防災士日誌

自然災害における防災活動、救助訓練などの参加レポート

いつか息子と・・・

2012-07-26 20:49:45 | 災害ボランティア活動

こんばんは


今日もほんまに暑かったですね。。。

私の職場の温度計も39℃目前で、現在の作業はあまり休憩ができないうえに、重労働な
ので正直大変ですし、作業が終った後は疲れがドッときますが、同僚の方ともっと暑い職場
もあるしなぁと励まし合って頑張ってます。





先日、帰宅して嫁さんも息子も観たいTV番組が無かったので、録画していた番組を観よう
とハードディスクをチェックしていたら、東日本大震災のドキュメント番組があったので、観て
いましたが、はじめて観る番組ではなかったのですが何度観ても私だけではなく、嫁さんも
息子も観入ってました。

そんな息子に「いつかお父さんと災害ボランティアに行こな」って言うと、息子が「明日行こっ
!」と・・・ほんま分かっとんかな・・・と思いましたが・・・
しかし息子が「前にお父さんと土運んだりした時のやろ?」・・・と2010年3月に名古屋で技
術系災害ボランティアのkurosawaさんやのぶさんが講師となって行なわれた、移動寺子
屋in名古屋で家族で参加した時のことをよく憶えていました。



土嚢を運ぶ訓練に参加した時の息子(5才 幼稚園年長)


息子とはいつ行けるか分かりませんが、私自身は再度東北に行けるように頑張ります。


現在も東北、九州で活動されているkurosawaさんや吉村誠司さんやのぶさんのブログを
紹介したいとおもいます。
もしお盆休みに東北支援を考えられている方々の手助けになると思います。


続・雨ニモマケズ風ニモマケズ(kurosawさん)

http://blog.canpan.info/coco/

吉村誠司の地球日記

http://williamseiji.wordpress.com/

のぶろぐ(のぶさん)

http://nobu109.cocolog-nifty.com/blog/


今晩はここで終わります。


奈良県野迫川村 炊き出しボランティア

2011-10-16 22:48:18 | 災害ボランティア活動

こんばんは


10月13日は、日本防災士会奈良県支部のメンバーと共に奈良県野迫川村北股地区にて
炊き出しボランティアに行ってきました。

今回、私が所属する日本防災士会奈良県支部の事務局長の知人の野迫川村の教職の方
より事務局長に連絡があり、事務局長が現地に訪れ役場住民課長の方と地区総代の方に
お会いし避難所の方々の困難や要望を聞いてこられました。

避難所では、女性の方達のグループが食事を作られているとの事で、少し楽をしてもらえれ
ばと炊き出しをしようという事になり、避難所の方々が魚介類を食べたいとの事で事務局長
の機転で宮城県女川町からサンマ、同県石巻市十三ヶ浜からワカメを取り寄せました。



宮城県女川町 海鮮「山昭」さんのサンマ


ワカメの写真は撮れませんでしたが、宮城県石巻市十三ヶ浜から取り寄せたものです。

今回、奈良県支部から15名が参加し、お昼御飯にサンマ定食を晩御飯におでんを作ること
になり、分担作業で皆が一生懸命避難所の方に美味しく食事をしてもらおうと頑張ったおか
げで、サンマを焼くのに少し失敗はあったものの、避難所の方々からは、「美味しかったです」
と言ってもらえました。





避難所の方々がすべて食事を終えて晩御飯のおでんの仕込みまで時間があったので被害
のあったところを見にいこうと思ったのですが、今回被害のあった避難所から一番近い北股
地区は土砂ダムの影響がある地域で立ち入り禁止区域になっており、避難所の方々も自宅
に帰れず本当に苦労されている事を感じました。
昼の休憩時間には、避難所の方に災害時の状況のお話を聞けましたが、先日天川村に行
った際にも同じようなお話が聞け山間部での水害の恐怖というものが少し感じれた気がしま
した。

その後、晩御飯のおでんも「美味しかったです。」と言ってもらえ、最後に個人的に持ってい
ったイコマ製菓のレインボーラムネ(予約販売でしか入手できない人気のラムネ)を子ども
たちに食べてもらおうと持っていったのですが、小さな子が2人しかおらず、たまたま食事に
来ていた小さな女の子に渡したところ満面の笑みを見せてもらった時には、大げさかもしれ
ませんが、災害ボランティアをやってきて良かったと心底思えました。



イコマ製菓のレインボーラムネ


もちろん今回、東日本大震災の被災地である宮城県と紀伊半島豪雨災害の被災地である
奈良県が手を取り合えた事にも感動しました。

晩御飯を終え後片付けも済み野迫川村を後にする際には、残っていた避難所の方々が並
んで見送っていただいた事には感謝の気持ちで一杯でした。


  


