goo blog サービス終了のお知らせ 

井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ラフマニノフ:交響曲第2番

2018-07-09 08:17:00 | オーケストラ
その昔、4~5年ではあるが、在京のオーケストラのエキストラ奏者の仕事をしていた時、この曲に出会ったことは一度もなかった。
仲間が練習したり、話題に上がったことも全くなかった。
なので、この曲が日本でよく演奏されるようになったのは、平成になったあたりからではないかと、勝手に思っている。

初めて弾いたのは群馬交響楽団のエキストラ奏者としてである。

三日間リハーサルがあれば、三日目には大抵弾けるようになっているものだ。それで怪しくても、本番前の会場リハーサルではさすがに弾ける。

が、この曲に限って、そこに至っても弾けない箇所があった。第2楽章の再現部直前のテンポが上がっていく部分だ。

その箇所は金管楽器と打楽器が景気よく鳴り響く部分なので、ヴァイオリンパートなど聞こえるはずもなく、正直言ってそこでバッハのメヌエットを弾いても他人にはわからないのであるが「オーケストラの曲で弾けない曲はない」を標榜していた私としては一大事だった。

結局、本番ではギリギリセーフで弾けた。やれやれ。

ここまで弾けない箇所が残ったのはメシアンのトゥランガリラ交響曲くらいで、以来、私の中では記録的難曲である。
(ちなみに本番でも弾けなかったシェーンベルクの《グレの歌》が最上位)

指揮者の称号

2017-06-07 22:48:04 | オーケストラ
日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑というものを初めて見る機会に恵まれた。

いろいろなことがわかって興味深いのだが、指揮者の称号には唖然とした。

昔は常任指揮者あるいは音楽監督、それに名誉指揮者くらいだったのではなかろうか。

その昔、バーンスタインがニューヨークフィルを辞めるにあたって「桂冠指揮者」という称号がおくられ、異彩を放っていたと同時に、桂冠指揮者という称号はバーンスタイン級の業績に対する称号、となんとなく思っていたような気がする。

それがなんと、日本にも沢山登場しているではないか!14のオーケストラが二十数名に対して呼んでいる。

ご丁寧にも桂冠名誉指揮者という二重呼称が6人、永久桂冠指揮者や桂冠芸術顧問という故人、桂冠指揮者兼芸術顧問という忙しそうな方もいらっしゃる。

虎は死して皮を遺すというが、故人の称号も上記の他、創立指揮者、名誉創立指揮者、創立名誉指揮者、名誉音楽監督、永久指揮者、永久名誉指揮者、永久名誉音楽監督、永久芸術顧問、と様々な称号で名を遺している。
中には「フレンド・オブ・セイジ」という、意味がわかり過ぎて、称号とは思えないものまであった。
(一方で、故人はばっさり名前を残さないオーケストラも一つだけあったが。)

名前を遺すことは基本的に賛成だ。しかし、百年後どうなっているのだろうか。
今は珍しい「フレンド・オブ・何とか」があふれているかもしれない。

しかし、大半の人は故人名が並んでいるところを煩わしく思うのではないだろうか。

私の場合は、中高生の頃、N響の名誉指揮者にローゼンストック、カイルベルトの名前があり、どんな人なんだろう、と想像して楽しんだものだ。

でもそういう類の人は極めて一握りだと思うので、要らぬお節介だが、故人名が沢山掲載されるのはどんなものかなあ、と思ってしまうのだった。

チャイコフスキーのテノール記号

2017-05-07 15:09:00 | オーケストラ
本ブログのコメント欄に質問があった。
チェロパートの表記に関して「交響曲はヘ音記号とト音記号で書いてあるのに、ピアノ協奏曲では頻繁にテノール記号を使用しているのは何故でしょうか」

正直言って、言われるまで全く気づかなかった。一方、オーケストラのチェロ奏者は常に「何でかな」と思っていたかもしれない。

答がすぐには出てこなかった。高音域のみをテノール記号で表記した訳でもなかったからだ。

私の推測は、チャイコフスキーの時代も「テノール記号が嫌いなチェロ奏者が多かった」である。

テノール記号の利点は、テノール音域ならばあまり加線を使わずに表記できること。これはスコアを書くにはスペースに余裕が生じて、とても書きやすい、ということになる。

デメリットは、テノール記号を読めない人にあたると、悲惨な結果を招くこと。

チャイコフスキーは晩年は自作を指揮しているが、あまりうまくはなかったようだ。あの交響曲第5番の初演は失敗と伝えられている。

ただ、この現場の経験が作品に結構活かされていると思われる。

初期の交響曲や白鳥の湖ではトレモロを乱用しているが、晩年の作品では滅多に出てこない。
ただ繰り返すことも止めるようになった。

全て現場の経験に基づくのではないだろうか。

という次第で推測を論拠にするしかないのだが、テノール記号も「現場では嫌われているな」とチャイコフスキーは感じたような気がするのであった。

答になったでしょうか。

オーケストラの音色作り④「血液型との関係」

2016-09-27 07:15:00 | オーケストラ
オーケストラ等に所属している人に対し、特定の団体に所属せず、演奏活動をする人をフリーランス演奏家、略してフリーという。

このフリーの人達を集めてオーケストラを作ることは、昔から結構ある。

私もその仕事を割とやっていたのだが、ある時気づいた。
フリー奏者には血液型「B型」が多く「A型」が少ないことを。
そしてオーケストラに所属する人達は、それが逆転して、言ってみれば「普通」になる。
ちなみにO型はどちらにも多く、AB型はもともと少ないので特徴を捉えるほどではない。

さて、B型が多いオーケストラはどうなるか。
録音録画をして驚いたのだが、実に自主的な響きがするのである。ベルリンフィルとはいかないまでも、どこかのドイツのオーケストラみたいな音だった。(ドイツはA型が結構いますが…)

言ってみれば、A型の多いオーケストラは「合わせなきゃ」という意識が強く、ベタっとした感じがするのに対し、B型が多いオーケストラはザクっとした印象、だろうか。

そこへ「行けーっ」とO型が加わって、オーケストラが先に進む…。

なので、いわゆる日本のオーケストラの典型的な音色は「A型」の音、のような気がするのである。

オーケストラの音色作り③

2016-09-25 07:19:00 | オーケストラ
①②と述べてきたが、どちらも1980年代の話である。

現在のN響の響きは全く異なっている。それは、私の感覚ではデュトワ時代に大きく変わった感じがした。
デュトワが常任指揮者になってしばらくの頃、N響のある団員に、そう思わないか尋ねてみた。

彼は「わからない」と言った。
変化は感じるけれど、それがデュトワのせいなのか、あるいは団員の世代交代の結果なのか。

確かに、両方あるような気がする。

そして、他のオーケストラもメンバーが徐々に入れ替わり、現在のレベルまで向上を続けるのだが…

一方で、溶け合うとか合わないとか、あまり気にしていないオーケストラもある。(次で最後の予定。)