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ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

オオサカ栄えて国滅ぶ・・・動画です。

2012年10月29日 | 政治

これ、用意していたのに、UPするのをうっかり・・・昨日は一日中気分がすぐれず、外出もしない、家にこもっていました。
2日間眠れなかったせいもありますが、・・・「西は橋下」がこたえたようです。
橋下といえば・・・この動画。
また、この動画についていたコメントも下記に転載しました。

オオサカ栄えて国滅ぶ、橋下政策


評価の高いコメント(動画の下にあったコメント)

高知県民だけど、「国に甘えている」なんて意識を持ったことはな­い。言われなくても、知恵をしぼって頑張ってる。確かに交付金は­だいぶ出てるけど、国の援助が担保されていない状況では努力にも­限界が生じる。財政不振を100%自己責任で片づけるのはやめて­ほしい。歴史的背景や地理的状況でいくらでも左右されるんだから­。だいたい、なんでもかんでも競争原理を持ち込むやり方は安直す­ぎる。政治も教育も何もかも、とにかく「競争しあえばいいものに­なる」なんて、馬鹿のひとつ覚えとしか言いようがない。格差を調­整していくのが行政の役割なのに、逆に格差を助長しようだなんて­。堺屋太一を見習って、四万十川に2000mプールでもつくれっ­てか?

橋下って大阪維新の会のパーティー券購入した会社に公共事業請け­負わせたらしい。結局自民党や民主党と同じw大阪市の公募区長が­統一教会信者って記事も出てるw大阪府知事市長になって実績をあ­げたの?w原発はいらないって発言もやっぱりいるってwwよく考­えて発言しようか橋下君。

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【青山繁晴】「スパイ防止法」に答える![桜H22/4/9]

2012年10月28日 | 政治
【青山繁晴】「スパイ防止法」に答える![桜H22/4/9]


最初にショパンの指などが話にでてきて、そう大きな手ではない・・・でも青山さん、ピアニストの指はひとつひとつ独立していてのびるんですよ。ところで肝心な「スパイ防止法」独立国なら絶対に必要ですね。原発のところをはじめ、テロ防止のために必要なところはその「スパイ防止法」は大切です。

今日は気分がすぐれず、あまり書けなくて申し訳ありませんでした。

やっと友人が風邪が治ったようで、それにしても秋の風邪は長いですね。一週間かかったようです。
あとはローストビーフとサラダ、暖かいポタージュスープで体力回復、食後はフルーツを。




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三宅博先生の素晴らしい政治姿勢に感動しました。

2012年10月28日 | 政治

石原都知事の「新党」が、どうにもやりきれぬあの【橋下「維新」】と連携、しかも「東は石原、西は橋下」と平沼御大が言われたこと、また「論客」であるはずの西村眞悟氏は・・・やはり私はソリが合わないのか、納得できない。
そんな中で今夜もあまり眠れず、いろいろなサイトを見たが、時間が過ぎるばかりだった。
「特定失踪者問題」で各地を回っていらっしゃる三宅博先生にはお伺いすることもできず、私は安倍・西田と組んでほしいと思いながらも、三宅先生のサイトを見た。
ホームページはまだずっと更新されていない。しかし、トラックバックは、きちっと整理されていて、さわやかな印象。

ホームページの左下の「河内文化研究会」というサイトをクリック、三宅先生がまだ八尾市議のころの実践などが書かれており、読んでいるともう感動でいっぱいになってしまった。

主な記事をリンクでご紹介するので、ぜひご覧になって頂きたい。
三宅先生は何事もないようにひょうひょうとしていらっしゃるが、誰がこのような実践ができるであろうか。
美辞麗句や大言壮語で飾られた他の政治家サイトは、これを読めばたちまちにして色あせる。

http://naniwa-hidekiti.blogzine.jp/kawatiken18/2007/01/post_bf50.html・・・利権問題

http://naniwa-hidekiti.blogzine.jp/kawatiken18/2007/02/no_da33.html・・・朝鮮総連問題

http://naniwa-hidekiti.blogzine.jp/kawatiken18/2007/01/post_eec7.html・・・教育問題

http://naniwa-hidekiti.blogzine.jp/kawatiken18/2007/02/post_b237.html・・・拉致問題・特別失踪者問題

また、こんな文もあった。三宅先生を尊敬する方が書かれた記事である。

>▼「真悟の会・堺」の幹事は三宅博八尾市会議員を『大三宅』(おおみやけ)と呼んでいる。(敬称略)
堺市会議員にも三宅達也堺市会議員がおられるので、区別するためである、
と同時に尊敬を込めてである。

▼昨年末に八尾市役所で開催された「拉致救出写真展」を訪れた時偶然、大三宅議員とお会いした。
そこで、12月の定例議会のビデオを三宅議員の解説付で鑑賞する事となった。
 (先日、ブログに記載した「終焉2」の実写版である)

