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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

アートか、エンターテイメントか?

2018-06-17 21:45:45 | アート・文化
聴衆が集まらない演奏会に助成はできない、というのが、日本ではほぼ常識である。

「聴衆の数を何故問題にするのですか?シューベルトの歌曲の初演は常に10名程度でしたよ。」とカナダ人は言った。

なるほど、そういう論法があるか。

「私達はアートをやっているのです。エンターテイメントではない。」

そうか、その論法が通じるのだな…。

しかしそれならば、敢えて反論を試みたくなる。(実際には反論していない。)

シューベルトの歌曲は、今では立派なアートだが、シューベルトはアートだと思っていただろうか。聴きに集まった友人達はアートを観賞しているつもりだっただろうか。

私が思うに、シューベルトは友人達を精一杯楽しませたい、友人達も新曲を楽しみたい、と思って集まったシューベルティアーデだったと思うのだ。楽しませる=エンターテイメントである。

ハイドンやモーツァルトだって宗教曲以外は目一杯楽しませることを考えていたと思う。バッハだって、協奏曲の類いはそうだろう。

だから、私はエンターテイメント性を重視する。

エンターテイメントではなくてアートなのだから助成せよ、という論法はしっくりこない。これはエンターテイメントなのだから助成せよ、どちらかというと、そのような考え方かもしれない。

現代音楽専門の演奏団体

2018-06-11 20:52:36 | アート・文化
「ターニングポイント・アンサンブル」という、現代音楽専門に演奏するカナダのグループの演奏を聴いた。総勢15名、弦楽器、木管楽器、金管楽器、全て1パート一人で、それに指揮者がつく。

そして翌日、そのアンサンブルの関係者に話を伺うことができた。

カナダには現代音楽専門の演奏団体はいくつかしかなく、その中の一つになるという。

それでも、それで成り立っているのだから素晴らしい。日本に現代音楽専門の常設の団体は0だ。

と言うと、今度は向こうがびっくりした。「毎年、あれだけ優秀な専門家を日本の音大は輩出しているのに、彼らは一体何をやっているのか?」

そうねえ、私も知りたいところだ。恐らく、クラシック音楽をやっているのではないだろうか。

「日本には、そんなにクラシック音楽を聴く人がいるのか?」

いや、いないけど、現代音楽を聴く人はもっといないし……。

「欧米では現代音楽をやらないと聴衆がいないから現代音楽をやっているんだ。」

そうなのか……
でも、お客さんが来ない演奏会には行政も企業も援助できないって言われるんです。

「ああ、それはカナダ政府も同じようなことを言う。でもその時は『そのように、お客様が来るのが良い催し、来ないのは悪い催し、なんてアメリカ合衆国みたいな考え方していたら、カナダもアメリカになっちゃいますよ』と言う。すると途端に手のひら返すんだよね。」

ふーむ、そういうものか……。

ラジオドラマ《夕鶴》

2018-05-31 07:33:00 | アート・文化
昭和24年に大阪から放送されたラジオドラマ「夕鶴」というのを、先日のFM放送で聴く機会を得た。
あの演劇の【夕鶴】が初演される少し前にラジオでまず放送された訳だ。

つう役は、もちろん山本安英だが、与ひょうが宇野重吉、運づが加藤嘉と、かなりの豪華キャスト。
加藤嘉がかなり若々しいのに対して、宇野重吉は若い時から爺さん声だったんだ、と思った。

後のオペラ《夕鶴》と同じ音楽が既にここで使われていたことを知る、貴重な録音であることは興味深い。

が、それ以上に、演劇とオペラの違いを思い知らされた。
オペラは、良くも悪くも大袈裟である。

オペラが約2時間なのに対して、このラジオドラマは45分くらいだった。

オペラを知る身としては、ラジオドラマはあまりにあっけない。

原作者の木下順二は、オペラ化に際して、テクストの変更を全くしないという条件をつけたという。

これだけ聞けば、至極ごもっともな提案に感じる。

しかし、オペラになった《夕鶴》を観た時、木下順二はどう思ったのだろうか。

「私が思っていたことを、よくぞここまで強調してくれた」と感動してくれただろうか。

内心「しまった」と思ったのではなかろうか。

演劇【夕鶴】を観ていないので、これで意見するのは片手落ちの感はあるのだが、オペラ《夕鶴》は、最後これでもかこれでもかという具合に悲劇性が強調される。

これは日本人の本来の感情表現とは結構違うと思う。

木下順二の目指したものは、その本来の日本人的感性に沿ったものだったのではないだろうか、と推測するのである。

結果的に「変えるな」は「変わるぞ」を意味していたというパラドックスを生じている。

私はオペラ《夕鶴》が好きなので、日本人的でなかろうと、大いに結構なのだが。

しなやかに生きて②

2017-03-27 19:02:00 | アート・文化
1979年はどういう年だったか。

スターウォーズやインベーダーゲームもあったが、政治経済的には第二次オイルショックということになろう。

第一次オイルショックで大変な目にあった我々としては、第二次は正直言ってよくわからないまま終わった。省エネという言葉が作られて、アーウー首相が省エネルックを着て、我々も省エネの小論文を書かされたものだが、その程度。

最近調べてわかったのだが、この「よくわからないまま終わった」のは「政治が大変良く機能した」ことらしい。

一言で言えば第一次オイルショックの経験を受け、日銀政策が功を奏した、ということになる。(その後はずっと失敗?)

歌は世につれ、世は歌につれ、とよく言われたものだが、本当に政治がうまくいったことと、この大量のヒット曲とが無関係とは思えないのだ。

この1979年、記憶にある方は是非思い起こしてほしい。日本人の輝きが見えるだろうし、皆がその輝きを取り戻すよすがになれば、と切に思う。

しなやかに生きて①

2017-03-23 21:42:00 | アート・文化
現在5~60代の方々はすぐ「しなやかに歌って」を思い出すと思う。

高校時代の恩師が昨年亡くなり、教えを受けていた当時のことに思いを馳せていた。
その高校において恩師の在任期間は1977~1982、ちょうど真ん中の年は1979年。

その年を象徴するものに想いを巡らせ、たどり着いたのは…紅白歌合戦。

山口百恵が最後の出演、ピンクレディーが辞退、美空ひばりが特別出演、と話題に事欠かなかった回…私は裏番組の「ウェストサイド物語」テレビ初放送に夢中になっていた年のような気がするが…ちょっと調べてびっくり仰天。

歌われた曲の豪華なこと。

舟歌(八代亜紀)
与作
いとしのエリー
魅せられて
関白宣言
北国の春(2年目)
おもいで酒

今なお、大勢の人に愛されている曲、それもその歌手の代表作級が、一部を除き、これほどまでにこの1979年に発表されていたことは驚きである。

これは偶然ではなく、私は必然だと考える。