東北の支援も紀伊半島の支援も自分ができるだけの支援を今後も続けていこうと思います。


今晩はここで終わります。


奈良県天川村 災害ボランティア

2011-09-13 19:13:48 | 災害ボランティア活動

こんばんは


10日(土)に台風12号の豪雨災害による被害で天川村に災害ボランティアに行ってきまし
たが、すぐにブログに更新するはずが消防団の定例会があったり、会社の書類作成があっ
たり、いろいろとあり更新が遅れてしまいました。。。

今回のボランティアは、私が住む市の社会福祉協議会より電話があり、9月9日より13日ま
で奈良県天川村で災害ボランティアがあると連絡がありました。
8日には先発で行かれるとの事で私が所属する市民災害ボランティアも一緒にとお誘いを
受けました。
しかし、8日9日と甲種防火管理者講習があり私は行けなかったので、10日(土)にしてもら
いました。

10日(土)は、朝4時半に起き、橿原神宮前駅前ロータリーからボランティアバスに乗り天川
村に向かいましたが、行く途中バスの中で2年前の兵庫県佐用町豪雨災害時の事を想い
活かせる事がないか考えていました。

現地につくと違和感が・・・佐用町の時は、ボランティアセンターから被災者宅まで泥が乾い
た道のりに、埃がひどく所々に泥があったのに、天川村では道路に泥?というものがなく、
埃もあまりなく、一見被害が少なかったのかと思ってしまうほどで、のちに被災者の方から
話を聞くと、豪雨により水位が一気に上昇したのに、水が引くのも早く家屋内の床下にも泥
が溜らなかったみたいです。
しかし床上浸水がひどく畳や家電製品、家具などが水に浸かってしまい廃棄しなくてはい
けないものが多くまた家自体が古く水を含んだ床は抜けてしまいそうで、補修費などもあり
被災者の方にとってとっては今後大きな負担となりそうです。





今回、被災者の方のニーズは、水に浸かってしまって使えなくなった畳や家電製品などを
廃棄場所に持っていく作業でしたが、週末のボランティアのせいか、朝一番の廃棄物が夕
方には倍近くの量になっていたのには、水害での損失が大きいという事が分かります。

天川村での災害ボランティア中に被災者の方が山を指し2カ所の崩壊現場を教えてくれま
したが、現実にみると自然の脅威を感じました。





その後も、天川村で行方不明になられている教師の方が住まわれていた教員住宅も見に
いかせていただきましたが、言葉を失うしかありませんでした。
私が行った時より消防のレスキューが水中を捜索しておられましたが、今日(9/13)の段階
でも見つかっておられません。
本当に1日も早く見つかってほしいと心より願います。
(教員住宅の写真は撮ってはありますが、今回は掲載いたしません。)


被災者の方にはお見舞いを申し上げるととに、亡くなられた方がたには心よりご冥福をお祈
りします。


合掌


明日は奈良県天川村・・・

2011-09-09 21:08:55 | 災害ボランティア活動

こんばんは


明日は奈良県天川村での災害ボランティア行きが決まったので、防火管理者講習を終え、
会社に帰り雑務を済ませ、帰宅後に明日の段取りをしていたら・・・火災を知らせるサイレン
が・・・大急ぎで屯所に向かいました。

何とかギリギリでポンプ車に乗り込み、現場に向かいましたが、職場の配電盤がショートし、
初期消火にて無事に鎮火したみたいで、早々に解散となりました。

そんなこんなで、明日の段取りをしないといけないので、また明日以降に報告させていただ
きます。


それでは今晩はここで終わります。


台風12号 奈良県・和歌山県での災害ボランティアはじまる

2011-09-07 21:27:46 | 災害ボランティア活動

こんばんは


今日、会社から帰宅すると、妻が「和歌山県でボランティアセンターが立ち上がったみたい
やで」と言うので、私も妻に「奈良県南部も迂回路が開通したんかボランティアセンターが
立ち上がったみたいで、土曜にでも行ければいくわ」・・・と言うのも、社協の方より電話が
あり、明日被災地に行くのでと一緒に?と言われましたが・・・タイミング悪く、明日は業務
命令で防火管理者講習を受講しに行かなくてはならず、10日の土曜に希望しました。

当初、10日の土曜は和歌山の親友の様子を見に行く予定でしたが、親友も仕事が忙しく
なってきたみたいなので、急遽地元奈良県でのボランティアとなるかもしれません。
とにかく明日か明後日に詳細がわかるので、また報告します。

しかし奈良県でのボランティアは、最低でも1週間強はかかると思っていましたが、思って
いた以上に早くて良かったです。
地元なので可能な限り災害ボランティアに行くようにします。


それでは今晩はここで終わります。


東日本大震災から5カ月

2011-08-11 21:11:43 | 災害ボランティア活動

こんばんは


明日からやっと盆休み・・・と言いたいところですが、いろいろと予定が詰まっていて明日か
ら早速行動です。。。

今週は、本当に忙しく、昼に御飯を食べる事以外はずっと作業していたので、今日の定時
を向かえた時は、ホッとしたのか脱力感一杯でしばらくはイスから動けませんでした。。。
おまけに職場内の室温が40℃になった時は、さすがに苦笑いしかでません。でも仕事なの
でグッと我慢!





