goo blog サービス終了のお知らせ 

クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

山内一豊の妻と高知女性~クリン家ドライブ四国旅行・29

2017-03-23 | 旅行記

 司馬さん(かんじ:司馬遼太郎)により 生み出された、

ばく(幕)末のヒーロー・坂本りょうま(龍馬) 

 同じく、司馬さんが書いた・小説「功名が辻」により、

あらためて

広く

にんしき(認識)されたのが、

 やまうち・かつとよ(山内一豊)のつま(妻)です(昔は「やまのうちかずとよ」って言ってました)


 「山内一豊の妻」の夫、である、「山内一豊」とは、

 「 織田家の家中にあって、数にもならぬ貧乏くさい者」

でしたが、

 「 日本史の代表的賢婦人といわれるようになる」

千代と

けっこん(結婚)してから

みるみる出世し

「高知城の主となった、戦国ぶしょう(武将)


しかし

「内助の功」をした・つま(妻)のほうが 有名になってしまい

かつとよの人生は

だいたい、

「妻のついで」に 語られます・・


 (さらに、前土佐国主・長宗我部元親の人気の影にかくれています


さて・・

 夫より有名な、つま(妻)・千代は、何をして

そんなに有名になったのか

というと、

 夫を目立たせるために、へそくりをはたいて、名馬を買わせたり

 関が原で、いえやす(徳川家康)しょうり(勝利)の糸口をつけるのに

一役かったり、

 夫に手柄を立てさせるため あれこれ・おぜんだて(お膳立て)した、

頭がよくて

こうどう(行動)力のある

女性だった。


とのこと


 そんな千代の「内助の功」は、

高知めいか(銘菓)「開運小判」

となって

県民にうけつがれ・・

 さらに、そのきしつ(気質)は、高知女性のきしつ(気質)として

みゃくみゃくと

今に 

うけつがれているらしい。。


 げんざい、「高知の女性」といえば、

気風がよくて

はたらきもの

 「いごっそう」(頑固な高知男性)たちの たづな(手綱)をしめる、

ゆうのう(有能)さをも

もちあわせている

と 

言われます


 「内閣府」のしらべでは、「就業率管理職率起業率」、

どれをとっても、

高知女性は

全国ナンバーワン (テレビでやってました)

 実に たのもしい、しょうさん(賞賛)されるべき・女たち


なのに・・、

 「・・・私、高知に生まれなくてよかった~。

頑固な夫を手なずけながら

バリバリ働く、なんて

できないわ。。

なにしろ私、

専業主婦になるのが 夢だから


うちのチットは 言いました。



・・・・・



ク・・・

クリンも、いかどうぶん(以下同文)ですが 





(その30、「野中婉という女」に、つづく)















 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍馬生誕地~クリン家ドライブ四国旅行・28

2017-03-22 | 旅行記

 よそう(予想)より、はるかに「龍馬おし」でなかった、

桂浜。

 それに、わ(輪)をかけて、高知市内は 

りょうま・りょうま

していません。。

 「坂本龍馬生誕地」も、

 個人びょういん(上町病院)のとなりに ひっそり

あったりして、

 うっかりすると、見おとしかねない、地味さかげん・・。

 そこは大通りに面しているから まだいいのですが、

「坂本龍馬記念館」などは、その一本うらの道で、

 しずかに うんえい(運営)されていたので、クリンたち、

いがいでした。

 「地元の人たちって、私と同じくらい 龍馬に興味ないんじゃ・・?」(←といいながら、くわしいチット)



それにくらべると・・


 高知じょう(城)は、大きな

けんい(権威)が ありそうです





(その29、「高知城と、山内一豊の妻」に、つづく)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海津見神社で良縁祈願♪~クリン家ドライブ四国旅行・27

2017-03-21 | 旅行記

 あの、赤い建物は 何だろう?」

 桂浜で、太平洋の波と たわむれていた クリンたちは、

ふと

 「竜王岬」のとったん(突端)に、お堂のようなものを

見つけました。

 「行ってみよう

 お堂方面から歩いてきた人に、きいてみると、

 この「竜宮橋」をわたった・向こうは、「竜王宮」という、

 海の神さまをまつった、神いき(域)らしい

海上安全とともに、「良縁祈願」もうたっている、

ということです

 

「うおおお~~りょうえん・きがんーー(ダダダ・・

 

 ごりやく(利益)をこの手につかむため、かけあがった

かいだん(階段)の

上には、

 わたつみ(海津見)神社、と記された、小さな

ほこらが

ありました

 

