防災士日誌

自然災害における防災活動、救助訓練などの参加レポート

地震考古学

2008-11-30 10:46:50 | 防災・減災 知識
おはようございます。

昨日は大阪市立自然史博物館の特別展「地震展2008」記念講演会 「地震考古学から21世紀の巨大地震を考える」 を聴講してきました。
講師は寒川 旭先生(産業技術総合研究所)でした。

寒川先生はとても温厚な感じで、講演も初心者にも分かりやすく時にジョークも言われるので時折笑いも入り、寒川先生自身は小さい頃に漫画家になりたかった事もあり自画像入りのスライドも取り入れ楽しく理解しやすい講演会でした。


【地震考古学】

1986年春、琵琶湖北西岸の高島市今津町で行われた北仰西海道遺跡の発掘調査で、大地震の痕跡が発見されました。砂の詰まった割れ目が真っ直ぐにのびており、「液状化現象」によって、砂を大量に含んだ地下水が地面に流れ出した痕跡とわかりました。地震の年代は縄文時代の終わり頃でした。
その後、全国の遺跡から地震の痕跡が発見されるようになりました。考古学の遺跡には、建物跡などの「遺構」や、茶碗などの「遺物」がたくさん埋まっています。発掘調査で地震の痕跡が見つかった場合、年代わかる遺構や遺物との前後関係を考えることによって、地震の発生した年代を絞り込むことができます。日本では、千数百年間におよぶ文字記録が残されていますから、考古学的に絞り込んだ年代を、文字記録と照らし合わせることによって、痕跡の原因となった時代の発生年を知ることも可能になります。
また、遺跡調査の過程、液状化現象や地割れなどの地震痕跡について、様々な視点から詳しく観察することができます。
このように、考古学の遺跡で地震の痕跡を研究する分野が「地震考古学」で、正式には1988年5月に誕生しました。


【温故知新】

地震考古学から過去の知られていなかった地震が明らかになり、またそこから東海・東南海・南海地震などの海溝型地震の周期が細かく分かってくれば、今後の防災・減災へ大きくつながると思いました。
100~150年の周期で発生する東海・東南海・南海地震で、1854年に発生した安政東海地震の震源域のうち、東南海の部分では90年後の1944年に東南海地震が発生し、プレートの歪みが解消されましたが、東海地震の震源域では地震が発生していないので、いつ起きてもおかしくないとよくTVとかでも言われていますが、寒川先生の見解は次の南海・東南海と東海地震が同時に起きる可能性もあると言われていました。
そうすると阪神・淡路大震災の何十倍ものエネルギーが地上に放出されるので被害も甚大です。
災害は忘れた頃にやってくるのではなく突然やってきます。
その突然の出来事で後悔しないように、私もそうですが皆さんも防災・減災に少しでも取り組んでください。

大阪市立自然史博物館


今日はこれから大阪市立博物館の「地震展」の一環として活断層を歩くシリーズ「上町断層」を歩いてきます。
またブログで報告させてもらいます。

それでは皆さん良い休日をお過ごしください。

防災士を目指したきっかけ

2008-11-23 23:24:03 | Weblog

こんばんは。

日中、外は寒かったですが少し寒さがやわらいだ感じがします。
今日はブログの順番が入れ替わりましたが、私が防災士を目指したきっかけをお話したいと思います。

【阪神・淡路大震災】

 前回の「野島断層」の際に私の父が阪神・淡路大震災の8ヶ月ほど前(前回のブログでは半年としてしまいましたが・・・申し訳ありません)に亡くなった話を少ししましたが、父は寡黙な人というのと10年以上もの長い闘病生活というのもあり1日に一言話すかどうかという生活でした。
でも亡くなった瞬間から火葬場での最後のお別れまで泣いてばかりだった記憶があります。
それからしばらく母と2人暮らしでしたが家の中がどうしても暗くなってしまうので、母が知人に子犬を譲り受けてきました(私のプロフィールの写真の愛犬です)。
愛犬が来てからは家の中も少しずつ明るくなりました。


しかし愛犬が来てから4ヵ月後の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きてしまいました。


当時は通勤で使っていた電車が止まってしまい会社には行けなかったので家でニュースを観ていると次第に被害の状況が明らかになり、震災の甚大さに驚愕した記憶があります。
それから毎日ニュースを観ましたが、今でも何より心に残っているのが地震で親や子供を亡くした人たち、それに飼い主を失ったペットたちでした。

※写真は震災時の傷跡です。

 【家族】

阪神・淡路大震災が記憶から薄れ、約4年後に妻と出会い震災から10年後に息子ができました。
息子が生まれた時に亡くなった父とのいろんな記憶がよみがえりました。
今、父が元気でいてくれてたらいろんな話ができたのになって、後悔と寂しさを感じる時があります。
父が病気で亡くなってもこんな気持ちなんですから、自然災害や不慮の事故で家族を亡くされた方たちの気持ちは計り知れないと改めて感じました。

【衝動】

そんな時、ある防災センターに友人と行く事があり、防災体験をしたのですが、途中に被災直後の街並みを再現した場所で「パパ、ママ、怖いよ~助けて」と家の中から録音されたものが流れてきて、それを聞いた時は全身に電気が走った感じがしました。
もし自分が被災して子供を残してしまったらって思うと、何かしないといけない衝動に駆られました。
いろいろと調べていたら防災士のサイトにたどり着いたわけです。
サイトにある防災士のするべき事を読んで、これだと思い資格取得に動きました。
普段、勉強なんて面倒で嫌いだった私が生まれて初めてといってもいいくらい猛勉強しました。
そのお陰か資格を無事取得し、今に至ります。
日本は1990年代より地震の活動期に入ったと言われています。
自然災害は突然やってきます。
その時に防災・減災をしっかりしていれば自然災害で亡くなる確立が大きく減らせます。
何もしないで大切な人を亡くせば後悔してもしきれないです。
ブログ内で何度も言ってますが、どうか自分自身、最愛の人たちや友人、知人を守れる防災・減災はしてください。

