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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

カイルベルトの遺産に苦しめられた私

2018-11-29 08:20:39 | オーケストラ

学生時代、一度だけN響のエキストラ奏者を、と言っても3週間、十数回の本番をこなしたことがある。

セカンド・ヴァイオリンの一番後ろで弾くのだが、様々なことが面白く、そして辛かった。

辛かったことの一つに「音が出せない」ということがあった。それは見事に、皆さん、あまり音を出さないのである。

先輩曰く、フルに出すより、数割り引いたくらいの音の方が、全員の音が溶け合って美しいから、だそうである。

それも理屈だけれど、曲はドボ8(ドヴォルザーク作曲の交響曲第8番)ですよ。こんなに盛り上がらないで弾くのが良い訳?と、欲求不満がたまる一方。

幸か不幸かわからないけど、隣席のシンボリさんはN響を定年退職されたばかりの団友さん、周りの団員さんと違って、結構大きな音で弾かれていたので、私も便乗して、時々大きな音で弾かせてもらった。

後で「セカンドの一番後ろのプルトは、音がデカかったな」と言われたけど、聴衆にはこの方が良いはずだという信念のもとにいた私だった。
(こういう人はオケには向かない)

という当時の「N響奏法」、これがカイルベルトの発言から始まったことが、そのFM番組で紹介されたのである。

時のコンサートマスター、ウンノ先生が書かれた文章が紹介されたのだが、要約すると「そんなに全力で弾いては溶け合わなくて汚いから、何割か力を抜いて弾くようにカイルベルトから言われ、そうしたら驚くほど音が美しくなった」というような話。

そうか、この一瞬でN響の音は変わったのか。

カイルベルトの在任期間はとても短い。にもかかわらずこれがデュトワと出会う1990年台まで、約30年間続くのだから、ものすごい影響だ。

だが、カイルベルトが振るから、という側面も確実にあるはずだ。
また、当時の技術レベルもあるだろう。現在のN響で、それを考えているとは思えない。そして、もしカイルベルトが現在のN響を振ったら、同じことは言わなかったと思う。

いやはや、そのカイルベルトの一言に苦しめられていたことがわかった今、カイルベルトととの深い縁を感じたのであった。


指揮者カイルベルトが残した伝統

2018-11-22 18:04:36 | オーケストラ
NHKFMの「N響ザ・レジェンド」という番組は、歴史の証人である。時々、本当に衝撃を受ける。

先日のカイルベルトの放送、一般的には、まあ普通の放送なのだが、そこで紹介された内容は一生忘れない類いのもの。

正直言って、カイルベルトの演奏の録音は、多分初めて聞いた。生はもちろん、レコードも何も聞いたことがなかった。
それでも名前を記憶しているのは、ある時期、N響の名誉指揮者だったからだ。そして、名誉指揮者は時々来日してN響を振るものだが、ただ一人、すぐにお亡くなりになり、全く聴く機会がなかったのである。

だが、指揮者の故岩城宏之さんはカイルベルトの真似をして怒られたと、本に書いてあったり、我々が世話になったウラカワ先生は「カイルベルトに認められてバンベルク響のコンマスになった」という噂と共に芸大にいらっしゃる等、何かの折りに出てくる名前だったのである。

それで、忘れられない内容とは、実は演奏自体ではない。
演奏自体はオーソドックスで、当時のN響として名演の誉れ高いことも充分想像できる。平たく言って、良い演奏、と偉そうに言わせてもらう(私の先生が何人も演奏しているというのに)。

そのリハーサル時に出した言葉を、コンサートマスターのウンノ先生が記録していたことが衝撃だったのだ。(続く)

ショスタコーヴィッチ:祝典序曲

2018-10-05 19:26:18 | オーケストラ

NHK-FMに「気楽にクラシック」という番組があって、イントロ当てクイズがある。

その300回記念で出題されたのがこの曲。正解した人のハガキが読まれるのだが、見事に全て「吹奏楽の思い出」。れっきとした管弦楽曲なのに、管弦楽曲として捉えている人がほぼ見当たらないという曲も、そうそう無いのではなかろうか。

何を隠そう、私のこの曲の思い出も吹奏楽がらみである。中学校のクラスで隣席の女子がパート譜を開いて眺めていたことがある。へぇ、と思いその作曲者名を見て釘付けになってしまった。

D.SHOSTAKOVICH

中一ではあるが、少なくともクラシック音楽の知識は周りの誰よりもあるつもりになっていた私にとって、衝撃の名前だった。

小学校の音楽室の年表に載っている現代ソ連の作曲家はプロコフィエフ、カバレフスキー、ショスタコーヴィチ。プロコフィエフは「ピーターと狼」、カバレフスキーは「道化師」を知っていたが、ショスタコーヴィチは1曲も知らなかった。

「先を越された・・・」

その悔しい思いが、吹奏楽部入部のきっかけの一つとなったのである。

マクドナルドのハンバーガーみたいな名前のドナルド・ハンスバーガーという人の編曲がすでにあちこちに出回っていて、これを演奏すれば大抵金賞、みたいな時代だった気がする。

そのあたりの吹奏楽曲とは一線を画した、さすがは大作曲家の作品、という私の評価は今でも変わらない。

ただしこの数年後、テレビで偶然、オーケストラの原曲が流れた時、戦慄が走った。

吹奏楽より断然良い!

基本的にオーケストラはテンポが速い。吹奏楽は演奏時間7分くらいの設定だが、オーケストラは5〜6分である。もう、何てカッコイイのか・・・。

それからLPやらCDやら、目につくと買ってしまい、聞かずに眺めて過ごしている。聴くと興奮して、他のことが手につかなくなるからだ。

にも関わらず、実演で聴く機会の少ないこと!

