教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

パンツをアニメで見よう

2010-11-29 00:08:10 | オタネタ全般
パンツが素晴らしいアニメは何だろうか?

通称「パンツ」と言われるほどに影響力を持つ “ストライクウィッチーズ” だろうか。
全身カットでパンツが見えないはずがないほどにパンツ尽くしだった “ロザリオとバンパイア” だろうか。
エンディングの空飛ぶパンツ編隊で上級者のパンツァー達をもさえ驚愕させた “そらのおとしもの” だろうか。

いや。
それは違う。

あえてわたしは “おまもりひまり” を推したい。



アニメにおいては、パンツは見えなければパンツの存在意義はない。
したがってパンツを楽しむにはパンツが見えることは必須となる。

では、パンツは見えればそれでよいのか?

否。
我々は闇雲にただパンツを見たいのではない。
むしろ、ただパンツを見せびらかされてもウンザリするだけである。

我々はパンツを見ることで、パンツが見えたこと以外の他の何かを得ているのだ。

他の何かとは。
それはもちろん、感動である。

では、我々がパンツを見て得たい感動とは何か?

女が見せようとして見せたパンツには何の感動もない。
不覚にも「見えてしまった」パンツにこそ感動があるのだ。



いつもパンツを見せている女のパンツが見えたところで、そこに価値など全く無い。
ワカメちゃんのパンチラはあれは意味の無いパンチラである。

パンツに価値が生まれるためには必須条件がある。
普段はパンチラにならない程度にはスカートの丈は長くなければならない。

パンチラはパンツがチラリと見えるからこそパンチラと呼ばれるのであり、ワカメちゃんのごとく常にパンツがガン見えするとしたら、それはパンチラとは言ってはならないものだ。

昨今ではキチガイじみた狂信的フェミニストの言い分をくんでやって鉄壁スカートと呼ばれる絶対防衛兵器まで生み出されるハメになってしまっている。
またその逆に条件を逸脱したものもあり、パンチラが見えすぎてしまうアニメもまた少なくない。

見えすぎる一歩手前のパンチラ。
そう、パンツが見えたことに一喜一憂し、一時停止ボタンを押してしまいそうになるほどのパンチラ。
それこそが真のパンチラである。

果たしてそんな優れた作品はあるのだろうか?

ある。
それが “おまもりひまり” なのだ。



“おまもりひまり” を見よ。

ふだんはパンツが見えないくせに、カメラアングルが変わった瞬間のほんの1秒にも満たない刹那の瞬間だけ、その美しき神秘の園が垣間見える。
しかし無常にも時は進む。
そこにはもう我々の愛したパンチラは存在しない。
我々はヒロインの顔を見て、先のパンチラの思い出を満喫する。

パンチラの扱いにおいて、わたしはこれを超える作品はほとんど無いと断言できる。



なぜ緋鞠や神宮寺のパンツはあれほどまでに素敵なのか。

きっとあなたもそう思うだろう。






追伸:

アニメで映るパンツは可憐である。
しかし、現実世界のパンツは単に汚い。

それ系の店で使用済パンツが売られているのを見たこともあるが、なんだか大変汚いものに見えてカネ出してまで買うような物には見えなかった。
街でうっかりパンチラを見せられてしまった時も感想は同様である。

下着ドロは洗濯して干している下着を盗むのだそうだが、わたしも少なくとも洗濯済でなければ人の下着など触りたくないという意味では彼らと同感だ。

パンツが輝くとしたらアニメやゲームのヒロイン以外に考えられないとは思わないだろうか?


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