桂離宮を知ったきっかけはマンガでした。
『エースをねらえ!』というテニスマンガ(ああ、年がバレる)で、オーストラリア人のエディを、藤堂が日本の素晴らしいものを紹介する的なコンセプトで案内したのですが、そこでエディが
「素晴らしすぎて息が詰まるよ! まさか桂離宮を見ることができるなんて」
と大絶賛。しかも、予約しないと入れないという貴重さ。今みたいにネットなんかない時代、画像を見ることもままならず中身は謎に包まれたまま、「日本一の庭園」という言葉だけが私の頭に焼き付いて、強烈な憧れを持つようになったのです。
けれど「数か月先の予約」というのがネックになって、元来面倒くさがりやな私は、いつかそのうち、と言いながら行動には移さずにいました。あっという間に数十年が経過したころ、突然、日本文化に目覚めました。片っ端から遺跡や庭園を巡る中で、便利な世の中です、ネット予約ができることを発見、ようやくこの年になって訪問がかなったのでした。
たくさんの方がブログに訪問記をアップなさってますし、NHKでもたびたび特集が組まれ、DVDも出てますから今更私ごときがあれこれ説明せずとも、いいものがいっぱいあるので、印象に残ったところ、個人の感想をつらつらとつづっていきたいと思います。
まず、感嘆したのが桂垣。
ただ竹が繁っているだけのように見えますが、実はこれ、ハチクという竹を編んであるんです。裏側からみると竹が地面に生えたまま首根っこ掴まれて道路側に前のめりになった状態で固定されるというすごい状態です。そんなですから定期的なお手入れが欠かせないそうです。この見栄えのために延々編むというお仕事をする方がいらっしゃるんですね。美を追求する道は厳しいです。
桂離宮は17世紀に智仁親王によって作られました。この方は秀吉の子として迎えられたのに秀吉に実子ができて追い出されちゃったり、政治に翻弄されてしまった方です。桂離宮にのめりこんだのも、そういうことに嫌気がさしたからだと記憶します。
桂離宮に行く前に、やはり宮内庁管轄の修学院離宮に行きましたが、こちらは歩き疲れちゃうくらいの広大な庭園です。後水尾天皇のご機嫌をとるために幕府がお金を出したといいますから、いや、確かに気持ちいいけど、道楽にご公儀の金をこんなに遣っちゃったの!? とちょっと引きました。
一方、桂離宮はいわば茶室の発展版ですから、基本の思想は質素なものです。その中でいろいろ工夫を凝らし、楽しもうという訳です。一つにはリズムとバリエーションですね。あちこちに建物があるのですが、それぞれに趣が違う。窓から田植えなどの田園風景を楽しむところ、石の組み方を楽しむところ、こちらでは見られない地方の趣のことなる植物を植えることなどなど。
そしてその一つ一つが一望できないように工夫されています。先への期待と今ここに集中することと、二つの心持ちが味わえるのです。
もう一つ、いかに日常から離れられるか、に心を砕いているのも特徴です。
有名なのは「草・行・真」と呼ばれる敷石ですね。入り口、中ほど、そして最後と三か所に敷石が引かれているのですが、最初が「行」
「行」いろんな大きさの石が混じっていて、まだ心が落ち着いてない様子を表しているのだとか。
「草」すこし揃ってきました。浮世の憂さが遠くなった?
そして「真」の敷石に来た時には心が調っているというわけです。このときは残念ながら私の心が調わなかったらしく、どうやらシャッターを切っていません(^^; なんでかなぁ。みんなが石を撮るから出遅れたのかな。
ちなみに東山魁夷画伯がこの「真」のスケッチを描かれているのを見たことがあります。
また、それぞれの建屋に行くまでの道が細くて足場が悪いのも、わざとなんだそうです。早歩きできないから景色をゆっくり眺めることになるし、心を落ち着けることができるんですね。
そうして心を落ち着けて最終的に何をするかと言えば月見なんです。まずはその名もずばりの月波楼。
まるで船の中から景色を見るような風情、天井も、船底を模しています。
そして、月見台。
ただ月を見るためにこんな台が出っ張ってるんですよ。凄くないですか。やっぱり桂離宮は月を見るための場所なんです。ここ以外にもつくばいに月が映るように設計されてたりだとか、
私の記憶が確かならば、この月見台、本物の月と、池に映る月と両方を眺めることができる時間もあったんだとか。
ここまでくると執念です。
現在の桂離宮は予約制で、ガイドの方と一緒にグループで回るので制約を感じますし、書院の中に至っては全く立ち入り禁止なので、楽しみにしていた桂棚や、月読の引き戸の金具も見られず、正直、物足りないところも多かったです。それでも、写真などではなく実際に行くことをお勧めします。なぜならここは三次元の美しさを前提に作られていると思うからです。
ぜひ自分の足で歩いて、突然現れる景色に目を奪われ、石の上を慎重に歩いているうちに次第に心が落ち着いてくる感じを体感していただきたいと思います。
昔は自由に見てまわれたみたいですけどね。以前、川端康成の小説で、デートしてた二人がおしまいまで見終わって、もう一度最初に「戻った」というくだりを読んで愕然としました。今は逆走なんて絶対無理。ガイドさんに怒られます(笑)。
昭和の大修理の後に、こうした制限がかかったのではないかと推測してます。残念ですが、大事な文化財を守るためには仕方ないですね。
先日、別の記事で「木々を眺め、夜には月を見てお酒という贅沢」というコメントをいただきましたが、そんなわけで桂離宮を自由に味わうのはおろか、月見なんて、我々庶民には決してかなわない贅沢というわけです。
それでもきっと、ここを訪れた人は夢を見る。
広い月見台に座り、盃を傾け、優雅に扇子を仰ぎながら、闇夜を見上げる。そこには、智仁親王も愛でた同じ月が浮かんでいる。
その青白い光を浴びれば、時間も空間も飛び越えて、あらゆる人間と自然とに繋がる。そんな幸福を想像してしまうのです。
外国のどんな豪華なお城であっても、日本庭園のすばらしさには、比べようがないと思います。
どれだけハイテクな時代になっても、やはり日本人は自然を愛でるのが好きなのだと思います。
どちらも末永く残していってほしいお庭です