クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

開創期の居留地~横浜山手散歩・2

2015-05-01 | まち歩き

 クリンたちの「横浜山手・西洋館めぐり」、

そのスタートは、石川町えき(駅)です 

 このあたりにくわしい、チットによると、

これから 坂道をのぼっていく

山手地区には、

 明治~昭和にたてられた、西洋かん(館)が たくさんあるとのこと

 みどりゆたかで、春のお花が咲きほこる

ステキな 高級住宅地

 それが、山手であるらしい

 <現在、無料公開されている7軒のうちのひとつ、「ブラフ18番館」

 しかし、そもそも・なぜ この地に 西洋かん(館)がたつことになったのか?

その きげん(起源)は、

ばく(幕)末に さかのぼります

 

 1853年、黒船が来こう(航)し、開国することになった・日本

ペリーたちを

応せつ(接)するため

えらばれたのが、「横浜村」でした。

さらに そのあと、

「貿易もやろう」ってことになって、

ヨコハマこう(港)は 5年後、

大々的に ひらかれるのです

 それまで、神奈川宿・近くの、「一漁村」にすぎなかった ヨコハマは、

急きょ!開発され、

日本一の ぼうえきこう(貿易港)に

へんぼう(変貌)

外国人も、

ドドドーー っと入ってきて、

きょりゅう(居留)地に

住みはじめました

 ただ、港のすぐそばに もうけられた・「居留地」は、

今の関内あたりですが、

当時は 不えい(衛)生で、

かつ、

外国人ぎらいな日本人がうろつく

あぶない地いき(域)だったため、

 「丘の上に移りたい」 と、西洋マダムたちが、さわぎ出したそうです

 そうして、山手は 開発され、かれらはここを

   ブラフと呼ぶように なりました。 (つづく)











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