 「ゆづ~」  (ガランガラン・・

 

 桂浜の海辺で見つけた、五色石と思われる、

キレイな石が

はめこまれた・台の上に

立つ、

 えんぎ(縁起)も何も わからない、小さなほこら・・

 しかしながら ここには、さんさんと注ぐ・たいよう(太陽)があり、

ビュウビュウ吹きつける・海風があり

 

 みなぎる・パワー みたいなやつが、かんじられます(けっこう・まんぞく)

 

「走ったら、あつくなっちゃったね~」

 下におりて、何か冷たいものでも買おうか と

話していた

クリンたちの目の前に、、

 とびこんできたのは、「アイスクリン」の文字

「愛すクリンってこと さっそく・きっちょう(吉兆)です

 (わたつみ神社の、予言か何かかも・・

 

高知名物・アイスクリン。

それは、

アイスクリームというより、

ミルクセーキのシャーベット

ってかんじの

「氷菓」で、


ほんのり・ゆず風味・・

 まるで、あいするゆづ(かんじ:羽生結弦選手)の

スケートぐつが

けずる

リンクの氷のような

さわやかな味が、しました


 ってなかんじで、恋する乙女・クリンが そこ知れぬ・幸せ

に 

ひたっていた

その時・・

 目の前にある、おみやげ屋さんの 2かい(階)に、

 「とさいぬ(土佐犬)パーク」という アミューズメントしせつ(施設)を 

発見した

ミニクリンが、

 うれしそうに、こう、告げてきました


「あの土佐犬の鼻、

 クリンちゃんの鼻に そっくりだね


 (←恋する乙女の鼻・接写




          





 


(その28、「坂本竜馬生誕地」につづく)











 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂浜・坂本龍馬撮影スポット~クリン家ドライブ四国旅行・26

2017-03-20 | 旅行記

 高知県きってのけいしょう(景勝)地といえば、

「坂本龍馬」ぞう(像)が立つ、桂浜です 

 まずは、クリンたちも、りょうまに会いに、

ぞう(像)のあるところまで

行きます


      (・・・あれか。) 

    (え・・・

  (・・・ええっ


 「ええええーーーー


(お、おもってたより、 ぜんぜん、デカい

 (かおなんて、下からじゃ、見えません。

 「竜馬像って、桂浜の砂地に立っているのかと思ってた。」 「クリンも・・」

「じっさい来てみないと、わからないね~。」

 古くは、月の名所として、名をはせた かつら(桂)浜

 りょうま・うんぬんを はぶいても、十分おとずれる

かち(価値)のある、

すばらしい、けいかん(景観)です 

 みさき(岬)とみさき(岬)の間に広がる、浜と松林・・

そして、太平洋・・ 

 そこには、五色石 と呼ばれる石が、波に洗われて、

キラキラ・きらめいています 

 赤・白・くろ・みどり・グレー (拾うといいことがあるらしい。)


 浜辺からは、りょうま(龍馬像)も、見えないし

「龍馬記念館」も、丘の上にひっそりあって、目立ちません・・

 思ったよりも、「龍馬・龍馬」してない・桂浜に、

クリンたちは

こころ・洗われました


・・・・・


まっこと、


 海は、ひろいのう~~ 


 しかし 「龍馬に会いたくて、桂浜に来たのに、

これじゃ、満足できない

おっしゃる方には、

いいところがあるので、おしえます 

 「桂浜駐車場」うらにある、「龍馬の店」に

行ってみてください

 店とう(頭)に、ちょうどいいサイズの、りょうまが

います


こういうかんじで、シャシンをとると・・

 とっても、まんぞくできると思います




(その27、「海津見神社で良縁祈願」につづく)














コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山から高知へ下道で車移動~クリン家ドライブ四国旅行・25

2017-03-19 | 旅行記

 (さようなら、松山。。いい思い出を ありがとうね

 四国3県をめぐった クリンたちは、さいごのひとつ、

高知県へと 車を走らせました 

「高知」といえば、「四万十川」「坂本龍馬」「カツオと太平洋」

ですが、

 東京から車で走りつづけてきた おにいちゃんのかぜが

ぶり返してきたので、

 四万十川と、あしずり(足摺)岬をふくむ、左下のエリアは、

今回 

カットすることに

しました (だんちょうの思い

 「冬の川べりと岬は、寒すぎるよ・・。また今度、夏に来よう。」

 そう話し合って、高知市内を めざしたのでした

 さて、松山~高知市内へは、高速と下道の時間さ(差)

