松山が生んだ、俳人・正岡しき(子規)
。
彼と、中学時代交流があった、秋山さねゆき(真之)は、
その兄・秋山よしふる(好古)
とならび、軍人として、郷土がほこる、
えいゆう(英雄)
だそうです
れきし(歴史)小説家の、司馬りょうたろう(遼太郎)
が、
この兄弟と、しき(子規)を通じて、
明治日本の
いちそくめん(一側面)を
描いたという
『坂の上の雲』
それは、NHKドラマで 多くのファンを かくとく(獲得)し
松山の町に、
あらたな・歴史ロマンと、 ついでに、「銘菓」もつくり出しました
その「銘菓」とは、
その名も、ズバリ
「坂の上の雲」です
さねゆき(真之)や、しき(子規)が かけあがった
という、
しろやま(城山)へとつづく坂。
その上にうかぶ・くも(雲)
は、明治日本という
青年国家が、
つかもうとして
手をのばした
「近代的理想像」を さしている・・。
司馬さんのタイトルのいみ(意味)は、そんなところだそうです。
そのくも(雲)
を かたどったという、いよかん
入りの
洋風まんじゅうは、
中身も白あん(餡)と、
白さにこだわった、にゅうか(乳菓)でした
(←松山市中心部の、秋山兄弟生誕地にて)
「
秋山真之って、日露戦争での活躍から一転、晩年は宗教に
のめりこんだことで、
評価がガタ落ち
して
しばらく、忘れられた人になって
いたんだけどね・・
『そうなったのは、戦争の惨禍を見すぎたせいなんじゃないか?』
って
真之の息子が書いたエッセー、読んだわ。」
と、れきし(歴史)にくわしい・チット
が言いました。
・・・・・
けっきょく、
明治の青年は、追い求めた「坂の上の雲」を つかむことができなかった・・
と
いうことらしい。。
しかし
そのくも(雲)は今、おかし(菓子)となって、
平成のクリンたちの手に、
しっかり
つかまれています
(その24、「労研饅頭としょうゆ餅」につづく)