▼ビデオ鑑賞会の後、暫し歓談をしていたが、三宅議員の選挙に対する考えに驚いた。
以下、三宅議員談。

     「あのな、わしは選挙に落ちるのは怖ない。落ちても、何も損はせえへんからや。
      損をするのは八尾市民や。
      同じ給料で、普通の議員の2倍も3倍も働く議員、他におらんで。」

     「わしは味方の有権者も敵に回す事がある。 
      有権者は利権絡みで議員に擦り寄ってくるが、わしは一切はねのける。
      せやから、味方の有権者でも、反対側に回る奴もおる。
      金の為に、議員をやってるんと違うからな」

▼その他、色々な話題が「てんこ盛り」の座談会でした。
いやー、大三宅議員は GREAT!  
(以上転載終わり)


確かに石原都知事の「新党」は<西は橋下>というのは、受け入れがたいショックであった。
くやしくて眠れない日が2日、もう「たち日」に2度目のサヨナラの決意をしようかと思った。
前回、たち日への支持をやめようと決意した時、偶然に三宅先生の実践を読んで、「やはりたち日を支持しよう」と思った。
それで電話やメールをしてみた。

今回は「橋下」である。私は最初から橋下が嫌だった。保守の人たちがなぜ誉めるのかさっぱりわからなかった。
なのにその「橋下」と連携など、我慢ならぬものだった。私は「たちあがれ日本」「平沼事務所」「西村眞悟事務所」に電話し抗議した。・・・でも組織だから・・・こうなれば私が「たち日」をあきらめ、去るしかないと思った。
そんなすさんだ気持ちの時に読んだのが上のリンクの記事だった。

命がけの取り組みだった。解放同盟と朝鮮総連、大変困難な実践を、多分、三宅先生の明るさがごく自然に受け入れられた一因でもあると思う。

それらの記事に目を通しながら、私は自分が恥ずかしいと思った。
「橋下」がよけいなことをしても、三宅先生は大丈夫ではないか、と思ってきた。

大丈夫だ!! 
私はこの「西は橋下」の件で大騒ぎしたことを恥じた。
「橋下」が何か言えば、私たちが三宅先生を護るつもりで支持すればいいのだ。
これほどの真摯な政治姿勢・実践は「日本にとって絶対に必要」だから!!

コメント (8)
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橋下徹「狼は生きろ、豚は死ね」~藤井聡教授の橋下批判(短編)

2012年10月27日 | 政治
橋下徹「狼は生きろ、豚は死ね」
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西村眞悟からメルマガです。~石原都知事の動きに賛同、その意義について西村氏の見解

2012年10月27日 | 政治

石原慎太郎さんが動く意義 No.790 平成24年10月27日(土)

 二十五日、石原慎太郎さんが、ついに都知事辞任、国政復帰そして党結成を表明した。
 もともと、たちあがれ日本は、石原慎太郎さんを顧問にして結成されたが、それはこの日の為である。
 「この日」を待望していた。

 では、「この日」の意義は何か。
 それは、真の「戦後から脱却する政治勢力」が始めて政党として姿を顕すことである。
 これによって、政界が「戦後勢力」と「戦後脱却勢力」に分別される。
これは、具体的には、現下の情勢では、「対中屈服派」と「独立自尊派」として明らかになる。

 さらに、日本政界は、今まで「風」で動いてきたのだが、
「この日」を境に、その「風」が如何に足が地に着かないいわば芸能プロダクション的現象であるかが明らかになる。

 「風」とはつまり、「民営化の風」、「生活第一の風」、今の「維新の風」そして「減税日本の風」また「脱原発の風」。
 これが芸能プロダクションであることは、風ごとに、かつての小泉チルドレン的現象がいつも湧いてきて、選挙が近づけば、どっと芸人希望者(本当の売れない芸人もいる)が群がることで明らかではないか。
 中共の歴史攻勢と闘う畏友の河村たかし君は、「減税日本」という党を造っているようだが、この「風」の中では、もうじき誰かが「脱原発日本」という党を造っても不思議ではない。
 とはいえこれらは、我が国家の存在を解体させようとする深刻な思想戦、宣伝戦を仕掛けられている現在において、こともあろうに「国家のない頭の中」に吹く風である。
 従って、この風が吹く度に我が国は弱体化し、喜ぶのは、具体的には、支那と朝鮮そしてアメリカ、特に支那と朝鮮だけだ。

 そこで、「戦後から脱却する政治勢力」が、決定的に明らかにするのは何か。
 それは、日本人の中に、日本弱体化を喜ぶ支那人や朝鮮人やアメリカ人のマインドをもって政界に巣くい財界を牛耳る似非日本人の分厚い層が存在しているということである。
 さっそく、政界や財界で、石原氏の国政復帰に、「中国を刺激する懸念」を表明する者がいるし心中そう思う者がいるが、それがこの者達が、もはや日本人ではなく支那に飼育された似非日本人に成り下がっていることの証しである。
 つまり、石原記者会見は、さっそく有益な効果を、日本政財界そしてマスコミ界や学会にもたらしているということだ。

 また、四月に石原東京都知事が、尖閣諸島を都で買収すると発表したときに、「中共を刺激すれば恐い」と慌て錯乱して、こともあろうに我が国固有の領土に対する我が国の実効支配を放棄するために(日本人を上陸させず調査させず開発させず)、尖閣を国有化した野田総理と松下政経塾を鼻にかけた未熟児の面々の反国家性は明々白々となる。

 さて、「戦後からの脱却」とは何か。
 それは、歴史の回復に基づく日本国憲法廃棄である。
 石原さんは、本年六月十三日、東京都議会において都議会議員土屋たかゆき(註)君の質問に答えて、「日本国憲法廃棄」を明確かつ公式に答弁している。
 
 これこそ、政治家の決断であり政治主導の見本である。
 
 昭和二十年から二十七年まで、我が国を軍事占領していた占領軍が、昭和二十一年二月の十日間で、日本を永遠に連合国の脅威にならない弱体国家に止めおく占領方針にを実施する為に、
「占領中に占領軍兵士に書かせた日本国憲法と題する文書」
を占領解除後六十年以上にわたって後生大事に「憲法」として扱っていて、これからもその枠内で生きようとする者、もっとはっきり言えば、祖国が占領軍なき被占領国体制に閉じこめられていることを幸いに、そのなかで出世して地位を得ようとする者、つまり戦後の利得を狙う者に、「維新」も「改革」もへっちゃくれもない。

 石原氏は、この憲法廃棄の決断をひっさげて政界に帰り「最後のご奉公」に臨むのである。
 従って、今まで「保守の面」をして安楽に生きてきて現在の堕落した政界をつくった者も保守ではなく、実は日教組と変わらない「戦後左翼」に分類される。つまり、戦後とはよく言われるように、自民党が金を出し日教組が子ども達に反日教育をする「総左翼体制」だったのだ。
 つまり、国民は「日本的保守」とは何かを知ることになる。これは、既に日本政界に於ける大きな貢献である。

 平成九年五月、私は、石原慎太郎さんと沖縄県石垣島で待ち合わせた。私は関空から石垣島に行き、石原さんはフィリピンから船に乗って石垣島に来た。
 そして翌日、ともに尖閣諸島魚釣島を目指して海に乗り出し、石原さんは、島に上陸する私をサポートしてくれた。
 平成二十四年十月、今度もまた、わくわくする思いで、政界に乗り出すことになる。
 誇りある日本の存続、サバイバルをかけて。


☆ やはりそうだったのか・・・西村眞悟氏も最初からそのような考えだったのか。彼は「剛に見えて柔であり、その柔は<保守というオーケストラの『指揮者』でなく、『ソリスト』である」と思う。
ソリストは指揮者のようにオーケストラの方向性よりも、自分がその中でいかに演奏するか、というのが使命であり、時には(真正の巨匠といわれる偉大なソリスト>は指揮者の方向性を引っ張る力があり、かつての巨匠は聴衆を目の前に圧倒的な「音楽的勝利」を聴かせ、聴衆を歓喜させたものだった。

しかし、今はそのような「巨匠」といわれる天啓を示すようなソリストはいない。
凡庸な指揮者に対しても、凡庸なソロが精一杯で「目立ったミスなく」その曲の形をなぞるだけ、・・・たまにはそうでないソリストもいるが、凡庸な指揮者はそれを毛嫌いする。指揮者を超えるような者は許容しないのだ。

ありあまる才能は自分自身の演奏解釈の中で長く過ごすと錆びることもあるのではないか。
今、正しく「ソリスト」とされるのは、藤井聡氏ら(中野氏もそうだが)学者であるようにも思える。

私は石原都知事のあまりにも性急な「ソリスト」に対し、「指揮者」として毅然たる態度を示すのが平沼赳夫氏や中山恭子氏、三宅博氏と思っている。
この人たちは面と向かっては言わないだろう・・・組織の一員であるかぎりは。
しかし、それを石原氏は先の会見の中で「狭い」と笑っていた。
選挙は数であり勢いである。そこがコンサートでの芸術家とは生き方が違う・・・いいえ、芸術家も「芸能プロダクション」である。しかし、かつての名演奏家は「舞台」では神の声のような演奏をしたものだった。

かつての自民党に逆らった政治家の怨念もあるだろう、しかし今は「国家・国民」を第一に考えるべきではないか。

橋下より安倍氏のほうが正しく、また数もあるのに、なぜそれを認めないか。
はじめるのはやさしいが、鉾をおさめることのほうがもっと難しい。
このような「ファンファーレ」は「ファンファーレ」であり、シンフォニーやオペラではない。これは音楽家である私の直感だ。

★註・・・土屋たかゆき氏・・・月刊誌「WILL」9月号で『尖閣を竹島にするな』で野田かずさ都議員と対談、野田かずさ氏は橋下に傾倒、土屋氏は見事なまでの「橋下」批判をしていた。最近、野田かずさ氏は東京「維新」に入党。土屋氏は見事、真正保守としての見識を示していたことで記憶している。


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