そんなにないというので、

 せつやく(節約)ファミリー・クリン家は、まよわず

下道をえらびます

 (途中、けっこういい道の駅があったりしますし

 けんさく(検索)すると、「国道33号で行け」と出てきますが、

これが なかなかの山道らしく、

2月早朝だと

ろめん(路面)が凍っているおそれが

あるので、

 そんなに山道を 通らなくていい、地元民おすすめの

コースを行くことにしました

それは、

 まず、国道11号で、いったん高松方面に向かい

西条から194号を南下

伊野で、33号にのる

というものです。

 この道は、ず~っと、川沿いに車をすべらせるから

わかりやすく、

 キラキラした・けいこく(渓谷)を横目に いどう(移動)する

ドライブルートは、

たいへん、たのしいものでした 

 きれいな川だなあ~。」

 菜の花も、ところどころに咲いていて、

クリンたち、ほのぼのしたものです 


 うちのゲンサイのじょうほう(情報)によると、「仁淀川の水質は日本一

で、

 夏は、カヌーやラフティングなど、川くだりしたい人が、

全国から あつまるらしい



みやおとみこ(宮尾登美子)作品の 

ファンである

うちのチットは、

 とみこ先生の自伝に出てくる によどがわ(仁淀川)の流れを

はじめて 目の前にして、

いたく

かんどう(感動)していました





(その26、「桂浜・坂本龍馬像撮影スポット」に、つづく)







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

労研饅頭と醤油餅~クリン家ドライブ四国旅行・24

2017-03-18 | 旅行記

 (明日は、高知へ・・) 

 クリン一行が 松山を去る日、松山市中心部の「大街道」という

商店がい(街)で、

 インパクトある、オレンジ色のかん(看)板を 

目にしました


『労研饅頭』だって~」「なんだろうね?」


 気になりながらも、定休日でシャッターが おりていたため、

なんとなく

そのまま 通りすぎてしまいました


しかし

 旅行からかえってきてから しらべたら、それは、昭和初めからある

れきし(歴史)ある

「蒸しパン」で、

 夜学生たちの、安価なエネルギーげん(源)、および「学資確保」目的で

つくられた、

社会改良せいしん(精神)あふれる

マントウである

わかりました


 (←今治名物「焼豚玉子飯」)

 (玉子の裏は、肉ぎっしり)


労研って、『労働科学研究所』の略ね。

 大原孫三郎の肝いりだって

 ああ~、買いたかった~~労研饅頭。。」

 「大原美術館」をあいする、チットが くやしがりました。


ろうけんまんとうは

冷凍宅配してもらえるけれど、

食べるときに

むしなおさないといけない・・

クリンたち、

 オリジナルを食べたことがないから、「蒸し加減」が

わかりません。。


 昔ながらのせい(製)法に もとづいた、

日もちのしない

現地の名物、「労研饅頭」・・ 

 (・・これは、もう一度、松山に買いに行かなければ

ならないのだろうか


クリンは、松山出身のお友だちに、

きいてみました


すると・・・


労研饅頭は蒸しパン風のそぼくでなつかしい味がするんだよ。

松山のお菓子もいろいろあるけど、

松山のひとたちのソウルフードなら

醤油餅かな~。」


という、

へんか(変化)球が

かえってきたのです


・・・・・


   (しょうゆもち・・) 


 それは昔、松山の町の横丁ごとにあった、小さなお店でつくられていた

地元に根づく 庶民のおかし(菓子)・・。 

 たづなコンニャクみたいな形をした、じょうちょ(情緒)いっぱいの

郷土がし(菓子)で

あるらしい・・。


  (・・・し、知らなかった。。)



・・・

 観光客の私たちって、結局メジャーどころしか

 見えてないんだよね~

 ローカル情報も、おさえるべきだね。

 労研饅頭といい、醤油餅といい・・」(チット)


あれっ

 これ、坊ちゃん団子の大きいのかと思ったら、「しょうゆ餅」って書いてない

『梅ヶしょうゆ餅』だって~。

『梅ヶ枝餅』と間違えてた

なになに・・、

『愛媛の特産しょうゆ餅を、坊ちゃん団子風にアレンジしました』

だって。


まぎらわしーー


クリン

一番下のその茶色は しょうゆ餅では」(チット)

 「えっ

「ぜんぜん、いしきしないで 食べちゃった


・・・・・


これはやはり、、


 2つのおかしを買いに、松山を さいほう(再訪)しなければ

ならないのでは

 




