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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

火消しの蟹(蓮如七不思議)~クリン家ドライブ能登半島旅行・6

2017-07-29 | 旅行記

 えちぜん・よしざき(越前吉崎)にある、「蓮如記念館」

 そこで、クリンたちは、一向宗と れんにょ(蓮如)のことを

たくさん

べんきょう(勉強)しました

 

 いや~、お兄ちゃん、蓮如の名前も 知らなかったけど、

面白かったよ

 ここの人たちが、蓮如のために 3ヶ月くらいで

お寺を建てたって聞いて、

カリスマ性あったんだな~

感じたね」(おにいちゃん)

 

 「だね~。。・・・でも、クリン・・ 

 れんにょさんが、5人の奥さんとのあいだに、27人の子どもつくった、

っていうのが、

なんか

ヤダ・・

 さいごに、子どもつくったの、84さいの時なんでしょう・・?

おじいちゃんなのに、ギラギラしてて ヤダ。。


 「・・そうかあ? お兄ちゃんはかえって尊敬したぞ

その事実に、蓮如のパワーと

人間力のすべてが

集約されている 気がするな~。


 それに昔は、子どもは命を落としやすかったからね

今とは、

『子宝』の感覚が 違うんだよ。」




「おにいちゃんの言うとおりだよ 「ギャッ


 「蓮如さんは、いやらしくなんかない 子どもたちを立派に育てて、

みんな

後継者にしたんだ

奥さんだって、

同時に 何人もいたわけじゃないよ

奥さんが死んじゃった後で

次の奥さん

もらってるだけだから


 「わかった わかった わかったから、どいてよお~~



「蓮如さんのこと、侮辱しないでね。」「は~っ、は~っ・・


 (・・・・・カニミン


(カニミンったら、

どうして、いきなり・あんなに おこるのよ



・・・・


わからなくて

かんがえているうち、

クリンは、

ふと

きねんかん(記念館)で

きいた、

 「蓮如七不思議」のお話のひとつを、思い出しました。


それは、

「火消しの蟹」っていう お話です 



 

「吉崎御坊が、火事になったとき、

 日ごろ、蓮如上人を慕っていたカニたちが 集まってきて、

 泡を吹いて、その泡で火を消し止めました。

 今でも生息する吉崎のカニは、その時の火で、ハサミが赤く染まっています。」






  (・・・・カニミン。。) 


 (まさか、あの子、いつの間にか 一向宗の信者だとか






「その7、「森八の『千歳』に込められた歴史」につづく)















 

 

 

 

 

 

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吉崎御坊跡と蓮如~クリン家ドライブ能登半島旅行・5

2017-07-28 | 旅行記

 食堂にさえ・かん(冠)された、「百姓」という文字・・。

さいきん見かけない

この文字が、

 ほくりく(北陸)にくると、がぜん・いみ(意味)をもってくる


今回の旅で、

 クリンは、そのことを 知りました。


 それは、このあたりが、日本有数の米どころだから、

というばかりでは

ありません。

 このあたりが、戦国時代の1世紀、「百姓たちの国」

だったことに

かんけい(関係)しています


(今日は、長文です)


 クリンたちが、今いる「福井県北部」は、昔、「越前国」と

よばれていました。

 ある日、都から、一人のえらい・お坊さんが 布教にやってきます

れんにょ(かんじ:蓮如)っていう・お坊さんです


 れんにょ(蓮如)は、当時「一向宗」と呼ばれた「浄土真宗」の

リーダーで、

武士やきぞく(貴族)でなく、

 庶民を すくうべく、この地に やってきました


れんにょ(蓮如)は、

村のお百姓さんたちに 

むかって

言いました。

 「 心から『南無阿弥陀仏』と唱えれば、必ず極楽に行けるよ。」

 


 戦や、ねんぐ(年貢)、圧政、ききん(飢饉)などで 苦しみぬいてきた

人々にとって、

これは、まさに 

「救いの言葉」・・

 しかも、れんにょ(蓮如)は、見た目かっこよく、あたまがよく

気さくで 

しんせつ(親切)な

とおとい・高そう(僧)


 百姓たちは、われさきに その手に すがりました


 (←本当は このような方です。)


れんにょ(蓮如)の 布教方法は、

 おふみ(御文)という、百姓にもわかる やさしい言葉で

書いた、きょうてん(教典)を

くばり、

 みんなをあつめて、「講」という、仏教サークルをつくらせる、


というもの。


かが(加賀)、のと(能登)、えっちゅう(越中)

