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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

時代小説の挿絵家~宇野信哉

2015-04-15 | クリン江戸散歩

 ミニクリンの背後にある、さくらのつい立てを見ていて、

クリンは ふと

思い出しました。

 チットが さいきん、いいな♪って思っている、

イラストレーターの絵を

それは、

時代小説のさし絵や、そう(装)丁を手がける

うのしんや(宇野信哉)

っていう人の絵です。

 「読書が趣味」という、うちのチットは、

うのさんのイラストを

以前から知っていて、

おととし・開かれた、初めてのこてん(個展)にも

足をはこびました

 時代小説のイメージをつかみ

古い日本人を

シブく描く うのさんの絵は、

どくとく(独特)の世界を かもしていて、

なかなか作品を

引き立てるそうです

 れきし(歴史)や、日本文化のファンにとって、

時代小説の大ぜんてい(前提)を

外さない・さし絵というのは、

きちょう(貴重)らしい

うのさんは、

そこを きっちり・りかい(理解)しつつ、

さらに一歩・すすめてくれているので、

時代小説ファンは

まんぞくするのです

http://i.fileweb.jp/unoshinya/gallery/

 視点がツウで、面白いし、

 色づかいも、砥石みたいに さびれてて

 いいんだよね。」

 と言うチットは、本をよんだ後、包丁をとぐことを 思い出していました。

 


 

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鳩山会館の撮影条件~目白散歩・5

2015-04-12 | クリン江戸散歩

 東京カテドラルから、目白通りをおりていくと、

(今回は、椿山荘はパスしました

 「江戸川橋駅」にほど近い、

 435号線に つながります

ここを、左に曲がってまっすぐ歩けば、

 いちばんさいしょの、「護国寺駅」にもどることが できますが、

この通りには、

一ヶ所 

よっておきたい・ポイントがあります

 「鳩山会館」です

 文京区の高台にある、はとやま会館は、

昭和の首相・「鳩山一郎」の邸宅 

 「首相・一郎、外相・威一郎、首相由紀夫・弟邦夫・・・」たちが

 そろって・住んだだけあって、

 「友愛」な いしょう(意匠)の、しょうしゃ(瀟洒)な西洋館が、

きぞく(貴族)なかんじを かもしていて、

 別名、「音羽御殿」と呼ばれます (※朝ドラ・「花子とアン」の撮影に使われました)

以前、

ここに来たことがある・チットは、

 「中が素敵で、鳩のモチーフのステンドグラスがあるの!庭もいいよ♪」と言い、

前庭で、

クリンを さつえい(撮影)するのを

たのしみにしていました

しかし

 さいきん、「撮影関係」がきびしくなってきた・はとやま会館は、

入り口に

たくさんの「注意事項」を かかげていました

いわく、

・三脚ダメ、

・モデル同伴ダメ、

・コスプレ入場ダメ、

・ゴスロリファッションでの入場ダメ・・

そして、

 「人形や小道具を用いての撮影は、ご遠慮ください。」とも・・

「これじゃ、クリンをバッグから出せないね。」

チットはそう言うと、

もと来た道を

さっさと 歩きはじめました

 

            (・・・・・人形?) 

 

 

 

 

 

 

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東京カテドラル聖マリア聖堂~目白散歩・4

2015-04-11 | クリン江戸散歩

「講談社野間記念館」の真向かいに、

 ぎん(銀)色にかがやく ざんしん(斬新)なたてものが たっています。

 天につきさすような、高き・せんとう(尖塔)

さっきから

見えていたけど、

あれは、何・・?

 チットにきくと、「カトリック教会だよ」との答え。

よく見れば、塔の先には 「十字架」が

 上空から見た・たてものも、「十字架型」に なっているそうです

 これは、昭和を代表する けんちく家、「丹下健三」さんの さいせいき(最盛期)の作品

丹下さんは、

東京オリンピックが 開さい(催)された

1964年、

東京に 2つのたてものをたてました。

 ひとつは、「競技場」になった、代々木体育かん(館)。

 もうひとつが、この「東京カテドラル聖マリア聖堂」(関口教会)です。

反り返る、ステンレスの屋根

さらに内部は、

 コンクリートの うちっぱなし

教会けんちく(建築)として、

当時、さいせんたん(最先端)だった

この こころみは、

数々のしょう(賞)を

ソウナメにしたそうです

ただし、

 丹下さんは、ちゃんと洗礼も受けていて、

「ヨセフ」っていう名も

もってるらしく

特大の パイプオルガンの音が

ひびきわたるように

工夫したり、

 ルルドのどうくつ(洞窟)を作ったり、

信仰の場としての

きほんは 外していません

 内部はさつえい(撮影)不可なので、シャシンはありませんが、

ちょうど、ミサをやっていて

クリンたちも お話を ききました 

 ロウロウと みちる、神父さまの声

さし込む日ざしの 神々しさ (←スリットから光が入ります)

