい世に 生きるなら、あたらしい考え方が ある。。
(つづく)