と、

 れんにょ(蓮如)の行く先々で、おふみ(御文)が配られ、

こう(講)ができ、

信者のわ(輪)が

広がりました


 おふみ(御文)には、かかれているのは、たとえば

こんなことです。


「朝に紅顔あって 世路に誇れども、暮に白骨となって郊原に朽ちぬ」


<意味>

 「朝、元気でも、夕方には 死んでるかもしれないから、

 しっかり生きな」   みたいなやつです。


 そぼく(素朴)にして、じゅんすい(純粋)な 教えは、

きびしくて

汚い世界で 

生きるしかなかった

百姓の心を、

がっちり・とらえました


 一大・ブームとなった「一向宗」は、やがて

大きく 

まとまりはじめ、

れんにょ(蓮如)の予想以上の

巨大せい(勢)力となって、

しだいに、けん(権)力者に ていこう(抵抗)

 信者たちは、地元の大名を はいじょ(排除)するための

いっき(一揆)を

おこしはじめます


 とくに、「加賀国」(石川県)では、信者が大名をたおし 国をのっとる

「加賀の一向一揆」

おこりましたが、

そのあとが、すごくて、


百姓たちは、


「ここは、一向宗の国だ ここには、大名なんかいらねえ

 俺たちゃ、平和に暮らすぜ

宣言し、

 100年間の間、自分たちだけの国を、守りぬいたのです 

 (こんなような状態→) (赤が加賀国)

 

 戦国大名たちも、これには、おどろき・手をやき、

おそれましたが、

 さいごは、のぶなが(織田信長)が出てきて、一向宗は つぶされて

しまったのでした。。


それでも

信長は、どんな戦国武将よりも 一向宗の制圧に 骨を折ったはず。」

れきし(歴史)にくわしい、

うちのチットは 

言ってます。

 「あの、うるわしの文化都市・金沢の前身が、百姓の

宗教王国だなんて

めちゃ・すごすぎる

と、

チットは、かんしん(感心)しきり・・ 


 ところで、「北陸宗教王国」のきてん(起点)となった

ここ

よしざき(吉崎)には、

 げんざい(現在)、「蓮如を顕彰する施設」が いくつか・たっています

「蓮如像」がある・おやま(御山、「吉崎御坊跡」)には、

 おどう(堂)こそ・もう、ありませんが、

「蓮如上人・お腰掛の石」っていうのがあったり、

 その山自体が、吉崎の地形が見わたせる 「展望台」に

なってますし、

 ふもとには、「蓮如上人記念館」があり、

だれでも入れて、カフェもあり・・

 その向かいには、お庭あり

 はくぶつかん(蓮如館)あり

 あんない(案内)人のおじさんの、かいせつ(解説)あり

 見るとこ・いっぱい

 てんじ(展示)室とかもていねいに見る人は、

全部あわせて

2~3時間

かくご(覚悟)したほうが いいと思います


クリンたちの

旅行初日は、

 この、よしざきごぼう(吉崎御坊)めぐりで、

くれていったくらいですから。






(その6、「火消しの蟹の話」につづく)











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百姓屋で越前そば(とソースカツ丼)~クリン家ドライブ能登半島旅行・4

2017-07-27 | 旅行記

クリンたちが

ソースカツ丼を食べた・お店は、

 ふくい(福井)県にてんかい(展開)する、「百姓屋」

っていう、

チェーン店です。

 地元の小麦を使った・うどんが売りで、そばも丼ものも とりそろえる、

「食券システム」

カジュアルな お店


 ふくい(福井)に入ってから、「越前そば」の のぼりを 

あちこちで

見ていたので、

 クリンたち、おおいに しげき(刺激)され、「有名人も来る」という

おそばやさんに

行ってみました

 ところが、高くて、りょう(量)が少ないのに

びっくり

 「このままじゃ、帰れないよ」と 思いつめて、

本当のところを 

たしかめるべく、

地元の人しか 来なさそうな

このお店に 来たのでした。


そしたら・・

 えちぜんそば、330円(大根おろし)安い!ボリュームあり!

 ソースカツ丼、360円(ウスターソース)安い!うまい!

