見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

喜劇王

2014-12-31 | 本と漫画と映画とテレビ
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく

―井上ひさし (チャップリンの映画を観ていて思いついた言葉)


早稲田松竹でチャップリンの映画特集をしてたので観に行く。
年末っぽい。ワクワク。

『黄金狂時代』と『独裁者』の二本立て。
どちらも、監督・脚本・主演チャールズ・チャップリン。


『黄金狂時代』
飢えや孤独などに翻弄されながら、
黄金を求めて狂奔する人々を描いた1925年製作のアメリカ映画。
(今回の上映作品は、1942年にナレーションをつけて再公開されたサウンド版)



空腹のあまり靴をゆでて食べたり、
ロールパンにフォークを刺して足に見立て、ダンスを披露するシーンなんかが有名。
そのロールパンダンスをするのが(夢だけど)、ちょうど大晦日なので、
時期的にピッタリ。

あちらでは、大晦日のカウントダウンに『蛍の光』歌うんだ~って思ったり、
女たちにからかわれてることに気づかず、
心唄うチャップリンは、笑いどころなんだろうけど、見ててせつなかったり。。。



あと、ニワトリの被り物が、すごいかわいい。
熊もかわいい。

映画館には小さな子供も来てたんだけど、
その子たちがキャッキャ笑って観てたのが印象的だった。

チャップリン的な、ドリフ的な、大きな動きの笑いって、
とにかく子供ウケがいいのね。
ディズニー映画『アナと雪の女王』で同時上映されていた
短編『ミッキーのミニー救出大作戦』も子供たちが大爆笑してたし。


そして、

『独裁者』
アドルフ・ヒトラーの独裁政治を批判した1940年公開のアメリカ映画。
チャップリン映画初の完全トーキー作品。



独裁者ヒンケルと隣国の独裁者ナポロニが、
握手と敬礼でワチャワチャするシーンの度に、
アンガールズの「ジャンガジャンガ~」が頭をよぎって大変だった・・・

ちなみに、
最後の名スピーチ直前の、壊れた椅子を交換する場面でも
「ジャンガジャンガ~」ってなる。笑
その椅子の場面では、シュルツ中佐役の俳優さんが
素でおもしろくなって笑っちゃってるようにみえて、余計笑える。

ヒンケルがダルそうに敬礼を返す仕草や
地球儀のバルーンで遊ぶシーンがちょっとかわいい。




公開当時のアメリカは、ナチの戦争とはまだ無縁で平和だったみたいだけれど、
よくまぁ、進行形の他国の政治を、あれだけボロクソに非難できたもんだわ。
すごい。

・・・と、思ったけど、
今でいうところの、北朝鮮映画『ザ・インタビュー 』みたいな感じ?

『独裁者』を観たヒトラーは何を思ったんだろうね。
てか、1940年の段階でチャップリンに散々ディスられてんのに、
この後もグイグイ政策を進めていったヒトラーやナチス・ドイツがすごいのか?


でもやっぱり、
自分の怒りや主義主張を「笑い」に変換して表現したチャップリンがすごい。

プレステージ

2014-12-26 | 本と漫画と映画とテレビ
「STAP細胞はありまーす!」

なんて。
思わず今年の流行語が口をついて出る。


『プレステージ』
監督:クリストファー・ノーラン
出演:クリスチャン・ベール、ヒュー・ジャックマン



19世紀末の英・ロンドンを舞台に、過去の因縁によって互いに競い合う2人の手品師、
ボーデン(クリスチャン・ベール)とアンジャー(ヒュー・ジャックマン)を描いた
2006年公開のサスペンス映画。


器用で手品センス抜群のボーデン、華があって魅せ方&宣伝上手なアンジャー。

対照的な2人の手品師、ボーデン vs アンジャーのマジック対決だけでなく、
実在した2人の科学者、ニコラ・テスラ vs エジソンの電流対決も描かれているからか、おせっかいにも、ips細胞 vs STAP細胞のことにまで思いを馳せちゃうのです。