 

(20世紀のけんちく・ようしきでも、

 こんなに神聖なたてものを  

 つくることができるんだ・・。)

 クリンは、神を かんじました

(つづく)




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講談社野間記念館~目白散歩・4

2015-04-10 | クリン江戸散歩

 「和敬塾」から・すぐのところに、チットが気に入っている、びじゅつかん(美術館)があります。

 こうだんしゃ・のま・きねんかん(講談社野間記念館)です

ここにあるのは、こうだん社・初代社長の、

 個人コレクション

ですが、

なんといっても

「蒐集品」の、シュミ(趣味)がいい 

 しつ(質)もいい

 近代日本画・近代洋画・ちょうこく(彫刻)・工芸に いたるまで、

ハイセンスな作品が あつまっている、

「よっ 野間社長」な、びじゅつかんです。

http://www.nomamuseum.kodansha.co.jp/

 うちのチットは 15年前、ここで

 一人しずかに かんしょう(鑑賞)し

「大観」や

「栖鳳」や

「玉堂」に はまりました

 「荒木十畝」や、「平櫛田中」の名を 知りました

 (となりのカフェ

大きな作品も さることながら、

日本画家・きょう(競)作の

5千点をこえる・色紙を 見るために、

何度も足をはこんだ

と 

ふり返るチットは、

2回行くと、一回タダになるという

スタンプカードを もっています

 せつやく(節約)家にも やさしい・アート空間らしい

(つづく)


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細川公爵家の学芸施設(永青文庫と和敬塾)~目白散歩・3

2015-04-09 | クリン江戸散歩

 「関口芭蕉庵」を出て、

すぐよこの むなつきざか(胸突坂)を上がると、  

 「ひ~い・・ふう・・」  (急坂

 そこはかつて、大名・細川家の ナワバリだった、広大なしき(敷)地。

その中に、現在、

2つの文化しせつ(施設)が 

たっています。

 ひとつは、えいせい(永青)文庫

細川のとのさま・末えい(裔)のコレクションと、

 細川家伝来品をあつめた、びじゅつかん(美術館)です。

http://www.eiseibunko.com/

(※今の理事長は、もと首相の細川護煕さん

 細川こうしゃく(侯爵)家の「事務所」だった・たてものが使われていて、

くつろぎのスペースもあり、

 有名なクロネコ(黒猫)も すんでいます (菱田春草)

 そして、永青文庫の おとなりにたつ、もうひとつの文化しせつ(施設)が、

   わけいじゅく(和敬塾)です 

 昭和初期、細川家当主(細川護立)は、この地に、西洋かん(館)をたてました

「細川侯爵邸」です http://www.wakei.org/honkan/architecture/outside.html

それは、

「和敬塾」の本館として、

いまもそのまま のこってる・・

  「和敬塾」は、「細川侯爵邸」の しき(敷)地を買いとった・じつぎょう(実業)家が、

男子大学生のためにつくった

りょう(寮)です

 かつて、早稲田大学生だった、村上はるき(春樹)さんも

ちょっとの間、

入っていたことがある、

「礼儀と人脈を大切にしようぜ

という

大学男子の 巨大下宿なのです

50大学から成る、

600人の男子大学生(留学生込み)が

あつい・青春を おくる場所・・

 さすがは、文京区です

(つづく)

 







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関口芭蕉庵と、芭蕉忍者説~目白散歩・2

2015-04-08 | クリン江戸散歩

神田川沿いを歩いていると、

 「関口芭蕉庵」という、しせき(史跡)があらわれます

 ここは、俳人・まつおばしょう(松尾芭蕉)が、まだ 俳句で名をなすことが 

かなわなかった・若いころ、

 3年以上、住んでいたところ

          「古池や~」

 (←芭蕉の木

 ばしょう(芭蕉)がここで、何をしていたか?というと・・

なんと!

