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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

長命寺の桜餅が買える場所

2015-03-26 | クリン江戸散歩

 ワクワクの、桜シーズンとう(到)来

たん(誕)生日の 

お母さんから、

「長命寺の桜餅が食べたい。」

リクエストされた・チットは、

 実家にかえる途中、向島によりました

できれば、

つうはん(通販)で買いたいけど、

一日で かたくなってしまう

「長命寺・山本や」の 桜もちは、

配送とか してません。

それどころか

お店以外に売ってる場所が かぎられていて、

知名度のわりに

入手が 困なん(難)です。

 上方は つぶつぶの道明寺

 江戸は、うす皮に包まれた、長命寺

これが、

桜もちの ニ大ブランドとして

全国に広がりました

今じゃ、どこでも美味しいの・買えるけど、

やはり、「発祥の店」のは

かくべつ

 1個につき、葉っぱが3枚もついてます

「長命寺桜餅」は

江戸を代表するグルメとして、

本店以外では、

江戸東京博物館の1階売店

日本橋三越・銀座三越・恵比寿三越・松屋銀座

販売

されるのみ。(ちなみに支店は、なし)

しかも、

みつこしは、木曜日と金曜日だけ・・(※デパートでは池袋西武・東武にも?)


博物館は今、改修中だから、

  朝から確実に手に入れるには 向島まで行くしかないわな。」

ぼやくチットでした

 でも、久々に行ってみて、思ったそうです。

(・・・向島って、いい町だなあ

って。

 すみだ川のほとりの、

ふぜい(風情)ある、「料亭街」に、

 かわらぬ・たたずまいの、小さいお店・・

<長命寺山本や:首都高の出入り口すぐです>

 そのすぐわきに咲く、かわづ(河津)桜

 もより(最寄)駅の 「押上」から、歩いて15分もかかるため、

高れい(齢)のお客さんは

タクシーで 乗りつけていましたが、

チットは

キョロキョロしながら 楽しく歩いたそうです

 今年のお母さんへのプレゼントは

 デジカメと、スイートピーと桜餅の

 3点ピンク

 と、とくい気に話す、

チットでしたが、

 長命寺の桜もちは、色が白でした











 

 

 

 

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浜離宮の見どころ~築地江戸散歩・16

2015-03-09 | クリン江戸散歩

 「汐留」の高そう(層)ビルと、菜の花の コンビネーションが人気の、

「浜離宮」

すでに、入り口の大手門からして、

 後ろの「電通ビル」と、今昔の ゆう(融)合を はたしています

 (←可美真手命像

ここは、

皇室のもちものに なる前、

「浜御殿」 と よばれた

とくがわ(徳川)家の

海辺やしき(屋敷)。

 クリンたちが、「築地散歩」で お伝えしてきた、

松平定信の 

やしき(邸)があった、つきじの

すぐとなりで、

 入ってすぐの、松の巨木が

そんな・れきし(歴史)を ものがたります 

 <三百年の松 from 6代将軍徳川家宣>

 <将軍お上がり場>

 <鴨場>

あちこちに、

「将軍家ゆかり」であることを

示す場所があり

 さらに、松平定信が つくらせた、「義倉」あともあり、

 ここぞ!

 江戸さんぽのシメに ふさわしい

 クリンは、ひらめきました 

 いざ!たんけん(探検)

 さて、このじき(時期)の見ものである・菜の花畑は、

入り口すぐの、このあたり→ 

 2015年3月8日で、5・6分咲きでした。

春は 菜の花

秋は コスモス で、

来えん(園)者を ふやしている

「浜離宮」ですが、

 それ以外にも、お花は けっこう・咲いています

 梅は、なかなか・本数があり、

 紅梅  

 白梅  ともに、みごと(見事)

 ツバキだって、咲いています

さらに、

なにも咲いてなくたって、

 「真の見どころ」は、神社の奥にある。

クリンたち、

そこをめざして すすみました

(・・・・水上バス乗船場?) 