(その25「松山から高知へ車移動」につづく)
















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銘菓「坂の上の雲」と、晩年の秋山真之~クリン家ドライブ四国旅行・23

2017-03-17 | 旅行記

 松山が生んだ、俳人・正岡しき(子規)

彼と、中学時代交流があった、秋山さねゆき(真之)は、

 その兄・秋山よしふる(好古)とならび、軍人として、郷土がほこる、

えいゆう(英雄)

だそうです

 れきし(歴史)小説家の、司馬りょうたろう(遼太郎)が、

 この兄弟と、しき(子規)を通じて、

明治日本の

いちそくめん(一側面)を

描いたという

『坂の上の雲』

 それは、NHKドラマで 多くのファンを かくとく(獲得)し

松山の町に、

あらたな・歴史ロマンと、 ついでに、「銘菓」もつくり出しました


その「銘菓」とは、

 その名も、ズバリ 「坂の上の雲」で

 

 さねゆき(真之)や、しき(子規)が かけあがった

という、

しろやま(城山)へとつづく坂。 

 その上にうかぶ・くも(雲)は、明治日本という

青年国家が、

つかもうとして

手をのばした

「近代的理想像」を さしている・・。


 司馬さんのタイトルのいみ(意味)は、そんなところだそうです。

 そのくも(雲)を かたどったという、いよかん入りの

洋風まんじゅうは、

中身も白あん(餡)と、

 白さにこだわった、にゅうか(乳菓)でした


 (←松山市中心部の、秋山兄弟生誕地にて)

秋山真之って、日露戦争での活躍から一転、晩年は宗教に

のめりこんだことで、

評価がガタ落ち

して

しばらく、忘れられた人になって

いたんだけどね・・

『そうなったのは、戦争の惨禍を見すぎたせいなんじゃないか?』

って

真之の息子が書いたエッセー、読んだわ。」


 と、れきし(歴史)にくわしい・チットが言いました。


・・・・・


けっきょく、

 明治の青年は、追い求めた「坂の上の雲」を つかむことができなかった・・

いうことらしい。。


 しかし そのくも(雲)は今、おかし(菓子)となって、

平成のクリンたちの手に、

しっかり

つかまれています




(その24、「労研饅頭としょうゆ餅」につづく)






 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すし丸本店で松山鮓~クリン家ドライブ四国旅行・22

2017-03-16 | 旅行記

 気こう・温だん(暖)で、明治以降、さまざまな文化人が

おとずれた、松山


 夏目そうせき(漱石)も、しん(親)友・正岡しき(子規)

たずねて、

 この松山を おとずれています。 

 そのとき、しき(正岡子規)のお母さんが、ふるまった

という

おもてなし料理があるときき、 

 クリンたち、ぜひ それを味わいたい。と思い、

松山で 有名な、

日本料理店を 

たずねました


   「すし丸本店」です 

 松山地方で、お祝いやお客さまがあった時、しゅふ(主婦)が

ようい(用意)した、

という

 「瀬戸内海の海の幸・ちらし寿司」

それが、

松山ずし(鮓)で、

 やさい(野菜)や、しいたけに(煮)や

きざみアナゴ

まぜこまれた

すしめし(飯)に、

エビや、タイ(鯛)や、青魚や

きんし(錦糸)卵が

のっていて、にぎやかです

このお料理が出てきて、

そうせき(漱石)はとてもよろこんだ、

かいてありましたが、

ほんとうに、

 すごい・おもてなし料理

思います


めちゃ美味しいね!」(クリンたち)

 「こんなの出てきたら、感激するなあ。」(おにいちゃん)

 すし丸では、その他、名物のじゃこ天や、

なすのみそがけ、

手作りこんにゃくなどが ついてきて、

1995円


・・・・しんじられない、安さです。。


 板前さんや、仲居さんたちの仕事ぶりも、てっていしていて、

松山のかち(価値)を 

一手ににぎっている

かのような

すばらしいお店、「すし丸」でした


また行きたいです。



(その23、「松山銘菓『坂の上の雲』につづく)







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛県の都市伝説~クリン家ドライブ四国旅行・21

2017-03-12 | 旅行記

 松山じょう(城)本丸広場にある、

おみやげやさんの 店とう(頭)で、

 クリンたちは、おもしろいものを 見つけました

 「『蛇口をひねるとみかんジュースがでるけん』だって

「えっ

 え・えひめ県の都市伝説として、そんな話は きいたことがあるけれど・・

「うお~~~~ ほんとに出た~~~~


 「やけにうまいね、このジュース」「ポンジュースみたいだね




(その22、「すし丸本店で松山鮓」につづく)





