ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

競馬ブームの立役者オグリキャップよ、永遠に。

2010-07-04 11:36:48 | さるさる日記
10時40分起床。
先週はフラフラだったが今週は元気ですよ(笑)。酒の“魔力”は恐るべしってことを改めて学んだ!?気がしてならんけどね…。まあ先週の飲み会でどうこう書くつもりは一切ないけど、勢いに負けたとだけ書いておこう。この馬が好きで競馬を始めた人、競馬を一切しなくてもこの馬は知ってる!という人もいるかと思う。今日のスポーツ紙一面はこの馬の独占になったが、私も言葉が出なかった。
<「芦毛の怪物」オグリ死す…「お別れ会」開催へ>
<1980年代後半に競馬ブームを巻き起こし、芦毛の怪物といわれたオグリキャップが3日午後、北海道・新冠の優駿スタリオンステーションで放牧中に脚部を骨折、三石の競走馬診療所に運ばれたが、治療もできないほどの重傷でそのまま息を引き取った。25歳だった。2007年に種牡馬を引退した後は、けい養先の優駿スタリオンステーションで余生を過ごしていた。>
ディープインパクトが一躍有名になった頃、競馬ブームが復活するかな!?って勝手に憶測した時期もあったが、最初にブームを起こしたのはオグリキャップだったんですよね。

<87年5月、岐阜県の笠松競馬の2着デビューが“波瀾万丈”の一生の始まりだった。5戦目から驚異の8連勝。笠松で12戦10勝の輝かしい実績で、JRAへ移籍。移籍初戦の88年3月ペガサスSでいきなり重賞制覇。続く毎日杯も連勝したが、クラシック登録をしていなかったため、皐月賞、ダービーに出走できず、京都4歳特別→ニュージーランドT→高松宮杯→毎日王冠と怒とうの6連勝。当初の購買額が250万円ともいわれた“安馬”がJRA勢のエリートをなぎ倒す姿に、公営出身の元祖アイドル馬ハイセイコーを重ね合わせ「怪物くんの再来」と人気は急上昇。同年秋、初めて挑んだG1の天皇賞・秋で同じ芦毛のタマモクロスに屈したが、同年暮れの有馬記念でリベンジしてG1初優勝。“芦毛の新怪物”として不動の地位を確立し、競馬ブームを巻き起こした。>
JRAの売上が年々ダウンしてるが、最高潮の時はオグリキャップの時代まで遡るのだから、これだけファンから愛された馬がいたのだろうか?と思うのである。少し残念なことを…笠松時代の主戦騎手だった安藤勝己騎手コメントがないことやね。探せばあると願うが書いててもう一つ思ったのは、オグリキャップ関連グッズは完売するかも!?
オグリキャップよ、今までありがとう!そしてお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね(涙)。