 そこで、クリンが見たものは・・・・

なんと 東京わん(湾)でした 

 ここ・「浜離宮は、東京わん(湾)に せり出す形で つくられていて

奥まで行くと

海が見えちゃう 

ていえん(庭園)なのです

 (両サイドは、築地川と 汐留川)

 ちょうど 船が通るところで、大きな水門が ひらいていました

(レインボーブリッジが見える・・

 海に面しているため、ていえん(庭園)の池の水は、海水をひいていて

「汐入の池」と 言うのです 

 ボラやハゼなど、海水魚がすんでいます

 池に流れ込む 海水のりょう(量)は、小さい水門を 開け閉めして

ちょうせつ(調節)

 この水門に こびりついた・フジツボや、わりと美味しそうな 

海そう(藻)を見つけると

(うわ~、海なんだ~)

じっかん(実感)でき、

 なるほど、この池の水がよどんでないのも うなづけるのでした

そんな、「汐入の池」のほとりには・・ 「松の御茶屋」や、

 「中島の御茶屋」など、

将軍や 

奥方、

お公家さんが

休んだという、

VIP な お茶屋があり、

 そう(総)・ヒノキ造りの 「お伝い橋」も あって、

つい先日、

ここを おとずれたという

イギリスの ウィリアム王子も、

 「やるじゃん 徳川。」 って、よろこんでくれたんじゃ・なかろうか・・

クリンは そうぞう(想像)しました

 「中島の御茶屋」では、お抹茶セットを いただける と、

さっき、チェックしたばかり

 クリンも ここで・お茶するんだ と、はりきっていたのですが、

まんせき(満席)だったので、

チットだけが お茶しました。。


 ああ・・・・

この松、

そして

このけしき(景色)を見れば、

 

ここは、たしかに 江戸時代・・

でも、

 「芳梅亭」の背後にみえる、コンラッド東京

 もより(最寄)の「汐留駅」周辺の 近未来な 町並みを見ると、

ここは 平成の「観光地」なのだ・・

気づかされます

 それでも、クリンたち、「浜離宮」にやってきて、あの海を見て、

(なんでここが、

 「浜離宮」で、「汐留」なのか

その理由が

本当によく わかったのでした


(築地江戸散歩・完)



 





 

 

 

 

 

 

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築權の揚げかまぼこ~築地江戸散歩・15

2015-03-07 | クリン江戸散歩

 「わ~、人がいっぱい

お昼時をすぎても、

つきじ(築地)は

 場内も、

 場外も、

人で いっぱいです

そのうち半分くらいは、外国のお客さま 

 ホスピタリティ・あふれるクリンは、「マグロ丼なら、『かんの』とか、おいしいですよ

など、

いろいろ・おしえてあげました

 クリンたちは、さっき お昼を食べたばかりで おなかがいっぱいなので、

夜、食べるものを

何か買って かえります

 目をつけたのは、おでんだね(種)を 売っている、「佃權」(つくごん)

 明治元年そうぎょう(創業)、佃島の漁師・「ゴンザブロウ」さんから

名前をとった、

つきじ・きっての

江戸前かまぼこの名店 らしい。

  「揚げかまぼこ・千代田」(1個275円)

タマネギと

白身魚のねりものが、

ベーコンで ぐるっとまかれて

すっごく

おいしかったです

・直径:9cm

・高さ:5cm

 でっか・うま

(つづく)









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浴恩園と松平定信~築地江戸散歩・14

2015-03-06 | クリン江戸散歩

 かちどきばし(勝鬨橋)を わたっている・途中から

 「築地市場」の大きなたてもの(建物)が 見えてきます

明治時代は、海軍のしせつ(施設)があり

 大正時代の 関東大しんさい(震災)後に、「日本橋」から

魚市場が いてん(移転)してきて、

今にいたる、つきじ(築地) 

 以来、せん(鮮)魚の町として、活気にみちています

 

なみよけ(波除)神社の

けいだい(境内)にも あらわれる、

 その しるし  (玉子塚・すし塚・アンコウ塚etc・・)

 しかし 江戸時代、ここが 1万7千つぼ(坪)の しき(敷)地をもつ、

「浴恩園」

という

ていえん(庭園)だったことは、

あまり、知られていません

 (築地水神社のところに、碑を残すのみ・・)

 名木・名石をあつめ、春夏秋冬・美しかったという、よくおんえんの主こそ、

今回、

クリンたちがテーマにした

松平定信でした

 前の老中・田沼おきつぐ(意次)の 乱れた政治をきらい、

しっそけんやく(質素倹約)を

すすめた、定信

あまりに、ケチケチ・細かいので、

江戸っ子のひんしゅくを買い、

 「 白河の 清きに魚の すみかねて  もとの濁りの 田沼恋しき 

皮肉られたほどの人

なのに、

老中たいしょく(退職)後の邸宅の、

この ごうか(豪華)さは

なに・・・?

