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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

日本もすばらしい、はずだ

2016-05-02 18:27:21 | アート・文化

また、ご無沙汰してしまいました。ログインの仕方も忘れそうで怖いですが・・・がんばります。

先月、ボルドー音楽院のスタッフが福岡に来て、3種類のワークショップを開催した。福岡市とボルドー市は姉妹都市なので、昔から何となく交流がある。

ボルドー市は人口十数万、にも関わらず、ワインのお陰で世界中に名が知られている。

一方、福岡市は人口150万人、人口だけはパリと勝負になるのだが、ゲーム産業のお陰で世界中に名が知られて、はいない。

その、日本の規模で言えば小さな町に、千数百名の学生をかかえる音楽院があるのだ。

一方福岡市、音楽大学が一つもない。音楽科を持つ短大が近郊の太宰府市に一つあるのみ。(現在、音大を作ろうとする動きが三つもあるけれど、かなり難しいはずだ。)

その福岡市に、ボルドー音楽院は拠点を作ろうとしている。そのための布石としてのワークショップだった。

ジャンルは舞踊と作曲(現代音楽)。ボルドーの学生さんが、作品を持って来て日本人が上演する感じになる。

ボルドー側には、日本が東京一極集中になっている現実がどうしても伝わらないのである。多分、フランスもパリに一極集中していると思い込んでいて、それと同じだろうと思っているのだろう。「日本の各地から留学生がくるのだから、いないと言いながらも少しはいるだろう」との考えを覆すことは容易ではない。

そして「フランス語が歌える歌手3人とアルト・フルート、チェロ、計5人の学生を」と要求してくるのだ。音大もないのに、そんな学生いませんってば!

ワークショップの当日になって、やっとあきらめてくれ、別の曲に急遽差し替えられたが、やはりチェロを要求してくる。チェロを勉強している大学生は、福岡県内に一人かな、という現状なので、ある方がポケットマネーを出して、プロのチェリストを雇うにいたった・・・やれやれ。

と、ワークショップ自体は、何が行われているのか、傍観していた私にはさっぱりわからないことも多かった。が、学んだことも少なからずあったのだ。

日本では演劇と舞踊は義務教育に科目としては入っていない。演劇は国語に一部取り入れられ、舞踊は体育の一単元になっているかな。これは明治政府の御意向が現在まで踏襲されている結果だ。

欧米では、両方とも芸術の中に含まれている。だから今回の舞踊と音楽は対等なのである。舞踊の学生は、学校の勉強として踊っている訳だ。一方、受講したダンサーは、多分みんな趣味、だろう。バレエ教室等、大変な努力をしている世界だと思うが、日本では「勉強している」とは見なされない。

これで、将来的に交流が成り立つかなぁ、と疑問がいくつも出てしまった。

ボルドーの学生達は、自分をすでに一人前扱いしている態度である。あちらの先生にも常に対等な立場で話している。あれだけ堂々としていると、外国人の私達には、その未熟さなど、つゆ程にも感じなかった。

これが大事だな、と思う。根拠のない自信の時もあろうが、失敗を恐れている気配が微塵もなかった。状況的には大失敗の部分もあったのに・・・。

急遽参加した、私が連れていった学生達も、終始圧倒されっぱなしだった(が、それを跳ね返して本番に臨んだのは立派!)。

とにかく、フランスの文化の層の厚さ、支援の豊かさを再確認した。日本人一同、羨ましいな、と思ったのは否めない。

しかし、だ。

私は福岡の学生達に伝えた。

文化を大事にしている国は、一度世界を制覇した国なんだ。言い方変えれば、文化がなければ、自分達は没落していくのを見ていくだけなんだ。だから必死になるのが必至。

日本は、そうは言っても世界第3位の経済大国だよ(なのにこの貧乏感は何?とも思うが)。

若い皆さん、自信を持って世界に羽ばたいてよ!

日本も素晴らしい、はずだから!


完成品に手を加える

2015-10-04 09:36:48 | アート・文化
その昔、能の「井筒」にヴァイオリン演奏を加える、という試みをしたことがある。1999年の秋だった。

最初は、いわゆる現代音楽風に、無調の即興的な音をぶつけて、能の舞と拮抗させるようにしていた。

気迫の部分で、一応バランスが取れているから、その時はそれでOKだった。が、これ、面白いだろうか?

