トップサイドの音量は、あった方が良いというのが前記事の結論である。では、他はどうなのかというと、やはりあった方が良いということになるだろう。オーケストラでの役割を考えても、その立場を離れても、一般的にヴァイオリンは鳴っているに越したことはない。
楽器を鳴らす、というのは、どの楽器でも割と最初の段階での目標になる。その次に、多彩な音色を目指す訳で、その逆はない。
ところが、楽器を鳴らすのは意外と難しい。それほど鳴っていなくても、自分には充分満足に聞こえるものだから、その必要性をあまり感じないからだろう。したがって、鳴っていないという自覚もまた往々にして乏しい。
ヴァイオリンの場合、鳴っているかいないかを見分けるのは容易である。D線とG線の場合、開放弦を弾いたら隣の弦に触れるくらいに振動していれば、鳴っている状態だ。そのためには、弓を速く擦るか、圧力を加えるかすれば良い。実に簡単。
ところが、できない人はかなり多い。なぜか?
それは、楽器から来る反作用に負けてしまうからだと考えられる。弦がそれだけ振動した時、弦から弓へも反発する力が生じる。それをさらに押さえ込んで初めて楽器が鳴る状態にいたる。右腕の上腕にビリビリ振動が伝わってくる、それに負けてはならないのである。
弦を押さえ込むのは基本的には避けるべき事態だ。しかし、弓の速度が遅くて、ハイ・ポジションで、駒に寄せてもなお音量がほしい時等、圧力は絶対に必要だ。普段はなるべく弓の重さを利用して、余計な力は入れないのが原則だが、必要な力は入れないと楽器は鳴らない。
鳴らない弾き方を続けていると、楽器自体も鳴らなくなっていく。魂柱も鳴らない位置に移動していくこともある。鳴らせない人に楽器をちょっと貸すと、鳴らなくなって戻ってくるから、本当に悲しい。
また、鳴らせる鳴らせないは、その人の評価にほぼ直結している。鳴らないというのは「聞こえない」のとほぼイコール、聞こえなくては評価のしようがない。同じ聞こえるでも、より聞こえる方が伝わりやすいのも自明の理。国内で考えれば、学生まで含めて東京の奏者の評価が高いのは、やはり鳴らせる人間が多いことが最もわかりやすい理由になるだろう。
ただし、大きな音量には大きな犠牲が隠れている。大抵は耳をヤラれるからである。筆者は中高生の頃、しばしば耳をつんざく鋭い音で、耳が痛くなったものだ。そして二十歳の時には、16kHzあたりの定常波(一定のレベルで鳴り続ける音)は聞こえなくなっていた。まわりの声楽科や楽理科の友人は「止めてくれ!」とのたうちまわっていたのだが・・・。
それでは倍音が聞きとれないのでは、と思うかもしれないが、断続的な音であれば聞こえるから、実際に困ることはあまりない。それに、耳を大事にしたければ左耳だけでも耳栓をして練習すれば良いのである。
そのぐらい、楽器を鳴らすことに執念を燃やしてくれると、確実に評価はあがるのだが、なかなか難しいというのが現実だ。評価を上げたい方は、ぜひがんばって楽器を鳴らすことに力を注いでいただきたい。
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