定信は 晩年、

自分をうとんだ・上様や、

自分をはめた・仲間たちからはなれ、

風流三昧に生きて

「楽翁」を 名のりました

みずから、

マネージメントして つくりあげたという 

ていえん(庭園)は、

 「俺はただの堅物・クソまじめじゃないんだ」と言いたい、

おとのさまとしての

定信の 

いじ(意地)なのかなあ・・

って、

クリンたち、話しました  (つづく)

 

 

 

 

 

 

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勝鬨橋をわたる~築地江戸散歩・13

2015-03-04 | クリン江戸散歩

 もんじゃの町・月島と、つきじ(築地)をつなぐのが、

かちどきばし(勝鬨橋)です。 (全長246m)

 一日中、交通りょう(量)が すごいはし(橋)ですが、

 けんろう(堅牢)なだけでなく、「建造物」として、ビューティーな はし(橋)

 ながめも きれいです 

 そして、今は きせい(規制)がかかっていますが

まん中が、はね上がる

「可動式」

ってところが、

 はし(橋)好きには たまらない

 すみだ(隅田)川には、浅草の「吾妻橋」を 皮切りに、

14のはし(橋)が かかっており、

その、しんがりに位置する

かちどきばしは、

 海にそそぐ、入り口でもある

だから、

みんなの心を

さわがせて やまないのです!

クリンも、

あの歌を うたいます

 「いざゆ~け~!むてき~の~、ワカタカ(若鷹)軍団~

いざゆ~け~!炎の~、ワカタカ軍団~

かちどき・あ・げ・ろ

かちどき・あ・げ・ろ


(ソフトバンクホークスの 応えん歌でした つづく。)

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もんじゃ体験~築地江戸散歩・12

2015-03-03 | クリン江戸散歩

「文字焼き」がなまって

「もんじゃ焼き」

と なったわりに、

 やきながら、文字をかく人が少ない・もんじゃ。

 クリン家メンバーも、そんなに 字はとくい(得意)じゃないので、

とりあえず、

てっぱん(鉄板)に

もんじゃのタネを広げたら、

  クリンの形に 成形します 

 でも そうなると、おにいちゃんと チットが 食べられなくなるため、

出来上がった

もんじゃは、

チュンチュンたちの ご飯となり

 けっきょく、お好みやきや、やきそばを 追加で取ることになります。

それに、

 うちのミニクリンは、たこやき型を見ると、作らないではいられないから、

たこやきの材料も、注文することに・・ 


「一丁あがり

 (たこ焼き奉行ミニクリン

「うわ~、ミニクリンちゃん、上手」 


 下町ランチ、たのしいね

(つづく)


 

 

 

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月島もんじゃストリート~築地江戸散歩・11

2015-03-02 | クリン江戸散歩

 石川島をあとにした クリンたちは、

そこから 5分ほど歩き

 つきしま(月島)に やって来ました

 昔は海だった、この場所

 今は、もんじゃの町として、全国的に 有名です

     ブラピだって、来ました 

 「月島西中通り商店街」は、つうしょう(通称)・もんじゃストリート

400メートルの通りの左右に、

 70軒のお店が ひしめきます

 「店選びに迷ったら、月島もんじゃ振興会に聞いてね

すいしょう(推奨)されてる・ようですが、

 (もんじゃTシャツとか売ってる・・)

 なんか、迷走しているっぽいので、

自分のカンに たよるか、

 月島かんのん(観音)さまに きいたほうが、よさそうです

(つづく)


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心学者・中沢道ニ~築地江戸散歩・10

2015-03-01 | クリン江戸散歩

 江戸後期の 「ホームレス&アウトロー」を、自立させようとつくられた、

「人足寄場」

 あるていど(程度)の自由とスキルを与えて、

すさんだ人々を 立ち直らせる

という目的をもった、

当時としては 

カッキ的な 

しせつ(施設)でした

それを じつげん(実現)したのは・・

 「清廉潔白」で ひょうばん(評判)の老中・松平定信

と、

 江戸っ子の「火付け盗賊改め」・長谷川平ぞう(蔵)