「現場監督」として、

神田川の改しゅう(修)工事に たずさわっていました

「俳聖・芭蕉」が、工事げんば(現場)

・・・・・・・

伊賀の国主・「藤堂家」に仕えていた

若き ばしょう(芭蕉)は、

いろいろなスキルを もっていたらしく、

 神田川を分流させて、水戸はんてい(藩邸)に流す・工事に

たずさわっていました。

 「依頼主」の黄門さま(かんじ:徳川光圀)は、

江戸で しょっちゅうおきる火事

うんざりしていて、

自分のやしきが、火事でやけないよう、

たくさんお水を 

引き込みたかったのです

 この時、ばしょうと黄門さまは、知り合っているはずだから・・・

という、おくそく(憶測)が

やがて、

「芭蕉忍者説」に つながっていきます

 そもそも、この説のはじまりは、

・芭蕉が、忍者の里・伊賀の生まれである。

・芭蕉が仕えた藤堂家は、多くの忍者を抱えていた。

・・・・だから、あやしい

というものですが、

さらに、このあと!

 ばしょうが、東北俳句りょこう(旅行)に 出かけているのも、

ぜったい・うらがある

見る向きがあるのです。

いわく

 「芭蕉が奥の細道を旅したのは、光圀の命令で、東北の伊達藩を密偵していたのだ!

(→江戸初期は、まだ伊達家は天下統一の野心があった)

また、

関所越えが簡単でない時代に、大旅行すぎる・・」

旅費はどこから出ていたのか

(→光圀の支援があったからスムーズだった)

芭蕉は、一日に40キロ以上歩いている日がある。

 健脚すぎだろ・・

(→絶対忍者だ!)

というもの。。


なかなか、

おもしろい・うたがいですよね  (つづく)







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江戸川公園の桜・4月2日~目白散歩・1

2015-04-07 | クリン江戸散歩

 「都電荒川線」にのり、ぐるっとまわると、終点は「早稲田」です。

そこは、神田川で上下に分けられた町

 2015年4月2日、桜の開花状況は、さかりをちょっとすぎたあたり・・

 花びらが たくさんおちて、神田川にうかんでいました

 長くつづく・桜の川を、ちんざんそう(椿山荘)に向かって歩くと

「江戸川公園」の目印が・・  (神田川なのに江戸川


(つづく)

 

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すすきみみずくと、いけふくろう~雑司が谷散歩・8

2015-04-06 | クリン江戸散歩

夜叉が てん(転)じて

「子守神」となった、

きしもじん(鬼子母神)

そこには、「孝行娘の伝説」もあり、

http://blog.goo.ne.jp/cforever1/e/cb6bbda74b5404d5a2e15ff2f8660e3e

 それにもとづく、「すすきみみずく」も 売られています(※写真はクリンの手製)

ここで売られた

みみずくは、

いつしか、えんぎ(縁起)の良い・フクロウ(不苦労)にかわり、

この近くの

池袋の守り神に なりました

 「いけふくろう」に (池袋駅にて。)

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鬼子母神の伝説~雑司が谷散歩・7

2015-04-05 | クリン江戸散歩

 「都電荒川線」のせんろ(線路)をこえて、反対がわに行くと、

   きしもじん(鬼子母神)があります。 

 「鬼子母神」とは、おに(鬼)から子育ての守り神になった、女性神

インドの夜叉の 娘です。

 昔々、とついで千人の子どもを産んだ・夜叉の娘は、

近所の人の子をさらい、

自分の子どもたちに食べさせていました。

それをきいた「お釈迦様」は、

夜叉の末の子を かくしました。

半狂乱になった夜叉に、

おしゃかさまは、

「子どもを奪われる親の悲しみが分かったか

と 

いっかつ(一喝)

 夜叉は、つみを悔いて、その後、子育ての神になりましたとさ

・・・・・

そんな伝説も、本当にあったと思わせてくれるのが、

けい(境)内の大イチョウです

 (樹齢600年の子育て公孫樹

すごい・・・

 「恐れ入谷のきしもじん」  「クリン、それは台東区。場所違うからね。」(チット)




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鬼あざみ清吉の墓~雑司が谷散歩・6

2015-04-04 | クリン江戸散歩

 「豊島区・旧宣教師館」から、目とはな(鼻)の先に、

「雑司が谷霊園」が あります。

 ここは、名だたる文ごう(豪)や教育者などが眠る、

都内くっし(屈指)の 

ブランドれいえん(霊園)

 小説・「こころ」のブタイ(舞台)になったこともあり

 夏目そうせき(漱石)のはか(墓)が、一番人気ですが

・永井荷風や、

・泉鏡花や、

・小泉八雲の はかもあったりして、

「墓マイラー」が

ひきも切らず

しかし!

