火の神様で有名な宝塚・清荒神の境内の一角に、鉄斎美術館があります。幕末に生まれ、大正13年(1924年)に89歳で亡くなるまで数多くの作品を残した富岡鉄斎の作品が納められている美術館です。
左にある木は薄墨桜。
入り口には鉄斎ゆかりの地である貴船や鞍馬、天龍、伊予などの石が配されています。
ガラス扉の把手。
鉄斎は画をほぼ独学で学び、画に『讃』をつける文人画や、印章や焼き物などその作品は多岐に渡っています。その画風は、ゴーギャンを思わせる自由闊達な力強さに、飄逸さがにじみ出る独特のものです。
ご本人は亀仙人(失礼^^;)みたいな風貌で、ちょっと浮世離れしてます。個人的には鉄斎の描く山の形(笑)が好みです。
今回の展覧会は、鉄斎が20歳のころから故あって同居していた45歳年上の尼僧・歌人・陶芸家であった大田垣蓮月との合作を中心に展示されています。
人を食ったようなやんちゃな若き鉄斎の画に、あくまで柔らかく繊細な筆致の蓮月の和歌が不思議に調和して、歳は離れていたけれども、いい関係だったんだなと思います。通い合う心が『作品』という形で実際に目に見えるのは素敵なことですね。
蓮月が焼いた器の箱書きが鉄斎だったりするのですが、側面全部にびっしりと風景が描かれていたりして、「蓮月婆」なんて書いたりしてますが、愛が溢れてます。
どちらも若い頃はとても苦労 したようですが、そんなことは微塵も感じさせません。むしろ福禄寿が相撲で投げ飛ばされていたり、また別の絵でやはり福禄寿の頭が宇宙人みたいにびよよんと長く伸びていたり、ユーモアあふれる絵がたくさんで、声を出して笑ってしまいました。
蓮月の和歌の一句一句に鉄斎が挿絵をつけている歌集がありましたが、つかず離れず、でも間違いなく世界を共有している二人の絆を感じました。
手紙も印象深かったです。鉄斎が蝦夷や長崎に赴くときに蓮月が歌を詠んで贈っているのですが、肉筆の手紙は、身体の一部を分けてもらうというか、寄り添われている感じしますよね。もちろんメールも嬉しいんですけれども、三次元である分だけ重みが増す気がします。
厳しい寒さが続く折、思いがけずほのぼのさせてもらった展覧会でした
コメントありがとうございます。
清荒神はお参りしましたよ!
順次アップ予定です。
ピョンピョンさんのきれいな写真を拝見したあとなので、違う切り口での紹介を思案中です。
「火箸納所」は大きいのや大量の火箸が積んであるところですよね?
はい、行きました^^
凄いですよね。思わずしゃがんでまじまじと見てしまいました(笑)
また写真アップします
何の知識もなく、お参りに行った私とは・・・
勉強になります。
「火箸納所」はごらんになりましたか?