それでは今日はここまでにします。

おやすみなさい。


野島断層

2008-11-19 23:01:07 | 災害史・災害跡・防災施設を訪れて
こんばんは。

今日は2年前に訪れた北淡震災記念公園で、ご存知の方もあられると思いますが阪神・淡路大震災(兵庫南部地震)で唯一地表に現れた国指定天然記念物でもある野島断層を紹介させてもらいます。
あとここには断層を横切る民家を、メモリアルハウスとして保存され、敷地内を走る断層や地震において傾いた建物も公開されています。


【野島断層】

六甲断層系の活断層(右ずれ0.9~1m/1000年、東側隆起0.4~0.5m/1000年)。
江崎灯台から南西へ7Kmほど伸び、約2000年前にも活動している。
阪神・淡路大震災では江崎灯台付近から富島地区までの総延長10Kmにわたって活動した。
山側の岩盤が海側から見て右へずれており(右横ずれ)、山側が海側へのし上がった(逆断層)ようになっている。


《阪神・淡路大震災(兵庫南部地震)時の私は》

阪神・淡路大震災当時、私は実家のある大阪市西部に母と愛犬と暮らしていましたが、神戸よりというのもあり凄い揺れで棚の物がほとんど落ち、また震災の半年ほど前に父を亡くしているのもあり忘れれない地震でした。
当時はまだ20代半ばというのもあり、災害ボランティアという存在を知らなかったので募金といった事しかできなかったのが辛かったです。
今でもこうして震災の傷跡を見て回るのは、あの時の大惨事を忘れないためと最愛の人たちを守る覚悟を決めるためです。

これからも防災士として成長していくためにいろんな技術を身につけ、災害の知識を学び知恵をつけ、災害の傷跡を見て、いざ災害時に1人でも多くの命を守れるように頑張ろうと思います。

それでは今日はこの辺りで終ります。
一気に寒くなってきましたが、皆さんも風邪などひかないように気をつけてください。

おやすみなさい。

初めての災害ボランティア

2008-11-14 23:12:13 | Weblog
こんばんは。

一昨日の11月12日(水)は、中国・四川大地震から早いもので半年経ちました。
被災者の生活再建、被災地の復興にはまだまだ時間がかかりそうだと、ある新聞の記事にありましたが、これから厳しい冬を迎えるにあたり被災者の方々には体調を崩されない事を願うばかりです。

今回、中国・四川大地震の記事を見て思い出したのが、昨年2007年7月16日に起きた新潟中越沖地震の被災地である柏崎市です。
ここは私の住んでいる市の災害ボランティアから行った活動場所で、新潟中越沖地震発生より遅れて2週間後に向かいました。

初めての災害ボランティアという事もあり緊張していましたが、何より被災者の方とどう接したらいいのかが気がかりでした。
しかしそんな気がかりとはよそに私たちの前では家が半壊しているにもかかわらず、優しく接していただき、今でもあの時の気持ちが忘れられません。
でも休憩時にいろいろと話していると、やはり家を建て替えるには年齢的な事や金銭面で不安が大きいと言われていました。
私たちはその場では聞くしかできませんでしたが、ボランティアが終わり最後は笑顔で見送ってくれた事が印象的でした。
その後、2日間の災害ボランティアを終え、帰路につきましたが、1年後にどれだけ復興しているか訪れたかったのですが、仕事が忙しくなりいまだに行けていません。
いつか機会がある時に元気になって見事に復興している柏崎市に訪れたいと思います。
そして災害ボランティアで出会った被災者の方々に笑顔が戻ってることを願います。

それでは皆さん、今日はこの辺りで終ります。

おやすみなさい。

防災士とは?

2008-11-08 22:37:16 | Weblog
こんばんは。

寒くなってきましたね。
こんな日は鍋でも食べながら日本酒で一杯やりたいものです。


今日は防災士について防災士教本より簡単に説明したいと思います。


「防災士」の定義

「防災士」とは、“自助”“互助”“協働”の形を通して、社会の様々な場で災 害時の減災と社会の防災力向上のための活動が期待され、かつそのために十分な意識・知識・技能を有するものとしてNPO法人日本防災士機構が認定した人たちです。


「防災士」の“平常時”および“災害時”の活動について

【平常時】
防災意識・知識・技能を活かした災害への備え、家族・地域・職場の啓発。自宅や職場の点検、家具転倒防止。防災訓練の実施。

【災害時】
被害最小化に向けた活動。公的支援が十分でないときは近隣・地域・職場の救援活動(初期消火、人命救助、弱者支援など)。被災者支援。


今日は「防災士」について簡単に簡単に説明しましたが、防災・減災にはいろんな形や考え方があると思います。
いざという時に皆さんが自分自身、自分の周りの大切な人の命を守れる備えだけはしていてほしいなっと思います。

それでは今日はこのあたりにして、皆さんも体調を崩さないように気をつけてください。
私自身は会社でのストレスで胃の調子が…なんて今晩はさっさと寝ます
おやすみなさい。