道あんない(案内)もなく 広いので、

全部さがすのは けっこう・むずかしい。。

 同行のジェマちゃんなど、自分の家のおはか(墓)をさがすことさえ・苦労してました

そんな中、

クリンたちが 気になったのが、

ふと目を引いた、

「鬼あざみ清吉の墓」

 (・・・・ぎぞく?)←義賊

オニアザミ・せいきちとは、

江戸時代 有名だった「盗賊」で、

「ねずみ小僧次郎吉」みたいな・ポジションの

はんざい(犯罪)者

打ち首・ごく(獄)門になっても

ここに ほうむられ、

「歌舞伎」や「講談」、

「上方落語」で 語られるほどになった人

 (・・・・いったい、どんな、むねのすく「泥棒活劇」を えんじたのかしら

クリンは きたい(期待)して

この人のこと しらべたのですが、

ちょっと ようすが、ちがいました・・。


<上方落語・要約

 清吉は、子どものころから めんどうくさい・ワルガキで、

(これは将来、ろくな大人にならない)

と思われて、

早くから ほうこう(奉公)に出されました

しかし、十年後、

いっぱしのなりをして、親元にかえってきた清吉は、

しんみょう(神妙)な言動ながらも

「奉公人」には ふさわしからぬ

大金を もっていました

すぐに、

(悪いことをして手に入れた金だ

と気づいた 両親は、

なげきかなしみ、改心するよう言いますが、

開き直った清吉は

「だったら、あばよ」と 家を出て、

ふたたび・とうぞく(盗賊)仲間と

荒かせぎする 日々へ・・・。

http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug319.htm


らくご(落語)では、

気落ちした「継母」が死に

父が身投げをはかったところに

清吉があらわれて、助ける

というストーリーに なっていますが、

 じっさいの清吉の ぬすみっぷりは、

「白昼堂々・暴力追い剥ぎ」という

すごみのあるものであり、

ダークヒーローとは 言い切れない、

生き方と 死にかただったようです。。

 政治と治安が乱れた 江戸後期の人とはいえ、

なんとなく

きょう(矯)正できない・むずかしさを

かんじてしまう

オニアザミ・・

 「触れないで」という花言葉が、似合いすぎています。。

(つづく)


 


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雑司が谷旧宣教師館~雑司が谷散歩・5

2015-04-03 | クリン江戸散歩

 「雑司が谷霊園」に向かう、住宅がい(街)に、

「旧宣教師館通り」という

小路があります

 つきあたりにたつ、さわやかな コロニアルの木造けんちく(建築)は、

「旧宣教師館」というそうです。

 ここは、かつて アメリカ人のせんきょうし(宣教師)、

ジョン=マッケーレブ

住んでいた家

布教と じぜん(慈善)と 

教育に 明けくれた、

ピューリタンの住まい・・。

 マッケーレブは、明治時代に来日し、太平洋戦争直前にきこく(帰国)するまで

50年間、日本で過ごしました

さいしょは つきじ(築地)、

のち神田・四谷・小石川、

とうつりつつ、

さいごに、この「雑司が谷」に やって来ました。

 けいけん(敬虔)なクリスチャンだったマッケーレブは、

清教徒の名に ふさわしく、

    つつましやかに くらしながら、

 まずしい人や、困っている人に ほどこしをし

子どもや青年の教育に 力をつくしました

 しんさい(震災)や、経営なん(難)で、いつも苦労

自分で作った野菜を食べて

しょっちゅう おなかをこわしながらも、

がんばって

日本人にやさしくした マッケーレブ

日本人も そんけい(尊敬)したそうです

 自分のお父さんが、兵役を拒否したのに 戦地に送られて亡くなったこともあり、

マッケーレブは 帰国後、

余生を

「良心的兵役忌避の運動」に ささげました

そういう・うんどうをする人は、

アメリカでも 

かなり迫害されるというので、

その人生は まさに

天に召される そのしゅん(瞬)間まで

ものすごく たいへんだったはず・・

 今見る、白とみどりのたてもの(建物)と 花咲くお庭は、

のんびりとして

平和そのものの たたずまいなのですが・・

(つづく)



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雑司が谷寛のランチ~雑司が谷散歩・4

2015-04-02 | クリン江戸散歩

 「護国寺」から、「不忍通り」を歩き 住宅がい(街)に入ったところに、

めざす・料亭、

 「雑司が谷寛」があります

「寛」とは、

昭和の小説家、

みすみひろし(三角寛)の名前。

その、みすみさんの家だった、

 純日本式住宅をつかった、

完全予約制、

高きゅう(級)個室料理店

    それが、「ぞうしがや・かん」です 


http://zoshigayakan.jp/rooms.html

 この日、「坪庭の間」でいただいた、3月ランチの「蘭コース」は、

春の山野草と、肉と魚の江戸前かいせき(会席)

 みすみさんが、つけもの好きで、研究本まで出しているためか、

お酒がほしくなるような、

     ちょっと・こいめの味付けです

 クリンたち、昼からのまない女子は、ほうじ茶をのんだのですが、

お料理が はこばれるたび

お茶も 湯飲みごと・かえてもらえる

という、

とても ていねいなサービスをうけ

(おお~っ)

