井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ヴァンクーヴァーはアジア人だらけ③

2017-12-12 07:58:00 | 旅行記
カナダが生まれて初めてなら、実はアメリカ合衆国には(アンカレッジ空港を除き)行ったことがない。アメリカ大陸が初めてみたいなものだ。

でもアメリカ合衆国とはまた違う人種のるつぼであるという説明を受け、なるほどと実感した。テレビ等で見るアメリカ合衆国は、アフロアメリカンやヒスパニック系が目立つが、ヴァンクーヴァーではほぼ見かけなかった。

代わりにチャイニーズ、コリアン、ジャパニーズ、ベトナムなのである。

今回、大韓民国経由だったので、そこのロスがあるが、仁川国際空港からヴァンクーヴァーまでは、それほど長く感じなかった。(ヨーロッパへ行く時は途中で死ぬほど退屈し、あのジェットエンジンの騒音が不快でたまらなくなるのだが…それがなかったということだ。)

機内のディスプレイに表示される飛行ルートを見ると、北朝鮮を大きく迂回して、中国東北部からロシア極東地域の上空を飛行しているようだ。

だから、例えば千歳空港からなら7~8時間で行けるのかもしれない。

ヴァンクーヴァーの人曰く「アジアに最も近いアメリカ」、確かにその通りで、私たちにとっても、もっと身近に感じて良い存在のようである。

ヴァンクーヴァーはアジア人だらけ②

2017-12-10 19:19:00 | 旅行記
今回の企画はヴァンクーヴァー在住で九州・沖縄作曲家協会の会員であるY氏の発案でもある。
Y氏は日本生まれの日本育ちで日本語ができるのは当然として、宿泊先は兵庫県出身の日系人が経営する民宿のようなところ。経営者のご主人は典型的な日本人、そこに滞在する人も半分以上日本人だった。

Vicoとの話し合いにはヴァンクーヴァー在住の作曲家、リタ上田さんが常にいてくれたが、リタさんも不自由なく日本語を話される。

そして、ミニコンサートの演奏会場になったのが日系聖公会の教会で、会員の半数以上が日系人、牧師のイム・テビンさんもコリアンだが関西なまりが混じる日本語でしっかり対応され、教会内の掲示物や書籍も日本語が半分以上。

Vicoのゲネプロと本番の間に、軽いミーティングを持ったのだが、Vicoの音楽監督が案内してくれたところが、中華料理店かと思いきや、家系(いえけい)という横浜のラーメン屋だった。

店員がまた日本人、最初は英語だったけど、ほどなく日本語に切り替わると、もう本当に日本のどこにでもいるアルバイト店員さんにしか見えなくなってくる。

しかも壁一面、日本語しか書いてない。

私は、どこに何しに来ているのか忘れそうになって大変だった。

ヴァンクーヴァーはアジア人だらけ①

2017-12-08 14:08:09 | 旅行記
井財野が所属している九州・沖縄作曲家協会にカナダのヴァンクーヴァー・インターカルチュラル・オーケストラ(Vancouver Inter-cultural Orchestra、以下Vicoと略)が交流を申し入れてきた。

Vicoとは西洋の楽器、いわゆるオーケストラで使う楽器と民族楽器によるアンサンブル団体である。
日本にも日本音楽集団という和楽器のオーケストラがある。それを発展させたアジア何とかという民族楽器のオーケストラが一時あったと思うが、維持させるのは難しいと見えて、今は消息を聞かない。

しかしこのVicoはヴァンクーヴァーでしっかり聴衆をつかんでいるようだった。そこで九州の作曲家の作品が演奏されるのは悪くない話だ。

とは言え、Vicoは交流したいと言ってきている。要するにカナダに呼ぶから、日本にも呼んでほしいということである。

普通に呼んで日本のお客さんが集まるとはとても思えない。
では普通の現代音楽ならお客さんが集まるかと言えば、もちろんそんなこともない。
普通ではないことをやらなければならないのは、実は必至の結論。

だが、やはりどんな相手か、会ってからの話だろう、というのが作曲家協会で話し合っての結果だった。
で、旅費稼ぎにミニコンサートを一発やってから帰ってこい、というミッションを受けて、私が行くことになったのである。

行って驚いたのはアジア人の多さである。日本人も多く、毎日接する人の中で英語を使ったのは一人二人しかいなかった。

パールマンは不滅です⑥

2017-12-01 18:23:00 | ヴァイオリン
大学生時代「パールマン、小品良いよね」と友人に言ったことがある。
するとニヤッとして、
「小品は、とか、小品が、とかではなくてね」と言われたことをよく覚えている。

その頃は、不思議なことにバッハは重厚長大なもので、流麗な美音のバッハは評論家に不評。なので、小品以外を表立って賞賛できない時代だった。
今聞くと、かなり力強い強靭な演奏なのだが。

で、リサイタルのアンコールは、ジョプリンの「ラグタイム・ダンス」
ピアニストのサンダースが、ドン、ドンと足踏みをする楽しい曲で、パールマン編曲。

それから数年間はそのラグタイム・ダンスに夢中で、いわゆる耳コピーでよく弾いたものだ。

かくしてパールマンは不滅なのである。