 2つを組み合わせると、さいこう(最高)


ってことが

わかり、

クリンたち、ようやく

まんぞく(満足)しました


(ちょっと甘くて、サクッとあがった・ソースカツ丼・・

あれまた、食べたいなあ。。)



・・・・・


しばらくの間、


車につんであった・シートカバーが、


 ソースカツ丼に 見えたほど、ハマりました






(その5、「吉崎御坊跡と蓮如」に つづく)








 

 

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東尋坊でやるべきこと~クリン家ドライブ能登半島旅行・3

2017-07-26 | 旅行記

 金沢からほど近い・「福井の観光名所」といえば、

 永平寺とならんで、とうじんぼう(東尋坊)があります。

切り立った・ガケに、 ギザギザの岩が そそり立つ、

 ちょっと・あぶない、じさつ(自殺)の名所・・。

前に、観光遊覧船に乗ったとき、船長さんが、

『たまに上から人が降ってきます って言ってたな~。」(チット)

 そもそも、「東尋坊」とは、

このガケから、つきおとされた、お坊さんの名前 

 あばれん坊で、めいわく者で、みんなからきらわれていて、

さいごは、ガケからつきおとされて死んだ そうへい(僧兵)の名前、だそうです。

 (なんとなく、イメージがかさなる、おにいちゃんの ヘアースタイル・・)

「さあ!とうじんぼう・ごっご、しようか


 「・・・まさか、おにいちゃんを 崖から突き落とすつもりじゃないだろうね?」


「ちがうちがう

「火サスごっご・するの とうじんぼうに来たら、ぜったい・やらなきゃ


 おにいちゃんが、犯人で、クリンが、けいさつ(警察)役ね


今から、ラストシーン、とるから


「追いつめるから、犯人はやく、そっち行って



「ようい、スタート~


「もう・にげられないよ、かんねんしな 

 「ピストルを すてなさい えいっ」(バシッ)


「たいほ(逮捕)します (ガチャン)


 「え~、犯人かくほ(確保)~。」

「まににんげん(真人間)になってね


 「今から、とりしらべるよ カツ丼・一丁おねがいします



<取調室にて>

 「 ・・・ソースカツ丼ですか 刑事さん

「ここは、ふくい(福井)だからね







(その4、「百姓屋の越前そば」に、つづく)

















 

 

 

 

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永平寺の開門時間~クリン家ドライブ能登半島旅行・2

2017-07-25 | 旅行記

 「クリン家・北陸旅」、さいしょのほう(訪)問地は、

ふくい(福井)県、

永平寺です


 永平寺とは、かまくら時代に 「道元」が開いた、そうとう(曹洞)宗の 

お寺。

きびしい・ぜん(禅)のしゅぎょう(修行)と、

 人里はなれた・山中 という、ちょうぜん(超然)

としたイメージが

マッチしたことにより、

 たいへん・リスペクトされている ぜん(禅)宗の

大本山 だそうです。


 うちのチットは、以前、このお寺を見学し、

絵天井の間に 描かれた、

日本画家たちの 花の絵に コウフン  

 今回は、その中の、「荒木十畝」っていう・お気に入りの日本画家の絵を

見つける

という、

つよい・いし(意志)をもって

永平寺に 来ました

 (クリンも、ゴマどうふを買う という、つよい・いしを もって

永平寺に来てます


 「・・・しかし、まだ6時過ぎだよ。門前の店も

閉まってるし、

開いてるのかね?永平寺は。」(おにいちゃん)


・・・・・



ふと、よぎる、しんぱい(心配)。。


 ここに来る前、ガイドブックと、「加賀温泉郷」のHPなどで

しらべてみたら、

「朝・4時から」って書いてあったから

たぶん 

大丈夫なはずですが・・

 「8時から」って書いてある・サイトもあったので、

ちょっと

気になって いたのです。。

 ぜん(禅)寺の朝は、早い 

 だから、4時から 開いてるはず


そう信じ、

クリンたちは

入り口に 向かいました



しかし・・・


「しまってるよ 

 朝・8時開門だって

「え~~~  (入れないじゃん


 ←ショックで、しばし・かたまる。


・・・・・


するとそこに、

お寺の女性(関係者)が

あらわれて、

 「・・4時開門だと思って、参拝に見える方が

ずいぶんいらっしゃるんですけど、

どうしてなんでしょうねえ。

8時なんですよ。」

困わく(惑)気味に 

対応してくださいました。


・・・・・

 来てみないとわからないことって、あるものです


すでに、さとりを開いていた

クリンたち()も、

これには

少なからず どうよう(動揺)。。

 

 (これはもしや、永平寺に ためされているのでは

とか

おもいました。


 仕方がないので、けいだい(境内)を 一周することに

しました


(・・・・・

 それにしても

 朝の えいへいじって、なんて、すがすがしいんだろう。。)

 出家とか、しゅぎょうとかに ふさわしい、きよらかな空気に 

みちていて

 