という、

なんか すごいコンビ

ですが、

そんな2人が 

「人足寄場」に はけん(派遣)した

もう一人の人物に、

クリンたち、

もっと 注目しています

 それは、心学者の、なかざわどうに(中沢道ニ)

人足よせ場において、

月3回、

収容者に こうぎ(講義)を行った、

どうとく(道徳)の先生です


 しんがく(心学)とは、江戸時代に 商人の間でしじ(支持)された、あたらしい学問で、

「神道・仏教・儒教」の教えを

わかりやすく とき

日常生活にいかせるように アレンジした、

子供でもわかる

どうとく(道徳)です

 (←これが、テキスト

江戸で、

心学を広めようと がんばっていた

中沢道ニの話は、

つとに 

ひょうばん(評判)がよく

 「人間、こう生きたら ステキだよね」っていう お話を、

せっきょう・くさくなく

おもしろく 伝えていました

 それが、松平定信たちの目に、とまったのです

・・・・・・

ちょうえき(懲役)中の受刑者

でないとはいえ、

はんざい(犯罪者)くずれの

「無宿人」相手に、

正攻法で 「善」をとき

反発されることも あったはず。。

なのに

 かれらの心に入り込み、その・しんらい(信頼)を かちとった、

中沢道ニ

人足よせ場の 収容者たちも、

かれの「講話」には

かんどうし

よく ナミダした

言われています。

 しかし そこにいたるまでは

道ニのなかで、

相当の どりょく(努力)と 

こんき(根気)

そして!

かん(寛)大な心と

信念が、

もやされたはず

・・・・・・・

(いったい、どんな話をしたのだろう?)

それをとても、

知りたく思う

うちのチットです

(つづく)








 

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石川島の人足寄場~築地江戸散歩・9

2015-02-28 | クリン江戸散歩

 中央区の人工島・つくだじま(佃島)

ほり(堀)をはさんで、

すぐ・となりが

「石川島」とよばれる、エリアです

 江戸初期に、「船頭」のおかしら・やってた、石川さんが、

 中洲を はいりょう(拝領)したことから 名前がついた、石川島

白い・ものみやぐらは、今はおトイレですが

 江戸時代は、すみだ(隅田)川や品川沖をゆく、船の安全を 見守る、

「石川島燈台」でした。

 今、ここは 「リバーシティ21」という、高そう(層)マンションの町になっていて、

 「東京夜景を楽しみたい♪」という、お金もちが くらしています

よって、

すみだ(隅田)」川でさえも

 「セーヌ川と提携してます」と、オシャレ・アピール

・・・・・

とはいえ

 うちのおにいちゃんに言わせれば、

「石川島と言えば、

 石川島播磨重工業のイメージだ。」

とのこと。

ある・年れい(齢)以上の人には、

「造船所」としての にんしき(認識)が

ふつうらしい。。

 でも、クリンたちは、思います

(・・・いったい、どのくらいの人が、

 ここが、江戸後期、

 『国立監獄・人足寄場』だったと

 知っているのだろう?)

と。

 にんそくよせば(人足寄場)とは、

 松平定信の「寛政の改革」で せっち(設置)された、

「軽犯罪者と、その予備軍」の

収容所です

(「鬼平」こと、長谷川平蔵のアイディアで つくられました) 

 当時、凶作とききん(飢饉)がつづいた・東北地方から、

がし(餓死)寸前の人々が

江戸に流れ込み、

首都の治安を

乱していました

「無宿人」とよばれた その人々が、

ぬすみをはたらいたり

打ちこわしをしたり

するものだから、

いつも、牢屋は パンパン!

 困った・ばくふ(幕府)は 「火付け盗賊改め・長谷川平蔵」のプランを

さい(採)用し

 「無宿人」を 3年半、

きょうせい(強制)的に 収容し

 「職業訓練」をほどこして、

手にしょく(職)・つけさせて

社会へ 送り出す、

「自力更生施設」を 

つくったのです

 「食うに食えないで罪を犯した者を捕まえつづけても、なんの解決にもならない

 「更生させるべきだ」というのが、鬼平の 考え方でした。

 こうして、石川島の三角あさせ(浅瀬)は うめ立てられたのです

 ここに入ったら、3年は出られない:・・

 たいぐう(待遇)だって、もちろんわるい・・。

けれども・・

 「油しぼり」・「大工」・「左官」・「細工師」などの さぎょう(作業)をすれば、

 ちんぎん(賃金)はもらえましたし、ちょ(貯)金はできましたし

スキルも身につきました

それに、

 社会ふっき(復帰)のさいには、ばくふ(幕府)が「身元保証」をしてくれた点、

囚人とは

明らかに ちがっていました

・・・・・・

こうき(綱紀)と ふうき(風紀)を

正しすぎて

ひょうばん(評判)がわるかった

定信の改革ですが、

 「この人足寄場は、善政と言っていいはず」 と、

うちのチットは 言ってます

(つづく)