珍しさで何人かは面白がってくれたが、肝心の自分がさっぱり面白くない。

悩んだあげく、井筒の主人公の少女をイメージするわらべ歌風の旋律を入れてみた。

これは能楽師にはインパクトを与えたようで、他の舞台で「井筒」を演じても、そのヴァイオリンの旋律が頭で鳴ってしまう、と聞かされた。

自分たちの公演は結局それで行い、観客の反応もまずまずだった。

が、私としては全く納得がいかなかった。
ヴァイオリンが演奏される箇所は能楽師側から指定されたのだが、ほとんどが交互に演奏しているだけで、一緒に演奏しているのはほんの少しだけ。

その少しの部分が、全く水と油だった。

それはそうだ。もともと能として完成しているのだから、ヴァイオリンは余計なものにしか感じなくて当然である。

能と一緒にやるのであれば、オリジナルで一から作らないとダメだ、というのが、その時の教訓だった。

それから16年経って、また似たようなことをしているのをテレビで観てしまった。

新司会者による題名のない音楽会、俗称「題名」または「題なし」。

バッハのシャコンヌに尺八と三味線と能舞を加えていた。

シャコンヌと言えば、その「井筒」の前に能舞台で私も演奏した曲。皮肉な巡り合わせを感じた。

テレビ番組としては、実験成功とせざるを得ないし、それはやむを得ない。

しかし、やはり完成品に手を加えて良い結果は出ないな、というのが正直なところだ。

その昔、美空ひばりや八代亜紀にオペラを歌わせたり、円鏡の落語を聞いてオケが演奏できるか、などという破天荒な実験をやった歴史を持つ名番組。

よりオリジナリティの強い大胆な試みを期待するものである。

インド=ヨーロッパ語族の話

2015-01-28 19:12:07 | アート・文化

「そこはテクスト(歌詞)をつけた感じで演奏して」と指揮者から言われた、と学生が言ってきた。

それでは、と言って「あんたがた、タフマン」と勝手につければ良いことを意味しているのではない。そのくらいのことは学生もわかっている。ではどうすれば良いか・・・。

どうすれば良いかわからず、スルーしたようだ。

そりゃそうだ。曲はメンデルスゾーンの交響曲第5番「ビフォーア・アフター」もとい「リフォーメーション」。だからドイツ語でつけろ、という意味だ。

その代わりドイツ語ならば何でも良いかも。ダス・イスト・デア・シュヴァイネブラーテン(これは豚の焼き肉だ)でも良いのだが、ドイツ語を知らなければお手上げだ。そんな指揮者は願い下げだ。


とは言え、音楽をやるのに言語の勉強は不可欠だ。特にヨーロッパの言語だが、その中でもイタリア語、フランス語、ドイツ語、になるのだが、ヨーロッパには他に何語があるのか?

私は子供の頃から子供用の百科事典を読んでいたお陰で、何となく知っていたのだが、最近は百科事典がはやらなくなったせいか、こういうことは子供が知らなくなった。

この内容は、義務教育には多分入っていない。が、とても重要なことだと私は思っている。せめて中学校の内容に含めてほしいものだというのが、私の意見である。(入っていたような気もするが・・・)

その内容とは、まず「語族」の話。

世界中の民族は、その民族が使っている言語で分類が可能である。

言語の分類になるのだが、「語族」で分けると最大のグループは恐らく「インド=ヨーロッパ語族」になる。

だからインド人は基本的にヨーロッパと近くて、我々とは遠い。ちなみに中国人はシナ=チベット系、我々日本人は、なんと「不明」。隣の朝鮮人も不明。ウラル=アルタイ系に近いとかモンゴル系の流れもあるとか言われているが、印欧系に比べるとアジア人は実に複雑なのである。

インド=ヨーロッパ語族は、8つの語派に分かれる。

・インド・イラン

・アルメニア

・アルバニア

・ヘレニック(ギリシャ)

・ケルト

○イタリック(ラテン)

○スラヴ

○ゲルマン

特に大事なのは後者の三つ、この三つがヨーロッパ9割をカバーしているからだ。

カバーしていないのはウラル語族のフィンランドとハンガリー。この二つは、その昔のフン族の侵入で流れ着いたアジア系民族が祖先と言われている。

ただフィンランドもハンガリーも混血が進んで、どうみてもヨーロッパ人にしか見えないけれど、音楽的に見て、他のヨーロッパ系と異質な部分があることには注意が必要だ。

人間は言葉でものを考えるし、音楽は歌から始まり、歌には必ず言葉がついているから、音楽に携わる人間には、言語の知識、特に「ゲルマン」「ラテン」「スラヴ」の大まかな特徴は覚えておく必要があるだろう。


九州セカンドシティ考4~熊本市

2014-05-31 16:51:48 | アート・文化

普通に考えたら、熊本県のセカンドシティは八代市だ。

い草は日本で一、二を争う生産量を誇り、日本製紙やメルシャンなどの工場を抱える工業都市でもあるのだが、筆者の考える「文化・芸術」の象徴である「オーケストラ」がない!