本当に、

心あらわれるものが あります 


 (こんなところで、ざぜんを組んだら、クリンも さぞ・こうしょう(高尚)な 

にんげんに


ところが・・


 さすがに、夏の朝は、セミのなき声が うるさく、なんだか

めいそうしても、

しゅう(集)中するのが

むずかしい。。

冬は、さむくて、しかたないだろうし・・ 

 杉林が多いから、春なんて、クリン、花粉しょう(症)

くしゃみ・出まくり


「秋しかできないね。しゅぎょう。」 「10月の8時に来るのがベストだな。」







(その3、「東尋坊でやるべきこと」につづく)






 






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車で東京~永平寺(クリン家ドライブ能登半島旅行・1)

2017-07-24 | 旅行記

クリン家・ドライブ旅行

2017

 今年の行き先は、のと(能登)半島です。

 

   (ここのことらしい

 クリン、のと半島は、もちろん・はじめてですが、

 おにいちゃんも、ちゃんと かん(観)光したことがない

金沢に あこがれてて、

「55歳の誕生日に、金沢に行きたい。」

って

きぼう(希望)したのです

 「ゴーゴー(55)

 

私、金沢は4回目~。」

という

チットを くどくため、

 石川県に加えて、ふくい(福井)県と、のと(能登)半島も

一部、

計画に つけたしました


(なので、さいしょは「福井県・永平寺」をめざします。)


 ドライブプランとしては、たま(東京都多摩市)の自宅を

出発し

八王子ICから高速(中央道)で

松本ICに向かう


そこから下道で、

158号を ずっとすすみ

 「東海北陸道の飛騨・清見IC」で高速にのって

白川ごう(郷)をけいゆ(経由)、

白鳥西ICで おりて

ふたたび 下道


158号で 「九頭竜湖」をすぎて

永平寺を 目ざす


ってかんじです。


 ナビを入れると、「もっと高速を使って、ぐるっと回れ!」

しじ(指示)されますが、

 東京~のと(能登)間には、立山が そびえたっているので、

きょり(距離)的に

えらい・とおまわり。。

 「50キロも、100キロも、余計に走らされるのは、イヤ

と 

かんがえる・おにいちゃんは、

高速メインでない、

「山越え・下道ルート」を ねらったのです


 さっきのルートだと、たいした山にも ぶつからず、

信号も、ほとんどなく

すいてて

ラクチン


 とちゅう、30分の休けい(憩)を入れて、大体、

8時間くらいで

つき、

「深夜割引」を使うと

高速料金も 4920円におさえることが

できて

おトクと 言えます


 「金沢は、日本でも 1・2を争う、洗練された大人の街だから

変な格好できないな。

そうだ!

浴衣を持って行こう

と、出発前、気合が入ってた、うちのおにいちゃん。 


 ですが・・ じっさい、旅がはじまると、


あっ!

 あれ、越前大野城だよ 

ここ、天空の城で有名なの  

ちょっと、写真撮るから停まって (カシャカシャ・・

 (そっこう、チットのペース・・)



(今回の、旅行の主役は、

 たんじょう日の、おにいちゃんなのに・・)



 「いつもどおり、チットの歴史旅行になりはじめてる」 

いいんだよ~、チットが幸せなら





(その2、「永平寺の参拝時間」につづく)














 

 

 

 

 

 

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金沢旅行の下準備・・

2017-07-19 | 旅行記

 

「チット~

 今日は、何をよんでるの?」

 泉鏡花と、徳田秋声と、室生犀星の本 金沢行く前に、

金沢三文豪を

さらっとでも

読んでおかないとね~」(チット)

 

「おにいちゃんジュンビは?」能登半島一周ドライブに向けて、寝ておく。」

 

 

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高知土産のおすすめ「銘菓・土佐日記」~クリン家ドライブ四国旅行・37

2017-03-29 | 旅行記

 高知県をさいごに、クリン一家は たま(東京都多摩市)に

かえりました

 四国旅のおわりに、クリンたちが買ったおみやげ、

それは、めいか(銘菓)「土佐日記」です 

 

 「土佐日記」というと、平安時代の歌人・きのつらゆき(紀貫之)が、

女性のふりを

して書いた、

日本で初めての、かな文字日記  

 その内容は、国司(地方官)として おとずれていた

土佐から、

京にもどるまでの

55日間の旅のきろく(記録)であり、

土佐のことを紹介した

さいしょの文けん(献)

として、

 文学史的にも、高知県的にも、スペシャルないみ(意味)をもつ、

古典・・

だそうです

 