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山城と正岡子規の俳句~クリン家ドライブ四国旅行・20

2017-03-12 | 旅行記

 一六タルトを こうあん(考案)した・とのさま(松平定行)

くらしたのが、

 松山のシンボル・松山じょう(城)

道後温泉を 奥ざしき(座敷)とし、

 じょう(城)下にひらけた 松山の町は、あたたかく

文学的な いよ(伊予)の中心として、

 四国一はなやいだ・フンイキです

 これから、クリンたちが向かう 松山じょう(城)は、

しろ(城)としてのひょうか(評価)が

たいへん高く

 ある・旅行サイトでは、「行ってよかった城・第4位」

ランクインしているという・・

 ロープウェーで 上まで行くと、けしき(景色)がすばらしい

きいたので、

 クリンたち、のぼってみることに しました

 

<到着>

 (わあ・・

 

  (高い・・・) 

 

 石垣の上にそびえる、松山じょう(城)は、郷土がほこる・天才

 まさおか・しき(正岡子規)の俳句、そのまんまのすがたです

 

「 松山や  秋より高き  天守閣 」 

 (・・まさに

 

 おしろのだい(第)一の門をくぐると、そこには本丸にあたる

広場があり、

 次なる天守かく(閣)への道のりが ひらけます

 (見えてきた

 

いやはや、、すごいね、この石垣。

 それに、ずいぶんキレイなお城だねー」と、

 おしろ(城)には関心のうすい、チットが しょうさん(賞賛)しました

 

・・・より、高いところ・高いところへと、ゆうどう(誘導)された

クリンたちは、

 さらに、おしろの中の急かいだん(階段)をのぼり

天守のさいこう(最高)地点へと、歩をすすめました 

 すると、そこには・・・


 「・・おお~~~

   (広い・・・) 


 広く、広く、松山タウンが、いちぼうできました

 (なんて、いいながめだろう

きたい(期待)以上、 ・・・っていうか、

 おとのさま(殿様)になった、気分です


・・・

 このロケーションは、絶好すぎるね

 これじゃあ、城下の者たちは、みんな

自然に敬服するよね~。

 これが、廃城の危機に陥ったなんて、信じられない

廃藩置県って、

すごいことだったんだわ・・」(チット)


 ひたすら、かんしん(感心)して、おしろをおりた

クリンと家ぞくでした。


松山じょう(城)には、

 さっきの句より、もっと・有名な、しき(正岡子規)の俳句が

あります。

 クリンたち、実はその句のこと、ここに来るまで、


(しきにしては、つまらない句だな。)

って

思っていました。

 でも、ここに立つと、しき(正岡子規)がどうして

この句をよんだか?

わかります。



「  春や昔  十五万石の  城下哉(かな) 」


 


ここに立つと、

 この句が、がぜん、いみ(意味)をもちはじめるのです




(その21、「愛媛県の都市伝説」に、つづく)







 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一六本舗の坊っちゃん団子~クリン家ドライブ四国旅行・19

2017-03-11 | 旅行記

 夏目そうせき(漱石)の小説において、「坊っちゃん」が、

 温泉がえりに、2皿食べたとされる、ゆざらし(湯晒)団子

それが、めいか(銘菓)として再現されたのが、

 「坊っちゃん団子」です

 小ぶりな ぎゅうひもち(求肥餅)を、抹茶あん・黄身あん・小豆あんでつつんで、

くしにさした

「坊っちゃん団子」は、

 道後ハイカラ通りの「つぼや菓子舗」のが、有名ですが

 松山に来てみて、気がついたのは、けっこう・いろんなお店が

「坊っちゃん団子」を

売り出している


ということでした。

 たとえば、えひめ(愛媛)ナンバーワンのめいか(銘菓)・

「一六タルト」を出す、

一六ほんぽ(本舗)も、

 タルトとともに、「坊っちゃん団子」を かんばん(看板)商品

していて、

 「マドンナ団子」との、セット買いを すいしょう(推奨)

しています


 (上:坊っちゃん団子、下:マドンナ団子)

 小説『坊っちゃん』の主人公「坊っちゃん」は、反近代の

江戸っ子だから、

かぶき(歌舞伎)みたいな、

しぶめのカラーリング。

 それに対し 小説にとう(登)場する「マドンナ」は、

「新時代に生きる洋装美人

だから、

お団子のあんこも、

イチゴ、ココナッツ、コーヒー

という

味付け・・。

(※たぶん、そういうことかと)