前置きが長くなりましたが、今日で東日本大震災から5ヵ月が経ちました。
被災地では今も懸命に頑張られている災害ボランティアの方が大勢おられ、私もこの盆休
みはと考えていましたが・・・何より軍資金が底をつき、気持ちばかりで情けない限りです。

しかし奈良県の高校生(選抜)たちが来週から第一団、第二団と被災地に向かいます。
行先は、私がボラバスで訪れた岩手県陸前高田市ともう一カ所は宮城県気仙沼市だそう
です。
ほんまに体調管理には気をつけて頑張ってきてもらいたいと思います。



陸前高田市で活動した時の写真です。

被災地でこの大漁旗をみて、また漁師さんたちがこの地で漁を再開し、東北の漁業が立ち
上がる事を願っています。


続・雨ニモマケズ風ニモマケズ

http://blog.canpan.info/coco/

ご本人も被災されましたが、被災当初から現在もずっと活動されているkurosawaさんの
ブログです。
被災地の事がリアルに伝わります。


それでは今晩はここで終わります。


佐用町豪雨災害から2年

2011-08-09 21:29:51 | 災害ボランティア活動

こんばんは


今日は、兵庫県佐用町豪雨災害から2年が経ったんですね。

早いものです。昨年、佐用町豪雨災害時のボランティアに参加された方々に感謝の意味を
込めた「佐用町感謝のつどい」があり、行ってきたのが最近のようですが、もう1年経った
んですね。

一昨年、佐用町に災害ボランティアに行った時は、泥と埃で水害の恐ろしさが強い印象が
強かったですが、昨年の感謝のつどいでは本当にのどかで好印象の土地でした。
息子も佐用町の図書館にあった佐用川に生息する小魚の水槽から離れず、こんな所で息
子といっぱい遊べたらなぁと思ったものです。


       
  水害時の佐用大橋                  感謝のつどい時の佐用大橋


さらに1年後の佐用町がどんなふうになったか行ってみたいです・・・とにかく今は急ぎの仕事
を終わらせないといけませんが・・・
きっと昨年以上に心が安らぐ佐用町だと思います。

兵庫県佐用町は本当にのどかでいいところで、観光にもお勧めで、人も優しい方が多いです。
是非とも多くの方に観光にいってもらえればと願います。


今晩はここで終わります。


東日本大震災 災害ボランティア報告(陸前高田市) 3

2011-07-15 20:07:15 | 災害ボランティア活動

こんばんは


ほんまに暑い日が続きますね。。。

私の職場内はすでに40℃目前です。
そろそろ塩飴も大量に買っておかないと今日は堪えました。。。

さて今日は、陸前高田市でのボランティア活動2日目について更新させてもらいます。

2日目は、陸前高田市小友町という場所でしたが、ここは海から少し距離があるように思い
ましたが、津波被害の例外ではなく、畑には屋根の一部が流されてきていたり、鉄くずや道
路のアスファルトが剥がれたものが漂流してきていました。

ここでは奈良組だけではなく、新潟県燕市のボランティアの方々と合同作業で、場所も広範
囲で奈良と燕市の方々と別々に行動せず協働作業で予定より早く終了しました。

作業としては、農地内の草刈やガレキ、ゴミの撤去で、はじめの場所では、重量のあるゴミ
の運搬に精をだし、2カ所目では草刈をしていた方が1人軽傷を負い、病院に行く事になり
鎌での草刈は経験があったので、重量物もなかったので草刈をしましたが、私もはじめて
草刈をした際に地元の自警団の顧問の方に鎌の使い方を注意され指導してもらった経験
がありますが、はじめての方は見て分かります。。。危ないので注意を促しましたが、安全
管理はどんな作業でもしておかないといけないですね。



写真撮影には被災者の方の許可はいただいております。


作業も早々に終わり、同じ班の方や他の班の方々が他にお手伝いする事はないのかと気
を遣われているのを見て、さすがに災害ボランティアに志願してくるだけの人たちやと感心
しました。

その後、被災者の方から、水に浸かった畳が30畳ほどでしょうか?廃棄場所に運ぶ作業
をお願いされ、軽トラックに積み込んだものを被災者の方と私で廃棄場所まで運ぶ際にいろ
いろとお話しさせてもらいました。
これからの生活や、行政の対応、家族の事といった事を被災者の方の生の声を聞き、いろ
いろと考えさせられました。