 

 

 



 

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佃煮の天安~築地江戸散歩・8

2015-02-27 | クリン江戸散歩

 つくだ(佃)のりょうし(漁師)さんたちが、「貯蔵食」として

こうあん(考案)したという、

つくだに(佃煮)

それは、

 江戸の名物グルメです

つくだにやさんが

何けん(軒)かあるうち、

もっとも有名なのが、

 天保8年そうぎょう(創業)の、天安本店

かん(観)光バスも

横付けします

 クリンたちも、いちばん・お手ごろな、205円の「海苔の佃煮」を買いました

・・・・・・

170年の味は、

おどろくほど、美味です  (つづく)

 

 

 

 

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佃島を築いた人々~築地江戸散歩・7

2015-02-26 | クリン江戸散歩

 つくだじま(佃島)に わたりました

 ここは昔、江戸わん(湾)の うきしまを、埋め立ててできた、

人口の「漁師島」です

 今では、はし(橋)がかかり、2020年の東京オリンピックに向けて 

注目される

東京ウォーターフロントの一部ですが、

 歩いてみると、地価上しょう(昇)とは むえん(無縁)の

なつかしの下町、

という フンイキ・・

 うららかです  (←民家の井戸)

 しんさい(震災)や、せんさい(戦災)を まぬがれた、古い町並みと、

 向こうがわの 「リバーシティ高層住宅」がかなでる、

ナイスな、ハーモニー

 佃島は、「徳川家康」と したしかった、大坂の りょうし(漁師)さんたちが、

いえやすの江戸入りに

ついてきて きずいた町

 彼らは、「将軍献上」のシラスりょう(漁)を 独占し、

なかなか

ゆうぐう(優遇)されながら、

りょうし(漁師)ライフを 

すごす・かたわら、

 江戸の海上治安を たんさ(探査)する、「密偵」もやってた

とかいう説もある 

人々でした

(上の絵:「名所江戸百景」より、「永代橋佃島」)


 そんな、佃のりょうし(漁師)さんたちは、、

 故郷・大坂の「住吉大社」を ぶんし(分祀)した、「住吉神社」をたてて、

なにわのアイデンティティーを

けいしょう(継承)し、

 ハデに祭りを もよおして、今もがっちり・町を支えています


<神社境内の蔵に張られた、警告の紙には・・・>

 「神社境内での釣りを禁じる」とありました (・・・独占けん(権)だな

(つづく)











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佃大橋をわたる~築地江戸散歩・6

2015-02-25 | クリン江戸散歩

 明石町のはしっこは、すみだ(隅田)川の水辺

ていぼう(堤防)を 上流のほうに向かうと

 いいながめです

 おさんぽ中の人々

              おさんぽ中の鳥さん 

 おさんぽ中のみかんたち

みんな、

気もちよさげ

 クリンたちは、あそこに見える 「佃大橋」をわたって、

川の向こうの、つくだじま(佃島)に行くのです 

 きけば、昭和39年に つくだ・おおはし(佃大橋)がかけられるまで、

 水上交通しか、いどうしゅだん(移動手段)がなかった 佃島

 それを伝える・「渡船碑」が、

はし(橋)のたもとに 立っています。

 佃島がひらかれてから・300年以上、毎日たくさんの人をはこんでいた、

   船のまぼろしを水面にうかべつつ・・ 

 全長250mのリッパなはし(橋)を、クリンたち わたりました

(つづく)




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鏑木清方「築地明石町」の絵~築地江戸散歩・5

2015-02-24 | クリン江戸散歩

 <あかつき公園より、聖路加ガーデンをのぞむ>

文明開化・先がけの地だった、

つきじ(築地)明石町。

 そこは、げん(現)在、「聖路加病院」の町となり、

表向き、はっきりと

洋風ですが、

 もうちょっと すみだ(隅田)川河口に近づくと、

 古くて、しっとりした、江戸のじょうちょ(情緒)が まざってきます

 (←運上所跡)

ふと、

目を上げると・・

(なに この大きな・りょうてい) 

 (「つきじの治作」・・・?)