昭和29年から売り出された

めいか(銘菓)「土佐日記」は、

 わとじ(和綴じ)の日記ちょう(帳)をもした・はこが、

まず、ステキ

そして、

その うら表紙には、

 土佐の地で、かえらぬ人となってしまった・娘への、つらく、

かなしい、

つらゆき(紀貫之)の心が、

さくらの花の中に 

よまれていて、

とんでもなく・ゆうび(優美)です


 「みやこへと 思ふをもののかなしきは かえらぬ人の あればなりけり 」

(泣ける・・)

 

 おかし(菓子)そのものは、ぎゅうひ(求肥)で

こしあんを包み、

つぶつぶの

「寒梅粉」をまぶした

一口もちがし(餅菓子)で、

 やわらかく、いにしえの 京のみやび(雅)

つうじる、

上品な 甘さ・・


「芋けんぴだと、ちょっと~・・」

という

 目上の方への おみやげに ぴったりな、「おもたせレベル」の

高知めいか(銘菓)です





(いちおう、これで 四国旅日記は、おわりにします クリンより)




 

 

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高知土産のおすすめ・塩けんぴと文旦~クリン家ドライブ四国旅行・36

2017-03-28 | 旅行記

 高知県・「ひろめ市場」の 一角に、

高々とつみあげられてた、芋けんぴ 

 それはクリンたちも大好きな、昔ながらの茶がし(菓子)です。

 

 本場のメーカー「南国製菓」の、しお(塩)けんぴは、

イモと、

さとう(砂糖)と、

油で作られる、

いつもの芋けんぴに、

しお(塩)が 

まぶされているだけなのに・・

 クリンたちの芋けんぴかん(観)を くつがえすほどの

甘辛美味で、

家ぞく全員、

手が 

とまりませんでした


 1月にお父さんが亡くなって、ショックでやせた

チットの体じゅう(重)を、

一気に

もとにもどしたのは

この、

しお(塩)けんぴ でした


 「よかったねチットちゃん。」「・・よかったんだろうか



また、

何かと

おひさまのめぐみが

ほうふ(豊富)な、高知県。

 春先でしたら、ブンタン(文旦)とかも、買いです

 東京で、1つ・500円とかで売られている・ブンタンが、

ひとつ100円

だったりすると、

くやしまぎれに

買い占めないでは いられない。。


 四国は、やっぱり・かんきつ(柑橘)のほうこ(宝庫)でした





(その37、「高知土産のおすすめ『土佐日記』」に、つづく)




 

 

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ひろめ市場でかつおのたたき~クリン家ドライブ四国旅行・35

2017-03-28 | 旅行記

 高知じょう(城)のすぐ近くに、「ひろめ市場」という、地元料理が食べられる、

くだけたフードコートが あります 

 かん(観)光客は、ここに行けば まちがいない

きいたので、

クリンたち、行きました

 いろいろ・おいしそうです

 が ここで、たのむのは、カツオのたたき

「これを食べんと、かえれんきね」  気合入ります

 クリンたちは、市場内の「明神丸」っていうお店で、

おにいさんが、わら(藁)で やいてくれた

 作りたてのたたきを 食べました

(・・・

 つ・つくりたて・・

 (うまい~!!

「いつも食べてるのと、ぜんぜんちがうよ

 ←こっちは、もうひとつの・高知のでんとう(伝統)食文化、

くじらのさしみ

 

地元の人たちも たくさんいて、

 老若男女が、せいだい(盛大)に おさしみを 食べまくっていました

 

 

(お宿に かえってから・・)


 「いや~、焼きたてが あんなに美味しいなんてね余韻だけで

お酒がのめるわ」(チット)

「そ、そんなのいつ買ったのよ 「昼間の道の駅

 「クリンも食べればいいじゃん。道の駅で買ってた『にんじん芋の干し芋』

とかいうやつ。」(チット)


 (た・たしかに、ホシイモですら、タタキのよいん(余韻)でおいしく食べれる・・



現地のタタキは、

すばらしかったです




(その36、「高知土産のおすすめ・塩けんぴ」に つづく)


 

 

 

 

 

 

 


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ぼうしパンのリンベル~クリン家ドライブ四国旅行・33

2017-03-27 | 旅行記

 アイスクリンとならぶ、高知県の 二大おやつ

 それは、「ぼうしパン」とよばれる、かし(菓子)パンです

 

1955年、

高知のベーカリー「永野旭堂」が

ドーム型パンに

カステラ生地をかけて

 このパンを つくりました

県民は、

これを「ぼうしパン」とよんで

あいしている

らしい。

 高知では、どのベーカリーにもおいてあるそうですが、

クリンたちが今

食べているのは、

はっしょう(発祥)メーカーの直営店、

「リンベル」のものです(1個130円)


