ペンシルハウス物語~東京日和~

-gozar de tokyo-きまま そのまま なすがまま 

西の魔女が死んだ

2008-05-27 | 観 Movie Museum
祖母は60歳で亡くなった。

考えたら当時の母は今の私の年齢とさほど
変わらぬ歳だったのかと思うと驚く。

子育て、家事に全身全霊協力体勢の父を持ってしても
育ち盛りの子供が4人もいて、

尚且つ都内でフルタイムで働いていた母にとっては
両親の協力無しでは生活が成り立たないと考えたのだろう

私が小学校4年になった年に同じ市内で引越して
母の両親と同居を始めた。

まさにそれは私にとって転機だった。

と今なら思う。

それまで子供の足で通学に30分以上かかる所に住んでいて、
しかも運悪く、物凄い根性悪な班長とその仲間達で
構成される登校班の中に入れられていた。

昔は隣近所がひとかたまりで
5~6年生を一番前にして低学年から順番に
学校までつらつらと並んで登校するスタイルをとっていた。

班長というのは一年生の荷物を持ってあげたり
歩くスピードを合わせてあげたりするんだろう。

しかし、その根性悪班長と仲間達は見送る親が見えなくなる
角を曲がると途端に猛烈ダッシュを開始するのだ。

到底一年生の足では追いつかない。
というより私を置いていくためにダッシュをしてたんだろうか。

毎朝いつも長い通学路を黄色い帽子を
かぶっているのにひとり歩いて行く理不尽さ。

夏休み明けに、母が朝顔の鉢植えは一年生には重いから
学校まで持っていってくれとその根性悪班長に頼んだ時は

ジーザス。人生の終わりを見た(気がした)

案の定その根性悪班長は
鉢植えを持ったままダッシュして見えなくなった。

学校の随分手前で置き去りにされた
実った種は全部飛び散って

何もなくなった朝顔の鉢植えを見て泣いた。


朝はそんな調子だし、

学校にいけば行ったで左利きを悪魔のごとく差別する担任から
罵声や体罰で心底うんざりし

家に帰れば当然真っ暗な部屋で
誰も帰りを待ってる訳でなく

子供でも絶望という言葉を知っていたなら
7歳の私は「人生に絶望してるの」と言ったと思う。

それが引越しにより、祖父母と同居し
学校まで5分という近さになり

根性悪達から永久開放され、

近所には同級生の女の子や優しいお姉さん達が
わんさかいて、もちろん登校班も走らない。

ここは桃源郷かと思った。

人生には楽しい事もあるじゃないかと
おそらく性格が脱皮した。


家ではいつも祖母が帰りを待っていてくれる。

小柄でふっくらとした、ぽたぽた焼きの絵の様な
姿の祖母は白いかっぽう着を身に付け

”おかえーり”と独特な節で玄関で出迎えてくれる。
おやつもお昼ご飯も家庭科の宿題も全部祖母が作ってくれた。

小さな妹や弟で手一杯の母にはどうしても甘えられない分

私は祖母に全面的愛情を求め、
祖母はそれ以上に返してくれたのだと思う。

今だからわかる。

そしてあんな無償に愛情を注いでもらえる事って
ないんじゃないかと。

家族中が祖母に全面的に甘えていて
ぽっちゃりした祖母の身体が痩せていく変化に気づけなかった。

わかった時にはもう手遅れだった。

12歳の私は小さくなっていく祖母を見るのが嫌で
どうしても病院に足が向かずほとんどお見舞いに行かなかった。

そして五月晴れのとても空が綺麗な日に
同居してたった3年で祖母はいなくなってしまった。

ぽっかりと埋められない大きな穴へ
どう向き合えばよいのかわからないのと、

母が自分を責める姿を子供ながら心配したのを覚えている。

だから「西の魔女が死んだ」を読むと
いつもいつも祖母を思い出す。

あのぎゅっと握ってくれた小さな温かい手を思い出す。
何でも出来てしまう不思議な手を思い出す。


「おばあちゃん、大好き」

「アイ・ノウ」

だから小説の一節にいつも涙が出そうになるのだ。

別の映画を観た時に予告編で映画化されると知った時
あの小説のイメージが壊れてしまうと心配したが

もしかしたら大丈夫かもしれない。


またおばあちゃんを思い出すだろう。
いや、絶対におばあちゃんを思い出す。

そして温かな気持ちになるのだ。