ほんとうに、

かんがえぬかれた・おかし(菓子)です 





(その20、「松山城と子規の句」に、つづく)






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆利彦の「坊っちゃん」解説~クリン家ドライブ四国旅行・18

2017-03-10 | 旅行記

 「坊っちゃん」も 通ったという、道後温泉

 ここに来る前、久しぶりに小説『坊っちゃん』をよんでいた

うちのチットが、

「解説に、すごくいい文章が載ってた。」

と言うので、

 ちょっと、紹介しておきたい、と 思います

それは、

 伊豆利彦という、そうせき(漱石)研究家が、

昔、『ジュニア版・日本の文学』に

あとがきしたもので、

 『坊っちゃん』だけでなく、他の作品の話もまじえながら、

 そうせき(夏目漱石)の生い立ち~作家になるまでの へんせん(変遷)、

彼の人生かん(観)の形成を、

 当時の社会はいけい(背景)や、時代の空気もふくめて

子どもにもわかりやすいように、

しんせつ(親切)に

記しているものだそうです


ちょっと、

分りょう(量)多めに、ばっすい(抜粋)してみますので、

 道後温泉ハイカラ通りや、坊っちゃん時計などの シャシン(写真)とともに

よろしければ

ごらんください



「夏目漱石は、本名を金之助といいます。

1867年に、江戸の牛込馬場下に、ふるい家柄の名主の子として生まれました。

五男三女の末っ子でした。

 ちょうど江戸幕府が倒れ、明治の新時代がはじまろうとする時代でした。

その翌年に年号は明治とかわり、

江戸は東京と呼ばれるようになったのです。

 新しい時代の波は次々にふるいものをうちこわして、驚くほどの速さで 

世の中を変えていきました。

ふるい家柄の夏目の家も、

こうした激しい時代の波の中で 没落していったのでした。


 漱石の生まれ育った時代は、一面では西洋の文化や社会制度をとりいれた、

進歩と発展の時代だったのですが、

一面では不安定な、

落ち着きのない時代でもありました。

 金之助が小学校に入学したのは明治七年ですが、

小学校というものが出来たのが 明治五年ですから、

まだ制度も設備も ととのっていませんでした。

卒業するまでに何度も制度が変わり、

そのたびに学校のよび方もかわる 

という有様でした。

金之助は大学に進むまでに、

いくつか学校を変わり、いろいろ迷っていますが、

 そこには、たえず変化する時代に生きる少年の、心の動揺を見ることができます。

おさない金之助は、

自分がどんな時代に生きているかを

自覚してはいなかったけれど、

維新の動乱の最中に生まれ、

激動の時代を、そのうずの中心である東京で育ったということは、

漱石の文学に 大きな意味をもっています。


(中略)

