「こだわりをもって、こだわりを捨てる」と書いたことがありますが。
いや、当時とはずいぶん考えが変わってますけどね。コトバとしておなじコトバを想うわけです。
こだわらないことにこだわる、というか。
いや、こだわるんですよ。こだわるんだけど、
固執しちゃいけないことと、こだわりポイントは、ちがう。
簡単に言っちゃうと、「好み」の範疇については「何でもアリ」にしておいて(こだわらない)、
「いちばん伝えたいこと」だけにこだわる。というか。コンセプト、と言ってもいいかな。
そういうときに、ミクロの視点とマクロの視点を同時に持つこと。蟻と像の目線。なんでもいいけど、
些末なことと普遍性を持つことの違いを、見きわめなきゃ。
ま簡単に言うと、5年10年変わらぬ価値がコンセプトであるべき。とか、そういうことかいね。
日々のこまかい差別化にばかり窮していると、そういう目線は抜けてしまいますね。
スーパーノーマルを言い換えてるだけって気もしますが、心情的にはもうちょっと「華」のあること。のイメージ。
ま、ようするに、わたしはいまそんなことをぐるぐるかんがえつつも、しごとを楽しんでいる。ということですわ。ははは。
いや、当時とはずいぶん考えが変わってますけどね。コトバとしておなじコトバを想うわけです。
こだわらないことにこだわる、というか。
いや、こだわるんですよ。こだわるんだけど、
固執しちゃいけないことと、こだわりポイントは、ちがう。
簡単に言っちゃうと、「好み」の範疇については「何でもアリ」にしておいて(こだわらない)、
「いちばん伝えたいこと」だけにこだわる。というか。コンセプト、と言ってもいいかな。
そういうときに、ミクロの視点とマクロの視点を同時に持つこと。蟻と像の目線。なんでもいいけど、
些末なことと普遍性を持つことの違いを、見きわめなきゃ。
ま簡単に言うと、5年10年変わらぬ価値がコンセプトであるべき。とか、そういうことかいね。
日々のこまかい差別化にばかり窮していると、そういう目線は抜けてしまいますね。
スーパーノーマルを言い換えてるだけって気もしますが、心情的にはもうちょっと「華」のあること。のイメージ。
ま、ようするに、わたしはいまそんなことをぐるぐるかんがえつつも、しごとを楽しんでいる。ということですわ。ははは。