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ついに謎解明? 旧小西家住宅 【船場探訪】~大阪府 道修町 ~

2015-07-01 22:17:22 | 大阪

 今年の春に初めて道修町を訪れた時、現代的大阪都市のど真ん中で突然目に飛び込んできた由緒ありげな木造住宅。一体これは何だ!? と不思議で仕方ありませんでした。調べていくうちに明治に建てられた登録有形文化財と知ったものの、外観がカッコイイこと以外は謎のまま。

 それでも地元の方に聞いたりして、まず『ボンド』で有名な会社だとわかり、会社のホームページを見たりしてるうちに、少しずつ全体像が見えてきました。という訳で、本日はその一部をご紹介です。

 始まりは明治7年、初代小西儀助が小西屋の称号で薬種商を始めました。そして、当時は薬品とみなされていた洋酒製造を試みます。この小西商店に奉公して洋酒に興味もち、その後独立して葡萄酒の製造販売を始めたのが、サントリーウイスキーの創業者、鳥井伸治郎氏です。

 また、家業を営んでいた頃、小西儀助商店主を後見人の一人としていたアサヒビールの初代社長山本為三郎氏は、小西儀助商店がかつて売り出しに失敗した「朝日麦酒」の名前を受け継ぎ、現在のアサヒビールの基礎を築いたそうです。この近くにはニッカウヰスキー始まりの地もありますし、薬と洋酒の結びつきは強いようです。

 一時は問屋業を営んでた小西商店の名を高めたのが、昭和27年に販売開始されたボンドです。黄色いボディに赤いキャップの木工用ボンドは、学校の工作でも使いましたね! アロンアルファもコニシの製品です。今では各地に事業所を持つ大会社となったコニシ。現在の大阪本社はこの旧小西住宅の隣の北浜TNKビルに入ってます。でも、この旧小西家住宅、いまだ現役っぽいんですよね。中で何が行われているかは謎です。

内部非公開ですが、訪れる人が多いのか、入り口に解説付きの写真が貼ってあります。

 旧小西家住宅は、洋酒製造業で莫大な借金を抱え込み、苦境に陥った小西商店をたぐいまれな才覚で立て直した二代目儀助によって建てられたもの。広大な特等地を購入し、木材集めから細部の意匠までこだわり抜き、3年の歳月をかけ完成させました。こだわりの建築です。

 

これ、釘でしょうか? 飛び出し方もオシャレ。

 明治44年の市電開通時に敷地を提供したり、関東大震災後、耐震目的で主屋の三界部分が撤去されたりの改造があって、現在の外観となりました。3階建ては見てみたかったですね。ていうか、これよりもっと広くて立派だったってことは、そうとう羽振りがよかったのでしょうか。

 周りはすっかり近代的ビルに変わる中、悠然と構える旧小西家住宅ですが、今日に至るまでには多くの危機がありました。そのひとつは昭和20年3月の大阪大空襲です。道修町も堺筋と一つ東の八百屋町筋の間の両側がほとんど焼失したなか、当時の小西商店の東隣にあった岸田化学が社長以下営業所員の奮闘でさらに東隣の当時田辺薬品の「家屋を半焼させた火炎が壁越しに噴き出してくるのをやっとのことで食い止めることができた」(『キシダ化学六十年の歩み』―「船場 道修町」三島佑一著より転載)。そのため、奇跡的に類焼を免れました。また平成7年(1995年)の阪神淡路大震災でも、古い木造住宅が倒壊する中、ほぼそのままの姿を保持できたそうです。二代目儀助のこだわりが、長命という点でも実を結んだということでしょうか。未来に残る立派な建物を、と初めから考えていたのかもしれませんね。いずれにしろ、生き残るには努力と運の両方が必要です。

 いろいろ歴史を知るにつれ、妙に愛着が湧いてきた旧小西家住宅。いつか中に入ってみたいものです。

 

様式は古いですが、瓦や壁はきれいです。大事に手入れされてますね。

 


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