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生きた建築ミュージアム探訪 3 貴重な三階建ての町屋・北野家住宅

2015-11-05 19:15:40 | 大阪

古い映画のセットみたいな使用人部屋。

 

先日ご紹介したガスビルの向かい、平野町通り沿いに大阪大空襲を奇跡的に免れた町屋が残っています。1928(昭和3年)ごろに建てられたと言いますから、ガスビルよりちょっと先輩ですね。こちらも今回のイベントで限定公開されていました。

まず度肝を抜かれたのが、入り口に貼ってあった新聞記事。

大空襲あとの大阪を映した米軍フィルムらしいのですが、白い円で囲まれた黒い建物が北野家住宅です。ほんとに一軒だけぽつり。こんなことってあるんですね。

罹災を免れた理由の一つとして、「袖うだつ」(屋根の両側に張り出した壁みたいなやつです)や、軒の下を覆う「箱軒」と呼ばれる銅板、2、3階の壁に貼られているタイルなど高い防災技術が一役買っていると言われています。でも、疎開していた家主が戻ってきた時には押し入れに不発の焼夷弾が刺さっていたといいますから、奇跡的な運の良さがあったことは間違いありません。

見学人数を制限しているので、少し並んでから入ることができました。たくさんの方がいらしたので、引きの写真を撮ることができずアングルも選べなかったので正直イマイチなのですが、とりあえず資料的に、撮れた写真をご紹介します。

2階の飾り棚。

床の間。

押し入れに入っている箪笥。この右奥に不発の焼夷弾が刺さっていたそうです。

調度品はすごくキレイだし、家の保存状態は素晴らしいのですが、築80年越えなので老朽化は免れないらしく、「たくさんの人が一か所にいると、床が抜けてしまうかもしれないので、お早めに3階へお願いします」みたいなことをおっしゃってました。言われてみれば、畳の上を歩いていても心もとない箇所がいくつかあるような気が^^;

慌てて3階へ上がります。ちなみに冒頭の使用人部屋は3階にあります。

凝った欄間が昭和っぽい。

モダンな襖柄。

当時貴重だったガラス窓もそのまま残されています。

当時の技術の限界なのか、はたまた昔の人は達者だったからなのか、古い家の階段てどうしてこんなに急なんでしょう。よろけたはずみに手すりを掴んだらグラグラで今にも外れそう。壊したらやばすぎる 窓際も、もたれかかったりしたらバリンといきそうで怖かったです。なので、壁際でないヘリを(真ん中は真ん中で抜けそうで怖いので)そっと歩いてひっそり見学、そして長居は無用です。せっかく残ったお家、できる限り長く残って欲しいですもんね。

3階なので、昭和な木枠の窓ガラス越しに電線が見えるというちょっとシュールな眺め。

こちらも一階にオーナーさんがいらっしゃいましたが、もともとここは青物屋さんで、現オーナーさんも「社長」と呼ばれていらっしゃいましたので、お商売人らしいピシッと背筋の伸びた、でも華やかな雰囲気のある方でした。

昔の大阪を偲ばせる町屋、頑張って保存してほしいです。


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