 ステキなイートインスペースで、アイスカフェオレとともに

いただく

甘いぼうし(帽子)は かわいくて

 ついつい・あたまに のせてみたくなります



おにいちゃんも、

 それ、かぶってみようかな~


「ぜったいやめてっ 「なんで~?」





(その35、「ひろめ市場のカツオのたたき」に、つづく)




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高知銘菓「かんざし」と、はりまやばし~クリン家ドライブ四国旅行・33

2017-03-26 | 旅行記

  南国土佐を~ あ~とに~し~て~

高知市内に入ってから、

おにいちゃんが

 ペギーはやま(葉山)っていう人の歌を、口ずさみはじめました


 この歌の中には、「よさこい節」という、

ご当地みんよう(民謡)が

ふくまれていて、

そのいっせつ(一節)、

 「土佐の高知の はりまやばしで~、坊さん、かんざし買うを見た~

で、

全国に

その名を知られる

はりまやばし(播磨屋橋)に、

 クリンたちも、行ってみることにしました


(・・・あれかな?) 


 高知市でもっとも・交通りょう(量)の多い、交差点に、

はりまやばしは、ありました 

 平成になってから、オリジナルをふくげん(復元)した、

という

赤い、小さなはし(橋)は、

 いくつかのモニュメントと、人口水ろ(路)で川をさいげん(再現)した、

「はりまや橋公園」として、

かん(観)光客向けに、せいび(整備)されていました

 「あっ、あったよ よさこいぶし


きいたところ、

この歌には、

ばく(幕)に 高知でおきた、

「男女の恋愛秘話

かくされているという・・。


 それは、こんなお話です


江戸時代

おしまいのころのこと、、


この土佐の

竹林寺、っていうお寺に、

「慶全」という 

若いお坊さんがいたそうです


 彼は、寺に出入りしていた、17さいの美少女・お馬に ひとめぼれ


彼女の気をひくため、

 はりまやばしの小間物屋で、プレゼント用のかんざしを こっそり買いました

 

 しかし 美少女・お馬は、「純信」という、

別のお坊さんと

仲良くなってしまった

ことから、

「慶全」は しつれん(失恋)・・

 しっと(嫉妬)のあまり、「純信のやつが、女にかんざしを買ってた

あいつは、破戒僧だ!

いやらしいやつめ。」


うそを

言いふらしてしまったのです


 町中に知れわたったスキャンダルは、人々の好奇の的

となり、

「純信」と「お馬」は

思いあまって

かけおち・・

 でも、すぐに見つかって、二人そろって 引き出され、

じょう(城)下

3ヶ所で

さらしものに されてしまう・・。


 という、昼ドラ系の、ざんこく(残酷)ストーリー

でした。


 仏道に生きてきた・37さい(歳)のお坊さんに とっても、


たかん(多感)な17さい(歳)

にとっても、

これは

身のおきどころのない、おしおき(仕置き)

であり、

まさに

生きはじ(恥)・・・



 二人は、その後 別れて、のち、それぞれ 

別の人と結ばれた 

そうです。。


 じゅんしん(純信)は、だいぶあとまで お馬を忘れられなかった

みたいですが、

お馬のほうは・・

昔の恋人を 

かえりみることは

なかったらしい。。


 それでも 彼と彼女の若い日の、苦い恋のきおく(記憶)

は、

人々のあわれを 

さそい、

「よさこい節」に歌われ

今では、めいか(銘菓)にも、なってます 

 浜幸ってお店が出している、「かんざし」っていう おかし(菓子)で

有名です

 

それは、

 ゆずの風味が香る、しろあん(白餡)の入った ホイルやき

表面には

「かんざし模様」・・

やさしくて、なつかしい、むし(蒸し)ケーキ 

 しかも お馬の「かんざし」をイメージした、

かんざし型の、すももあめが ついてきて、


 若い・お馬の、かれん(可憐)さ をも伝える

実に

すてきな

おかし(菓子)なのです





(その34、「ぼうしパンのリンベル」に、つづく)



















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高知城で見つけた、いごっそうたち~クリン家ドライブ四国旅行・32

2017-03-25 | 旅行記

 高知のまちの、いちばん目立つところにたっている、

高知じょう(城)

 

こちらは、

 本丸のたてものが、ほとんど・げんそん(現存)する、

全国でもゆいいつのおしろ(城)


ってことで、

もちろん、

中は見どころまんさい(満載)