・・・・

 生まれるとすぐから、他人の手から手へ渡されて、

本当に安心してすがりつく

母の胸を持たなかった

孤独と不安は、

漱石の文学に、おおうことの出来ないかげを おとしています。

 漱石の文学には、虚偽を憎み、真実の愛を求める、愛と真実にうえた心が

強く感じられます。

『坊っちゃん』の清(きよ)は、

そんな心が生んだ人物でした。


 清は、身よりもなく、金も地位もない女です。もちろん新時代の教育を受けたわけでもなく、

松山は箱根の向こうか、こちらか、と

きくような女です。

坊っちゃんに対する愛も、おろかで盲目的な愛だったと

いえばいえるでしょう。

 けれども清は なんの打算もなく、ひたすら坊っちゃんを愛したのです。

この愛を漱石は、

なににもまして美しいものに 描きました。

清が坊っちゃんに、そんないちずな愛を注いだのは、

坊っちゃんが親からも愛されぬ 

不幸な子だったからでしょう。


はやく母親に死なれ、親から可愛がられた記憶がないという

『坊っちゃん』の主人公に、

私たちは 漱石自身の不幸な生いたちが

刻み込まれているのを 感じます。

 『坊っちゃん』は痛快なユーモア小説だけれど、

その笑いのかげに、

やはり孤独な漱石の、

真実の愛を求めてやまぬ寂しい心が

しみじみ感じられるのです。


 そういえば、漱石の最初の作品である『吾輩は猫である』の主人公も、

生まれるとすぐ捨てられて、

親の愛も知らず、厄介者あつかいされる

不幸な猫でした。


 人間たちから無視され、名前さえもつけられないこの猫は、

わずかに 苦沙弥(くしゃみ)先生のお情けで、

台所の片すみに辛うじて命をつなぐ、

あわれな猫でした。


しかしこの猫は、

万物の霊長などといって いばっている人間たちの、

いつわりやおろかさを 

笑っているのです。

 元来この猫の主人である苦沙弥先生が、世間から無視され、

生徒からも馬鹿にされる、

中学の 無名の英語教師なのでした。

当時の社会で、力をもち、はばをきかせていたのは、

金持ちであり、華族であり、

軍人や政治家たちでした。


 かれらは金力や権力をもって、善良な人々を圧迫し、

自分のおもうままに 支配しようとします。

世間の人たちも、この金力や権力に頭を下げ、

その手先になって、

金力や権力に従わないものを 圧迫しました。

 

 漱石はこれらの人々に対して、お金も地位もなく、世の中から馬鹿にされている、

無名の猫と主人を、その仲間たちを、

社会的には無力であっても、

人間(?)としては、

はるかに高いものとして 描きました。


そして、

お金さえあればなんでも出来ると考えている実業家と、

その家族の、

人間としての下劣さ、卑しさを、

思う存分に描きました。


 漱石は、四民平等の新しい社会をつくろうとする、はげしい時代の精神に

はぐくまれて 成長しました。

漱石には、

平民の子としての 自覚と誇りがありました。

しかし

いつのまにか明治の日本は、

金持ちや華族や軍人たちが、

金力や権力で善良な人たちを苦しめる社会に なってしまったのです。


 日清・日露の戦争は、数え切れないほど多数の国民を戦場で殺しましたが、

その結果

肥えふとったのは、

成り上がりの実業家たちでした。

政府と結びついたかれらは、

国民を思うままに支配するようになりました。

 人間が人間として尊重されず、人間の真実の愛など、無視され、

ふみにじられました。

お金がすべてという世の中になってしまったのです。

漱石はこのような社会に対して、

はげしい怒りをおぼえました。

 

 漱石ははっきりと、こんな社会とたたかうために、自分は文学をやるのだ

といっています。

お金は大切なものだ。漱石はよくそれを知っていました。

けれどもお金がすべてではない。

お金以上に大切なものがある。

漱石はそのことを、世の人に知らせたいとおもいました。


お金よりも大切なもの、

それは人間でした。

真実の愛でした。

人間らしいやさしい心であり、

親切な心でした。

 そしてまた 人間ひとりひとりの自由と独立でした。


人間は各人がそれぞれに自分自身を大切にし、

自分の力で 生きていかなければならない。

しかし自分を大切にするものは、

他人をも大切にしなければならない。

自分のために

他人を犠牲にしてはならない。

 漱石は対等平等な人間どうしでつくる自由な社会を夢見ました。

この考えから、自分たちだけの利益のために、

民衆を苦しめる金力と権力を

はげしく憎み、

強く抗議したのです。

『坊っちゃん』や『二百十日』には、

漱石のこんな考えが 

はっきりと表現されています。

・・・・・




このあと、伊豆さんのお話は

 『虞美人草』や、『三四郎』や、『こころ』『明暗』にまで

つづいていき、

そうせき文学の全ぼう(貌)を

伝えています・・。


 そうせきろん(漱石論)をてんかい(展開)する、

さまざまにすぐれた人がいるのは

知っているけど、


この先生の『あとがき』には

 心につきささる、

 漱石の文章のような、力を感じた。」


うちのチットは まいっていました




(その19、「一六本舗の坊っちゃん団子」に、つづく)






























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道後温泉三階席~クリン家ドライブ四国旅行・17

2017-03-09 | 旅行記

 日本一有名な、おふろやさん・道後温泉本かん(館)

 ここは、なかなか・入り方がむずかしく、まず、「どこのコースを選ぶか?」

によって

 「お風呂体験」が、まったく・ことなってしまう

初どう(動)ちゅうい(注意)な、ところです。

 クリンたちは、せっかくなので、4つあるコースのうちの

さい(最)上位

「霊の湯三階個室コース」

えらびました

 このコースは、2つあるおふろの、両方(神の湯&霊の湯)に入れて

タオル・ゆかた・シャンプーもついてきて、

 なおかつ、わずか・8部屋しかない「個室」で

ほかの人たち

より長く すごせて、

「坊ちゃん団子」と、お茶のサービスをも うけられる

という、

一人・1550円の 人気コースです


 ビギナーには、「神の湯」だけ入れて、お茶とせんべいがつく、

840円の「2階席コース」

すいしょう(推奨)されてる

ようですが、

 クリンたちは、「坊ちゃんの間」や「天皇のお風呂」とかも

ガイド付きで見学できる

「3階席」だったので、

 めっちゃ・充実かん(感)