実働2日間の災害ボランティアを終え、こういった行政の災害ボランティアに初めて参加して
とてもいい経験をさせていただきました。
またすべての班の方とはいきませんが、とても良い刺激をもらえる方にも出会い感謝してい
ます。

私の東日本大震災での災害ボランティアは当初1度でもいければいいかと思っていたのが、
2度も行く事ができました。
しかしこれで終わりではなく、軍資金が貯まれば次は福島県と考えています。



同じ班のT元さん直筆「がんばるっぺ陸前高田」「愛ラブ東北」


今晩はここで終わります。


東日本大震災 災害ボランティア報告(陸前高田市) 番外編

2011-07-10 18:21:01 | 災害ボランティア活動

こんばんは


今日は午前中に消防団の研修でしたが、家庭の用事で欠席させてもらいました。
午後からは、会社の防災について、日本防災士会県支部で私と同じく所属する現役消防官
である I 先生と Y 先生に時間を取っていただき、いろいろとアドバイスをいただきました。

これからやらないといけない事が多く、本格的に始動するのはまだまだ先になりそうです。
しかし、まず始めないといけない事をしていきます。
本当にありがとうございました。


さて今日は、昨日の更新の続きですが、別の班のプロのミュージシャンを目指すY村くんと
女医のO島先生ですが、Y村くんに初めての災害ボランティアについて感想を聞きましたが、
次回はバンド仲間と一緒に来て、被災者の方たちの前でライブをしてみたいと聞き、是非
とも実現してほしいとエールを送りました。
女医のO島先生も震災当初は医療ボランティアを真剣に考えられ、上司である医師に相談
したみたいですが、理由は聞けませんでしたが行けなかったみたいです。
しかしそれでも女性には重労働かもしれない災害ボランティアに参加されたO島先生に感
動しました。


今日は活動報告ではなく、番外編として同じ第2クールに参加した一部の方の紹介でした
が、次回は2日目の活動について更新します。

とりあえず明日からまた会社の防災活動です。


それでは今晩は終わります。


東日本大震災 災害ボランティア報告(陸前高田市) 2

2011-07-09 19:47:24 | 災害ボランティア活動

こんばんは


今日は、活動初日にあたる陸前高田市気仙町での活動について報告します。

この日は、ボランティアバスが宿泊拠点である一関市に到着後、すぐに陸前高田市ボラン
ティアセンターに各班ごとに分かれてレンタカーで向かうのですが、移動に少し時間がかか
り、到着したのが10時をまわっていたので活動時間があまりないなぁと思っていました。





リーダーより活動の説明があり、被災者宅の側溝の土砂出しを奈良組全員でするというの
で、思っていた以上に早く終わるかなぁと・・・しかし土砂の中には、ガレキや近くの工場か
ら流れてきた調味料の瓶などが含まれ、思うようにスコップが入りません。。。
そこでツルハシで土砂をほぐし、スコップや什能(小型スコップ)で取り除き、土砂や瓶を分
け、一輪車やバケツなどで廃棄場所に運び、昼過ぎには大かた終えました。



ちなみに什能の写真です。


昼から作業に入り、1時間ほどして小休憩に入り、終わる頃に集合の合図があったので、何
ごとかと思っていたら、依頼人である被災者の方より、すぐ近くにあった歴史的な建物につ
いて、津波前の写真と比較しお話しを聞けました。

その建物は戦国武将の伊達正宗公より保護され、歴史的にも重要で貴重な資料も多くあっ
たそうですが、津波により建物は全壊、資料は流され、凄く残念がられていました。
建物を修復するには、約1億円ちかくの金額が必要だそうで、その方自身は何年かかって
も再建したいと言われた目には力強いものがあり、人間の根本的な強さを見た感じがしま
した。

その後、作業も無事に終了し、資機材を洗浄し、宿泊地に帰るのですが、被災者の方とお
話しをする事も大切な事やなぁと改めて実感しました。


この日のボランティアで、側溝の一部に大きなコンクリートの壁の一部の瓦礫がかぶさって
いましたが、技術系災害ボランティアのkurosawaさんなら重機や資機材で除去しておられ
たと思うと、私自身もっとスキルを磨いていかなあかんと!自分に言い聞かせました。


宿泊地到着後に、同じ班のT元さんがせっかくの縁なので皆で食事にと提案していただき、
有志の方のみで夕食会に行かせてもらいました。
ここでいろんな方とお話しさせていただきましたが、なかでもプロのミューシャンを目指すY
村くんと女医のO島先生とお話しできたのは良い刺激をいただけました。
この続きはまた次回にお話しさせていただきます。


今晩はここで終わります。