って 思いました

 同じく、ていねいに炊かれた 桜えびご飯は ぜっぴん(絶品)で、

 おたん(誕)生日スイーツも、金ぱく付き

まさに、

高きゅう(級)料亭・・

おたん生日の ジェマちゃんを、

よろこばせることが できました

 しかし クリンたち、一ヶ所 大きくミスってしまいます

 それは、お品書きに よめないかんじ(漢字)があり、

 知ったかした・チットが、「ノビルじゃない?」と言ったのを信じて、

あろうことか!

ジェマちゃんが、

スタッフのお姉さんに、きいてしまったのです


「これは、ノビルですか?」

「・・・これは、ノカンゾウです。」

 (ミスった・・)

(つづく)



 

 








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桂昌院の護国寺~雑司が谷散歩・3

2015-04-01 | クリン江戸散歩

「護国寺最初の観光地」は、

「護国寺」です。

 駅をあがれば、すぐ・山門

 5代将軍・「徳川綱吉」が、ママのために たてさせた、ごこくじ(護国寺)

その、ご本ぞん(尊)は

ママが持ってた、

「天然琥珀製・如意輪観音像」です

 「絶対秘仏」なので、行っても おがめませんが、

それでも!

 あの つなよしママの「念持仏」を ひぞう(秘蔵)するお寺。。

ぜったい・行って、

ソンはなし

 なぜなら、つなよしママは、もとは京都の八百屋の娘のくせに、

3代将軍・家光に 見初められ

大奥に入って

つなよしを産み、

おはらさま(将軍の母)になった、

強運女性

 「玉の輿」とは、つなよしママの本名である、「たま」から取った造語、

という説も 生まれたほど・・

そんな、

つなよしママに あやかって、

    出世したい・女子 

 出世したい男子 がこのお寺に あつまります。(※三条実美や、山県有朋の墓がありました)

 ←「豊島が丘御陵」という、皇族のおはかもあり

息子が将軍になった後も、

ママは

つなよしを コントロールし、

「儒教」に ねっ(熱)中させ

「仏教」に ねっ(熱)中させ

 「生類憐みの令」を出させるきっかけをつくり

息子を

ちょっと イカレた 将軍にしました。

 江戸時代の教育ママの寺・「護国寺」。

文京区の歴史さんぽに

これ以上 ふさわしい

訪問地は ありません

(つづく)



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群林堂の豆大福、行列と注意~雑司が谷散歩・2

2015-03-31 | クリン江戸散歩

 「護国寺駅」でおりたら、何はさておき・一番に 向かわなければならないのが、

豆大福の 

ぐんりんどう(群林堂)です

いつしか、

「東京3大豆大福」と 称されるようになった

この店は、

  いつでも、長だ(蛇)の列 (※土曜日の10時台で25分並んで買い、売り切れ間近でした)

朝、9時半のスタートから

数時間で 売り切れるので、

とりあえず 買っておく

後回しには できないのです

 向かいに、「講談社」があることから、

へんしゅう(編集)者が

手土産として 作家の家に

もって行った 豆大福

美味しさが ひょうばん(評判)となり

今や

「入手難の東京名物」と なりました

 とくちょう(特徴)は、みずみずしく、やわらかい・おもち(と、たくさんの豆とこしあん)


だからこそ

ちゅうい(注意)しなければ 

なりません。

「出来立てを提供したいからデパートには出しません。」

と言ってるお店の大福を

買っておいて、

食べるのが 8時間後になってしまったら

いみ(意味)ない

ということ。

 クリンたち、家に帰ってから いただいたので、冷たくなっていました・・ (それでもまあ美味しかったですが

(つづく)

 



 

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雑司が谷散歩・1

2015-03-30 | クリン江戸散歩

たん(誕)生日の ジェマちゃんに、

チットとクリンで

お祝いの席を もうけることにしました

 場所は、「雑司が谷寛」。

としま(豊島)区の

有名料てい(亭)です。

 かん(寛)は ここ、「護国寺」と「雑司が谷霊園」の下にあるので、

ついでに

まち歩きも します

 とくに、「寛」のすぐ近くに、明治時代のせんきょうし(宣教師)、

マッケーレブの住宅があり、

この人は 来日当初

「築地居留地」で 布教していた

ということも

わかりましたので、

 <カトリック築地教会>

先日の

「築地江戸散歩」からの ながれをくんだ、

れきしさんぽ(歴史散歩)にしたいと

思います。

(つづく)

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