武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

氣で負けない(気持ちで負けない)

2012年07月09日 | 合氣道

今日は午前中に演武会、そして午後はその打ち上げでした。

演武会のあとの打ち上げは毎年楽しみです(写真はその風景)。

何が楽しみかというと、一所懸命やってる方々の含蓄ある言葉が聞けるから。


 沢山の目から鱗の言葉がありましたが、その中で一番印象的だったのが
 「氣を出す」
 「気迫」
 「気合」という
ことについてでした。


演武は
「お願いします」の掛け声で始まり、
「ありがとうございました」の掛け声で終わります。


その掛け声に氣迫はみなぎっているか?という話でした。

「きぇいっ!!」などの氣迫のみなぎった声や詞(ことば)はそれだけで相手を制したり、許したりする力を持ちます。(ちなみに発声・呼吸のメカニズムを生理学・解剖学・運動学・心理学的に検証する点でも西洋的なアプローチは遅れていると言わざるを得ません)

 その氣迫を自分の演武の挨拶で出来ていたか?というと反省だらけ(>_<)


『氣迫』とは何ぞや???

 本物の『氣迫』とは凄まじい力を持ちます。

 私の稽古する流派では、一時間以上ただひたすら大声を出す修業があります。先輩による激しい気合いと祓い(叩き)を背中に浴び(激励)続け、声が枯れてもひたすら声を出し続けるというもの。
 ある意味理不尽さもあるのですが、自分の限界を超えた瞬間に自信と共に氣迫がみなぎるのだと思います(私はあまりに厳しい修業故に2回でリタイア(>_<)
 でも、もう少し成長したら修業に復帰しようと思ってます)。

 10年前は大声で気合など何を旧石器時代の事を言っているんだと思ってました。根性論だろう、と。
 
 ですが、脱力や腑抜けではだめなのです。余計な力は完全に抜きつつ気合だけはみなぎらせるのが東洋の鍛錬的に大切。

 この点は安易に虚脱に近いリラックスを求めたり、単純に筋力・筋肉をつける西洋的スポーツとは大きく異なります。


 氣迫のみなぎった声は聞けばすぐに分かります。


 普段、自分は氣迫を十分出しているか?


 私はそれなりに努力してきたので、そこら辺の人には負けないだけの気概はあります。ですが、十分かつ適切な氣迫を出せてるか?単なる威圧になってないか?遠慮しすぎていないか??というと…

 まだまだ、足りてないなぁと深く考えさせられました。

 明日から、というより今から『氣迫』みなぎる言動になるよう稽古しようと念いを新たにできた今年の演武会でしたo(^-^)o

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