一方、県庁所在地の熊本市は、熊本交響楽団、熊本ユース・シンフォニー、熊本大学フィルハーモニー、熊本学園大学グリーンフィルハーモニック、ザ・シンフォニエッタ、熊本音楽院オーケストラ、そして筆者の関わるアンサンブル・ラボ・クマモト、計七つもある。

これが、ほぼ年代別に棲み分けられているのが興味深い。

注目すべきは大学のオーケストラが二つあること。国立大学にあるのは普通だが、私立大学で地方都市の大学は、なかなかオーケストラを持てないと聞いている。

この事実だけでも結構がんばっているのだが、他にもがんばっている様子はいろいろ聞く。

半世紀以上の歴史がある熊本交響楽団は、一時「団費」が徴収不要になったそうだ。メンバーに町の名士や医者が増えて総予算は一千万を超え、団費フリーになったのだが、そうなると誰がメンバーだかわからなくなり、本番前にしか来ない人も増え、再び団費は徴収されるようになったということだが、羨ましいを通り越して、非常に現実味のない話に聞こえる。

鹿児島とは別の意味でセカンドシティが無いように思えるが、よく考えてみたら、熊本市自体が九州全体のセカンドシティであろう、ありたいと躍起になっている様子が浮かび上がってきた。

熊本市民のメンタリティには、九州の中心を「福岡に持って行かれた」感が深く根を下ろしている。

九州新幹線が開通して、北九州、福岡、熊本の3都市がサミットのようなイベントを開き、これからは一緒に盛り上がろうみたいなことで気炎をはいていたらしいのだが、多分福岡市民はこのことを一人も知らないのではないか。大体、福岡市に何のメリットもないし。

こういうことを見聞する度に、心が痛い。

ようやく「くまモン」で落ち着きを見せている県民魂。(熊本県民は日本一がとにかく大好き。)

でもオーケストラで見る限り、福岡は敵ではない。いつもとはいかないが、平均すると、熊本のオーケストラのレベルは福岡より高い。

九州のファーストシティである福岡市、なまじプロがいるために、市民文化はなかなか育たない。それからするととても羨ましいポジションに熊本があること、熊本市民は知っておいて良いと思う。


九州セカンドシティ考3~鹿児島市

2014-04-25 00:11:54 | アート・文化

九州新幹線で鹿児島中央駅に降り立つと、そこは別世界。ホームから巨大な活火山「桜島」が見えるからだ。ここ数年噴火しない日はほとんどなく、噴火が何の話題にもならない。

しかし、よそから来た人間は、まずこれに目を奪われる。これを見ながら育った人間は人生観が変わるよなぁ、と思う。

「そうですかぁ?」と地元民は言う。確かに、生まれた時にはそこにあるのだから、変わるということはないか・・・。

とにかく、山と海が同時に見える風景は壮観なのだ。ぜひ一度は皆さんに見ていただきたい。

と、風景からして独特なのだが、生活・文化の面でも、他県とは一線を画したものを感じることが多い。

まず、マスコミを筆頭に「南日本」という表記が多い。あちらこちらで目にするものだから、「あぁここは南日本なのだ」と思わずにはいられないようになっている。

ちなみに、本当の「西日本」であるはずの長崎県では「西日本」という言葉はほとんど使われない。福岡が鉄道と新聞で大々的に使ってしまったからであろう。

鹿児島市内にいると「嗚呼、ここは南日本国の首都なのだ」とまで思えてしまうほど、クローズした文化圏が形成されている。

例えば、音楽をやる子供たちは、まず「南日本音楽コンクール」を受けることを考える。すでに60回を超える歴史を持つもので、いろいろあるコンクールの中でも中心的存在である、鹿児島では。

そう、ご当地では「全日本学生音楽コンクール」は知られていない。鹿児島県民のほとんどは南日本新聞を読んでおり、毎日新聞に限らず朝日も読売も鹿児島ではマイナー誌なのである。

そして弦楽器、管楽器を練習する子供達は「MBCユースオーケストラ」に入ることを考える。南日本放送がスポンサーのオーケストラで、実は井財野もここのOBである。団費は確か不要、制服は支給、あまりに条件が良すぎて、意外と苦難の道を歩んでいたのを、よく耳にしたものだ。

とは言え、オーケストラ好きを大量に生み出した存在、その影響もあって、鹿児島県内にはアマチュアオーケストラがかなりある。鹿児島市内に鹿児島大学学友会管弦楽団、鹿児島交響楽団、KTS室内合奏団、鹿児島伯林的管弦楽団と市内に計五つ、市外で聞き及んでいるのは川辺、霧島、加音、鹿屋。

ついでに弦楽合奏団だが「アンサンブル井財野」もある。入団資格は井財野作品が好きなこと、あまり上手すぎないこと・・・これは冗談。

なかなかここまで充実したところは少ないのではないか、やはり南日本国の首都だなぁ、と思ったところで、ふと気がついた。鹿児島県にはセカンドシティが無い!

本来であれば、宮崎県の都城市がセカンドシティだったのだろうと思われる。都城は大隅国であり、言葉も薩隅方言(鹿児島弁に類似)。ところがどういう経緯でか宮崎県に編入されてしまったので、鹿児島市が単独で成長してしまったのだろう。

いずれにせよ、なぜか沢山できてしまったオーケストラ、それぞれが順調に成長することを願わずにはいられない。