わけですが・・


 おしろの正門(追手門)のよこ、おほりの手前には、

もっと 必見の、

 高知名物があるそうなので、クリンたち 行ってみました

 机といすを出して、なにやら あつまっている、

おじさんたち (ねっしんに何か見てます


しょうぎだ


 これが、この場所で 半世紀以上つづいているという、

高知の風物し(詩)・「青空将棋」

って

やつだそうです

 

(たのしそう~




(その33、「高知銘菓・かんざしと、はりまや橋」に、つづく)




 

 

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土佐のいごっそう・板垣退助~クリン家ドライブ四国旅行・31

2017-03-25 | 旅行記

 がんこ・いってつ(頑固一徹)で、我がつよく、でも!

すじ(筋)は通す

土佐の男たち

 それは、「いごっそう」と呼ばれ、坂本りょうま(龍馬)

浜口おさち(雄幸)、吉田茂 などなど・・

 郷土のいじん(偉人)に、代表されています

 そんな、「いごっそう」たちの気しつ(質)が 時代のニーズとマッチして、

思いっきり・花開いたのが、明治初期

 「自由民権運動」の時代です

 (←高知市立・自由民権記念館にて

 

「自由民権運動」

とは、

明治政府のやり方が 

キライな人たちが はじめた、

反政府うんどう(運動)で、

 武力にうったえたりは しないけど、マスメディアの力をくし(駆使)して、

政府のダメさかげんを

国民に宣伝する

気長にして、

せんりゃく(戦略)的な、

「組織的・言論活動」

ことだそうです


(※れきしにくわしいチットにききました)


 政府にとっては、あばれてくれないぶん、いちもうだじん(一網打尽)に

しにくいから

やっかいで

「自由」とか「民権」とかを

唱えながら、

明治政府のわる(悪)口を言いまくる

「民権派」に、

だいぶ、キリキリさせられた

らしい・・


 そんな、自由民けん(権)うんどうを 引っぱっていたリーダーが、

土佐のいごっそう、

いたがきたいすけ(板垣退助)

です


 板垣たいすけは、はじめ、軍人で、しかも明治政府の人間でしたが、

方針のちがいから

政府をやめ、

 故郷にかえるやいなや 大々的に「反政府攻撃」を、はじめました


はげしく だんあつ(弾圧)されたり

時に

かいじゅう(懐柔)されたり

しながらも、

 「政府は独走しちゃダメだ 国民の声を聞け

つよく 言いつづけ、

1881年、

「わかった、、じゃあ国会開くよ。。」

政府に 約束させるにおよび

 その人気は、ぜっちょう(絶頂)を むかえます

 「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったとして、拍手かっさい(喝采)されたのも、

このころ


 しかし・・、そんな板垣の人生も、このあと・逆風に

さらされます


 国会が開かれるまでに、10年もまたされたため

その間、

「民権運動」は 

世代交代がおこり

彼がつくった自由党も、

若い人が 言うことをきかなくなったり

事件をおこしたり

 内部ほうかい(崩壊)をきたして、手に負えなくなったのです・・


さらに、

明治政府が しかけてきた工作に

まんまとひっかかるなど、

板垣は いくつかの「判断ミス」を

おかすとともに、

 その、人を容れない「いごっそう」的性格が わざわいし

一気に求心力を

低下させてしまった

らしい・・。


 もはや、大臣などのようしょく(要職)についても、

「・・・

 あの人、もう、カリスマ性ないよね。」

みんなから

かげ口を たたかれる始末。。


やがて、

 自由党が、てき(敵)方の「伊藤博文」の手におちるに および、

政界から

いんたい(引退)しました。。


 そんな、「民権運動」に いろいろ失敗しちゃった

板垣たいすけですが、

 政界からしりぞいた後は、かえって、かつて「民権の闘士」と

たたえられていたころの

ような、

いさぎよい・生きざまであったらしいです 

 「維新の精神に反する」といって、しゃくい(爵位)を返上し

それを

かぞく(華族)たちにも呼びかけて、

本当の「四民平等」や

社会改良をめざして、

地道な活どう(動)に

その身と ざいさん(財産)を

投じていたようなのです


 83さいで、亡くなったとき、小さなそうしき(葬式)しか出せない

「資産状況」だったことで、

かつての仲間をおどろかせた

という

話をきいて、、


 「細面だから、イメージは違うけど・・

やっぱり板垣退助も

『いごっそう』なんだなあ~」


と、


うちのチットが なっとくしていました





(その32、「高知城で見つけた、いごっそうたち」に、つづく)



























