「管楽器に被差別楽器っていうのがあるの、知ってますか?」
と、その昔、穏やかでない表現を聞いたことがある。それは何かというと、
サクソフォーンとユーフォニウム
どちらも、音が出しやすい楽器である。
「サックスなんて、車の窓からちょっと(歌口を)出しておくだけで楽器が鳴ると言われているんですよ。本当にやったやつがいて、そしたら本当に鳴ったって…。」
音が出しやすいのは、本来良いことのはずだ。しかし、これは悪口と言って良いだろう。なぜか。
それはサクソフォーンの横にはクラリネットが、ユーフォニウムの横にはトロンボーンがそれぞれ控えており、それぞれ似て非なるもの。しかも音の出しやすさ、出しにくさ、相当違いがある。
ちなみに私の経験で言えば、サックスは一発で音が出たが、クラリネットは全く出せない。
苦労してやっと音を出せるようになるクラリネットと、やすやすと音が出てしまうサクソフォーン、これが同列に扱われるなんて・・・とクラリネット吹きは内心思っているのだろう。
そこまではないかもしれないが、ユーフォニウムが「わがもの顔」(今風に言えば「どや顔」)で、細かいパッセージを吹きまくっていると、「ふざけるな(熊本弁で言えば「ぬっしゃしまいにゃ血ぃ見っど」)」とトロンボーン吹きが思っている可能性はある。
その意識が「差別」を生む土壌になっているのだろう。この両楽器、オーケストラにはいつまでたっても定席は得られず、多分それはこれからもそのまま続くだろう。その表向きの理由は「音色の違和感」と説明されていたりするが、裏向きの理由に上述のような差別意識がある、かもしれない。
サクソフォーンを開発したアドルフ・サックスは、とにかく吹き易い楽器を目指して作りあげたに違いない。それがその吹き易さのおかげで差別されるとは、皮肉なものである。
にも関わらず、サックスとユーフォニウムを演奏する少年少女は後をたたない。オーケストラと違って、吹奏楽では中核の楽器になるから、吹奏楽をさかんにすれば、必然的にサックス人口、ユーフォニウム人口は増える訳だ。
当然それをずっと続けたい少年少女も増え、それが我が大学を目指してくる人も多い。これが私の悩みの種だった。なぜならば、サックスもユーフォニウムもオーケストラには基本的に「無い」楽器、我が大学にはオーケストラの授業があり、オーケストラで使う楽器を練習して臨むことになっているので、サックスとユーフォニウムでは授業を受けることができないのである。
それでもユーフォニウムはホルンやファゴットのパートを吹いてもらって、その場をしのぐことが何とかできる。しかしサクソフォーンは音域も狭く、他のパートをなかなか吹けない。早い話が、ほとんど「使えない」し、サクソフォーンの先生を雇うお金もない。なので我が大学でサクソフォーンをやりたい人は「ヴァイオリン」をやってもらうことになっている。それはサックスの神様マルセル・ミュールやダニエル・デファイエはヴァイオリンをやっていたという、立派な故事来歴によるもので、井財野の詭弁ではない。
とは言うものの、なるべくだったら他の大学に行ってもらった方が、お互い幸せに生きていけるよ、と思っていた。
それが先日、180度転換した。きっかけは「卒業演奏」。
我が大学の教員養成課程(音楽)は「卒業研究」として「卒業論文」と「卒業演奏」を課している。その「卒業演奏」で一番盛り上がったのは、その被差別楽器たるサクソフォーンとユーフォニウムだったのだ。
以前本ブログでも少し触れたが、グラズノフのサクソフォーン協奏曲、グラズノフどころかロシア民謡さえ知らないところからの出発だった。こりゃダメだな、と最初は思ったのだが、その後私の言いつけを守って山のようにロシア民謡を聞いたとのこと。そして、一週間前には何とそれらしさが生まれているではないか。それからはこちらも大いにサポートをし続け、結果的には他の管楽器、弦楽器を圧して、輝かしい演奏を披露していた。
音楽を通して人々に訴えること、共感してもらうこと、感動することは何より大事。楽器は手段に過ぎない。その一番大事なことを一番力強くやってのけたのがサクソフォーンとユーフォニウムだった、この事実が私を動かしたことになる。
音楽大学だったらこんなことは考えなくて良いだろう。だが教育大学として考えると、この事実の重みを活かすことが、全体の発展につながる予感がした。
今、手始めにホルンのポジションにサックスを入れて合奏を試みているのだが、これが結構いけるのである。教育大学らしく、サクソフォーンとユーフォニウムを導入した室内オーケストラ、新鮮なサウンドが期待できるかも、というところだ。
さあ、来たれサクソフォーンとユーフォニウム、とおおっぴらに言うにはまだ段階を経る必要があろう。しかし、この二つの楽器のあり方がちょっと楽しみになってきた今日この頃である。
クラッシック・ギターであります。ヴァイオリン族の人たちからは、「あれは、フレットが打ち付けてあるから、何も考えなくても音程が取れるし」と言われ。バカにされますです。悲しい。。。。実は、クラギで正確な音程を出せるには、それ相当の訓練が必要なのです。。。が。ヴァイオリンの人たちは、そのギター弾きの労苦を。理解しようとしない。悲しいです。そこには、永遠の無理解の溝があると、思わざるを得ません。。。お邪魔しました。
いつもコメントありがとうございます。
しかし、ヴァイオリン族はギターを馬鹿にしていますかねぇ?
私は、ギターの音量の問題がいつも気になっていますが・・・。