なぜか。

一つは、割に合わない。

5分の曲なのに、最後はバンダ(金管楽器の合奏隊)が必要だ。経費がかかるのである。別に省略してもいいと私は思うが、クラシック系の皆さんは得てしてそういうことを嫌う傾向がある。

では、続く曲にもバンダに出ていただいて、ショスタコーヴィチの交響曲第7番とかレスピーギの「ローマの松」をやるというアイディアもある。が、賑やかを通り越して「うるさい」プログラムになる。クラシック系の皆さんは得てしてこういうことも嫌う傾向にある。

そして、何よりも、この曲に価値を見出していないと思われる。ショスタコーヴィチは砂を舐めるような味のする音楽こそ価値があり、カルピスやオレンジジュースのような気軽に楽しめるものは本物では無いと思われているフシも感じる。

吹奏楽の皆さんは、あの7分に半年かけて練習するかもしれないが、プロオーケストラだと1時間かけるかどうか、くらいのものだ。確かにそれほどの価値はないかもしれない。

ショスタコーヴィチも「あ、作るの忘れてた」と、凡人からすれば恐ろしいほどの短時間で書いた曲。何かに書いてあったのだが、正確には覚えていない。確か本番1週間前をきっていて数時間だったか、1日だったかで作ったはずだ。

確かに、外見上の新味はない。 形式はバロックのフランス風序曲の形式がベース。チャイコフスキーの交響曲第5番終楽章を凝縮したようなソナタ形式と言っても良い。

第1主題は「《森の歌》でも使ったかもしれないけど、ま、いいか」的な音階の変形。第2主題は、最もポピュラーな「ソドレミ主題」。

そして、全体がショスタコーヴィチの典型リズム「タッタカタッタカ」で覆われている。

これなら書ける、とばかりに書いた作品である。

シニカルな「変な和音」も出てこない。

だから良いのだ、と言いたい。言わばモーツァルトのオペラの序曲みたいな位置付けだ。

それに、ここまで祝祭的な雰囲気を持つ曲は他に見当たらない。これも凄いことだと思う。

井財野としては見習いたい点ばかりである。まずは1日で序曲を仕上げてしまうことを目標に……。

ラフマニノフならプレヴィン、か?

2018-07-16 18:42:00 | オーケストラ
昔は、チャイコフスキーならカラヤン、みたいな「定評」のようなものがあった。ムラビンスキーはちょっと怖くて、スベトラーノフはちょっと大げさで、万人向け化粧濃いめがカラヤン、みたいな。

ではラフマニノフは誰なのか?

昭和の時代、家庭の一部に入りこんでいた名曲全集のようなものに、ラフマニノフはなかったのだ。
音楽室の年表にもなかったと思う。
小学生の私が知っていた近代ロシアの作曲家はストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコービチ、ハチャトリアン、カバレフスキー(これらは年表に載っていた。なのでラフマニノフは一流と見なされていなかった可能性もある。)で、ラフマニノフを知ったのは中学生になってから。

さらに、交響曲第2番を聴いたのは高校生になってから。
第一印象は「なんという優柔不断な旋律!はっきり言え!」

演奏はアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団。1977年のザルツブルク音楽祭の実況録音のFM放送。

それでもカセットテープに録音して数十回は聴いた。
第3楽章で驚いた。その頃はやりの曲のサビがいきなり出てきたのだから。

これが何を意味しているのかわからない気持ち悪さもあり、結局この曲を好きになることはなかった。

そして最近、FMからプレヴィン/ロンドン交響楽団のこの曲の録音が流れてきたのを聴いた。

そう言えば、この曲を得意にしている指揮者というのが思い浮かばないことに気づいた。ロシア人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人…

ラフマニノフならこの人、という指揮者が思い浮かばない。これはなかなか珍しいのではないだろうか。
その中で、プレヴィンのラフマニノフは悪くない。

え?ひょっとして、プレヴィンはラフマニノフの第一人者?

ラフマニノフの交響曲第2番はアマチュアに向いている

2018-07-13 08:31:00 | オーケストラ
私にとって5本の指に入る難曲、という位置付けだったこの曲、今世紀に入ってから、アマチュアオーケストラがよく演奏するようになった。
多分、2003年に著作権が切れたからだろう。

今から20年くらい前、私が指導していた大学生のオーケストラがこの曲を演奏したいと言いだした時、私は大反対したものだ。
前述の通り、私にとっては難曲だったから。

しかし、それでも結局プログラムにのった。
そして本番を聞きに行って、唖然とさせられた。

2楽章の難所は全く聞こえない、だけではなかった。

3楽章と4楽章の弦楽器の聞かせどころが実に美しく響きわたったのだ。

え?こんなにうまくなったのか?とその時は思った。

この「聞かせどころ」、よく考えてみれば技術的にそう難しい訳ではない。

大学生のオーケストラだから、楽器を初めて間もない、いわゆる「初心者集団」がある程度いる。が、この「聞かせどころ」は、その初心者達でも手が届く技術レベルだ。

だから、この「聞かせどころ」は、曲がりなりにも初心者達も弾く。
そうすると、弦楽器全員が曲がりなりにも弾くことになるから、会場に弦楽器が鳴り響くことになる。

結果、オーケストラの評価まで上がってしまうこともある訳だ。こんな曲はそうそうあるものではない。

それらが、筆者をしてアマチュア向けと言わしめる所以である。
だからと言って、プロに向いていない訳ではない。それはもちろんである。
ブロの技術がないと演奏が困難な場所は、前述の通りいくらでもある。

繰り返すが、こんな曲はそうそうあるものではない、と改めて思う。