 

 

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野中婉という女~クリン家ドライブ四国旅行・30

2017-03-23 | 旅行記

 「山内一豊の妻」とならんで、高知女性を もうひとり。

 

のなかえん(かんじ:野中婉)

という人について

ちょっとふれておきたい、

と 思います。。


 (大原富枝「婉という女」より

 

野中えん(婉)

江戸初期に 実在した 

高知女性で、


 そのお父さんは、土佐はん(藩)のじゅうちん(重鎮)だった、

野中けんざん(兼山)

という、有名人

 

 はん(藩)主の血を引き、学者としても、政治家としても

ゆうしゅう(優秀)な

けんざん(兼山)は、

当時、

はん(藩)の先頭に立って、

「改革」を

バリバリ・こなしていました


 ところが・・ これがまた、「いごっそう」そのものと 言っていい、

がんこな性格で

周りのいけん(意見)をきかず

強引に

改革をすすめてしまった 

結果、、

 みんなから にくまれて、けんざん(兼山)は

しまいに「幽閉」されて

しまいま


 野中えん(婉)は、この時、家ぞくといっしょに

「幽閉」された、

けんざん(兼山)の

四女です

 えん(婉)は、この時4才でしたが、

父が失きゃく(脚)してから、

以後 40年以上

外に出ることを、

ゆるされませんでした・・ 

 

 父・けんざん(兼山)は、「幽閉」後、すぐに

死んでしまいましたが

土佐はん(藩)は 

いぞく(遺族)をゆるさず、

 「兼山の血を引く男子が 全員死に絶えるまで、

野中一家は 全員外に出るな

命じたのです


 とじこめられた・野中一家は、存在をタブーし(視)され

不自由な生活を 

しいられ、

世間とかくぜつ(隔絶)すること

数十年・・


 その間、「幽閉」された家の中では、けんざん(兼山)の 長男が病死 

次男が狂死 

三男が病死 

四男は自殺

五男は?で、

六男が自殺

さらに、

とついでいた・長女も送られきて、死亡・・

 

という、

 世にもおそろしい・生きじごく(地獄)が くり広げられました

 さいごまで生きていた・けんざん(兼山)の四男が

1703年に自殺して、

女だけになったところで、

野中一家は 

やっと

かいほう(解放)されます。。


が、

 生きて出られたのは、3人の娘たち、80代の母、

そして、

60代の乳母だけ。。


 えん(婉)はそのとき、44さい(歳)に なっていました・・


 「大罪人の娘」として、ふつうに生きることを

きん(禁)じられ、

外界にふれずに 育ち、

けっこん(結婚)も ゆるされず、、


 せまい家の中で 兄弟たちが「非業の死」をとげる・・

そんなさまを

見つづけてきた・えんは、

 弱りきった・母をささえて、ざしき(座敷)牢から 出てきた時、

いったい、

何を 思ったろう・・?


 たぶん、「うれしい」ってかんじでは なかったんじゃないかな・・?


そうぞう(想像)なんて

できないけど、


 クリンは そう 思います。


 えん(婉)はその後、がんばって医者になり、残り少ない後半生を

人のために

つくしたそうです(えらすぎ



小説では、

このえん(婉)

「幽閉」中、

ゆいいつ・交流をもっていた

谷じんざん(秦山)

という男性に、

恋心をよせるさまが 描かれます


 えん(婉)たちは、外出も、外界との交流も、

きん(禁)じられて

いましたが、


けんざん(兼山)の弟子として

野中一家を 気にかけつづけた

谷じんざん(秦山)

とだけ、

 年に一度、学問上のしつもん(質問)と、詩のやりとりにかぎり

手紙を送りあうことを

ゆるされました。


 会ったことはないけれど、自分たちに同じょう(情)をよせ、

長く見捨てずに

つきあってくれる、

きょうよう(教養)のある

青年武士


それだけで

えん(婉)があこがれて

むねを こがすのは

とうぜん(当然)のこと


作者の大原さんは、

そう思って

このお話を 書いたのでしょう。


 谷じんざん(秦山)は、まさに えん(婉)のきぼう(希望)で、

生きる支え

だったにちがいない


クリンだって

そう思います。


でも・・

 小説でも じっさいでも、えん(婉)は・・

 

じんざんとも、

だれとも、

むすばれることは ありませんでした。。



・・・・・


なんて、むくわれなくて、


なんて、かなしい女の人生なのでしょう「アンギャ~!!







(その31、「土佐のいごっそう・板垣退助」に、つづく)




















 

 

 

 

 

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