ありました

「一生に一度は・・」というつもりで来たなら、

 ぜったい・3かい(階)こしつ(個室)を とったほうがいいです


 「リッパな たてものだね~。」


 「漱石もだいぶ気に入っていたみたいだね


『他の所は何を見ても東京の足元にも及ばないが、

 温泉だけは立派なものだ。』

って、

『坊ちゃん』に賞賛させてるわ。」

 と、チットが言いました。

「・・・なんか、あんまり・しょうさん(賞賛)になってない言い方だね。。」


・・まあ、漱石って、

 松山も熊本もロンドンも

 あまり良い思い出、ないみたいだから。。

 でも、小説の中で、『坊ちゃん』には、毎日この温泉に通わせているよ

しかも、いつでも坊ちゃんは「上等」の三階席

 しかも、ここのお風呂で、人がいないのを見計らって 

泳ぎまわって、よろこんでる

 今は湯船に一人もいない、ってことは ありえないけど・・


神の湯じゃなくて、霊の湯のほうなら、

人数限定だから

 ひとりもいないってことも、十分ありうる

貸しきり状態かもね

はやく、行こう」(チット)


夏目そうせき(漱石)の小説、

『坊ちゃん』の世界に

ひたりたいなら・・

 「3階個室コース」が、ぜったい・おすすめです




(その18、「伊豆利彦の『坊ちゃん』解説」に、つづく)

 

 


 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊佐庭如矢と道後温泉~クリン家ドライブ四国旅行・16

2017-03-08 | 旅行記

 「高松→琴平→道後」と、西進する・クリン一行

 それと同じように、「高松中学校長→金刀比羅宮禰宜→道後町長

れき(歴)任した、

 いさにわゆきや(かんじ:伊佐庭如矢)っていう人について、

 ちょっと、ふれておきたい。と、思います

 

 クリンたちがその人を知ったのは、わりとさいきんで、

 Eテレの「知恵泉」っていう番組で、「道後温泉本館」をたてた人

紹介されていたのを

見たのが きっかけです

 

 彼は、松山はん(藩)に仕える、有のう(能)な役人

で、

ばく(幕)末~明治期を、

松山のために、ほん(奔)走してきましたが

 晩年、道後町長になって はじめたのが、

「温泉街をつくろう」プロジェクトでした  

 もともと、ここ・道後には、いい温泉が 出たのですが、

 近所の人や、牛馬が、つかれをいやす

ド田舎の

さびれた「湯治場」に

すぎませんでした・・


 それを、「温泉観光地」として、よみがえらせよう

と 考えたのが、

町長の、いさにわ・ゆきやでした 

 ゆきやは、「町の財政難克服」や、

 「町民の雇用創出のため」と、地元をせっとく(説得)に

かかりますが、

住民からは

なかなか・なっとく(納得)して

もらえず・・


 「1500人しかいない町で、そんな莫大な予算組んで、

豪華温泉施設なんかつくって、

どうすんだなもし」と、 大反対されます


 しかし ゆきやが、あきらめず、ほうぼうに頭を下げ

しきん(資金)ぐりをし、

「道後の未来のため」と、みずからは給料返上

はたらくのを見て、

 しだいに、妨害者はへり、みんな・協力しはじめたそうです。


そして

 「日本初の公衆浴場」である、道後温泉本かん(館)

オープンしたのが、

明治27年

  すぐさま、大当たりして

町はにぎわい、町民はうるおい 

 西日本きっての、「観光温泉街」としての 今日を、

切り開いたそうです


 「道後・百年の計」をあんじ、行政のらつわん(辣腕)

ふるいながらも、

 「清廉潔白な生き方こそ、人生の基本で、成功の秘訣だ

言いのこしたという、

いさにわ・ゆきや。。


クリンたち、

 ぜひ この人がつくった・おふろに入りたい

って

思ったのでした




(その17、「道後温泉3階席」に、つづく)











 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛へ~クリン家ドライブ四国旅行・15

2017-03-08 | 旅行記

クリン家、ドライブ旅行

次は、

えひめ(愛媛県)に

ぶたいをうつします

 まずは、道後おんせん(温泉)へ

 

 

 

(その16、「伊佐庭如矢と道後温泉」に、つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする