教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ワレ幸福回路ガ故障中ナリ

2011-12-17 01:00:54 | オタネタ全般
恐らくほとんどの者がそう思うであろう事だが、
わたし自身に限ってはそうは思わない。
そういうものがある。

当blogでいつも言っているように三次元より二次元の女の子のほうがいい件もたしかにそうだ。
だが、それは実は他にもう1つあることに気がついた。

それは、子供の頃の追憶についてのことだ。



「今からでいいから子供の頃に帰りたい」
誰しもそう思うようだ。

特に2chのν速民とかのレスに多い気がする。
2chでは小中学校の頃の自分が人生において最も輝かしい時代だったと考えるフシが多いように思う。

部屋から出もしないほどの強靭な警備兵なってしまえばそう思う気持ちもわからなくもない。

しかし!

わたしはそうは思わない。
あまり子供の頃に帰りたいとは思わないのだ。



中学校の頃、人様の子供をあずかっておきながら毎日ぶん殴って給料もらうクズどもが教員をやっているどうしようもない中学校にいた。
だから当時わたしはかなり荒れていた。
「俺はああはなりたくないな…」
と心に誓い卒業したものだ。
その気持ちは今もってして変わらない。

いまの中学はそうではないようだが、わたしの経験した中学とはそういうものだった。

そんな中学に戻りたいとは思わないのは当然といえば当然かもしれない。

小学校の頃はどうかというと・・・
こちらはクズどもがうじゃうじゃいる人類失格の巣窟とは言う気はない。
ただ思い出しても、2chで語られるような自分にとっての栄光の時代とはとても思えない。

小学校の役割にはいくつかある。
基礎学力を身につけること。
集団生活に適合させること。
などなど。

しかし、わたしの経験からいって、その2つがメインではない気がする。
かなりの高ストレス下においても壊れない社会人を養成するための、高ストレス付加現場としてのやくわり。
それがあるように思う。

いま考えても小学校では無意味なことが多かった。
それは、刑務所の庭で穴を掘ってまた埋めるという無意味な労働をやらされているのと(体力面以外は)とても似ている気がする。

だが当時は世の中すべてがそういう世界だと思っていたから、そこが特別おかしいとは特に思わなかった。

いまの小学校は多少マシで楽しく学べる環境にあると思われる。
だが、わたしの感覚はそうは答えない。

さて。
いまそんな小学校に戻りたいと思うだろうか?

小学校に戻ると当時の脳ミソと同じ能力になるとしたら、それは当時と同様にかなりストレスを受けるだろう。

現在の脳ミソのまま小学校に戻れるとしたら、それは泥酔しててもできるくらいの作業でしかないので大きなストレスを受けるとは思えない。
しかし、無意味なことをやらされ続けていることに対して強いわだかまりを感じながら卒業まで惰性で生きていくことになるだろう。

まあ、当時から
「あー、もっと早く時が過ぎないかなー」
といつも思っていて、すでに惰性で生きていたような記憶がある。

どちらにせよ、皆の思い出にあるような輝かしい世界ではない。
少なくともわたしにとっては。
皆、思い出に過剰に期待しすぎなのではなかろうか。



ここまで考えて、ふと思ったことがある。

じつは皆が思い出に過剰に期待しすぎなのではないかもしれない。
それがふつうなのかもしれない。
むしろ、わたしが良き思い出だと感じられる条件が他の人と違うのかもしれない。

そう思ったのだ。

時がたつと思い出は美化する。
美化した思い出はまぶしくうつる。
そしてそこへ戻りたいという願望が働く。

実態は恐らくそうではない。

時がたつと思い出が美化しない場合もありうる。
美化しなければ思い出は特別な記憶にはならない。
そこへは戻りたいという願望は働きはしない。

それが我輩。
・・・かもしれない。



キカイダーという作品がある。
ロボットだかアンドロイドだかには良心回路が実装されているが、しかし不完全だった。

二次元の女の子しか好きにならない男がいる。
いちおう人並みに幸福を感じる回路が精神に実装されているが、しかし故障中で人が幸福と思うことを冷徹に見すぎるきらいがある。

・・・そんなとこかね。


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