 昭和6年から・つづき、ツウ(通)な人々が 通ったという、

水炊きの

高きゅう(級)りょうてい(料亭)

だそうです。

・・・・・・

(そういえば、この町は

 こんな りょうていがお似合いの、

 お姉さんがいたっけ

クリンは 

思い出しました。

 日本画家・かぶらき・きよかた(鏑木清方)は、明石町で生まれ育ち、

 朝な夕な、すみだ川を海に向かう船を ながめてくらしました。

自分と同じように、

河口の船をながめる・美女は

つきじ(築地)にただよう

「異国情緒」をまとった、

新時代の女性です

 かみ(髪)は、夜会まき(巻き) そして中に、長じゅばん(襦袢)を着ない、すあわせ(素袷)

おまけに、たび(足袋)ははいてない  (素足)

 これぞ!当世の イキ・すがた(粋姿)

とされた時代に描かれた、

美しい人の絵は

その名も

「築地明石町」です

(つづく)







 

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築地居留地と聖路加ガーデン~築地江戸散歩・4

2015-02-23 | クリン江戸散歩

 「築地本願寺」のうら手、「明石町」とよばれるエリアは、

日本一の呼び声も高い、

 「聖路加病院」の ナワバリ(縄張り)です

  「聖ルカ通り」→  (※聖路加=聖人ルカ

 ここらも、かつては 大名やしき(屋敷)が立ちならぶ、

江戸の一角でしたが、

 (築地ホテル)

ばく(幕)末に、

ペリーがやって来て

開国することが決まってから、

 外国人にまちを開放しようということになり、

「居留地」として

一気に モダン化しました

 (明石小学校前に立つ、ガス灯

 文明開化の さいぜんせん(最前線)を になった・「築地」には、

 日本人は少なくなり

 外国人の、なかでもキリスト教徒が 進出

 教会と、ミッションスクールが、バンバンたちました

「築地教会」の、聖人・ネコの話では、

 「築地居留地」ではじまった・学校は、今、みんな 「名門校」になっているそうです

 (立教学院)

 (立教女学院)

 (慶応義塾)

 (工学院)

 (女子学院)

 (暁星学園)

・・・・・

それらの学校は 

別の場所にうつり、

きょりゅう(居留)地としての 「築地」は

「横浜」に負けちゃって、

 明治32年には、その役目をおえます

 しかし

 トイスラー医師がここではじめた、せいろか・びょういん(聖路加病院)は

のこりつづけて、

 「築地居留地」のなごりを、今に伝えています

(つづく)










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築地本願寺と伊東忠太~築地散歩・3

2015-02-22 | クリン江戸散歩

 つきじえき(築地駅)を出て、左にすすむと

すぐに「築地本願寺」の正門に

たどりつきます。

 まずは、けいだい(境内)へ。

「今日一日、

 このへんをうろつきます

と 報告し、

 元気にスタートをきります

ここ、つきじ・ほんがん寺は

「京都・本願寺」の 東京支店

 しんらん(親鸞)上人のお寺です。

もとは、

浅草らへんに あったそうですが、

江戸時代の初めころ

大火でやけちゃったので

「復興計画」を立てた・ばくふ(幕府)から

「こっちに移って。」

と言われ、

ひっこして来ました。

 そのころ、ここらは 海辺だったので

佃に住む・門徒の人たちが

「本堂再建」のため

一生けんめい・埋めたてました

以来、

いったい(一帯)は

「築いた土地=築地

と よばれるようになったのです

 ちなみに、今の本堂は、「関東大震災」後に ふたたび・つくり直されたものですが、

 当時の ほんがん寺・トップが、中央アジアたんけん(探検)家として かつやくしていた

大谷こうずい(光瑞)っていう お坊さんだったので、

 このような、古代インド式のデザインが さいよう(採用)されました

 友だちのけんちく(建築)家・いとうちゅうた(伊東忠太)も

ノリノリで 設計したため、

 外かん(観)だけでなく、

     あちこちに、

 仏教せつわ(説話)に もとづいた、れいじゅう(霊獣)が、

     いっぱい くっついています  


 さがすと、たのしいです   (つづく)






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