同業者が画期的な手品を開発して称賛を浴びてたら、そりゃ焦るよ。
亡くなったセンター長も焦っちゃってたんだろうね。
ユニットリーダーだって、ウソはついてないんだと思う。
実際のタネを知らないとか、成功回数に制限のある手品だったとかそんな感じだよ。きっと。

ただただ、研究者としての意識とか職責っていう部分のね。欠如なのかな?
わかんないけど。


話を映画に戻しまして。

冒頭で「しっかりみていてくれ」といわれるので、
目を皿のようにしてみるのです。


漫才が「フリ」→「ボケ」→「ツッコミ」で構成されているように。
落語が「マクラ」→「本題」→「サゲ」で構成されているように。

手品も「確認(プレッジ)」→「展開(ターン)」→「偉業(プレステージ)」
という3段階で構成されているのだそうです。

1. 確認(プレッジ)
「タネも仕掛けもございません。鳥と鳥カゴでございます」


2. 展開(ターン)
「アブラカタブラ・・・・・・・・・・・・・・・・ワォ!消えちゃいました!」


3. 偉業(プレステージ)
「ご安心ください。鳥はこちら側の手に」


この3段階構成。


観客は〈プレッジの鳥〉=〈プレステージの鳥〉だと認識しちゃいがちだけど、
実は、〈プレッジの鳥〉≠〈プレステージの鳥〉ってのがこの手品のタネ。

仕掛けは単純で、
スカーフで覆っている間に〈プレッジの鳥〉と鳥カゴをテーブルの中に隠し、
あらかじめ袖口に仕込んでいた〈プレステージの鳥〉が、最後に登場するのです。




そんな手品のタネ明かしが
映画の序盤でダダーッと説明されるため、早い段階で、
〈ボーデン〉≒〈ファロン〉
〈アンジャー〉≒〈コールドロウ卿〉
ってことなんだろうなぁ、とぼんやり思う。

手品のタネが「替え玉」ってのはわかるんだけど、仕掛けが最後までわからない。
サプラ~イズ。

仕掛けがわかったらわかったで、ついつい、もう1回見直したくなる。
クリストファー・ノーラン・マジック。
そして、1回目での疑問も2回目で解消。(謎はまだまだあるけど・・・)
クリスチャン・ベールの演技がすごい。すごすぎる。


「芸」は身を助けるけれど、身を殺しもする。
それでもその「芸」を手放すことはできないものなのだよ。っていう話。

怖いね~怖いよ~。

本当は、監督の最新作『インターステラー』を映画館に観に行きたかったのだけど、
たぶん何度か繰り返し見ないと理解できないんだろうな…という不安が大。
DVDになるのを待つか、完全入れ替え制じゃない映画館を探すか・・・悩む。



以下、ネタバレと妄想。



ボーデンは双子説とコピー説があるけれど、
実際はどっちなんだろう・・・どっちの説も納得できたりできなかったり。

確かなのは、
初期の1897年4月の段階で、ボーデンは「自分にしかできない手品がある」って言ってるので、ボーデン2人体制はアンジャーと出会うよりもっと前から出来上がっていたのだろうってこと。(ボーデン/ファロン体制になったのは、サラと暮らし始めてからの様子)

科学者のニコラ・テスラがアンジャーのために作ったコピー機を
過去に他の誰かにも作ったことがあるのかは、、、ちょっとわからん。

アンジャーはニコラ・テスラと会食した際に、
「以前、私の同業者に作った機械を私にも作って」ってお願いしてるけど、
後半の黒猫コピーの前に、
「同業者に作った話は嘘なのか!?」って詰め寄ってるのよ。

よくわからん。


まぁ・・・
個人的には、コピー説の方が面白いとは思う。
同じ機械を使用したのに、使い方が異なる2人。

ニコラ・テスラの発明したコピー機を1回だけ使って、
コピーと一心同体となり、最高の手品を創り上げた一流マジシャンのボーデン。

一方、

ニコラ・テスラの発明したコピー機を繰り返し使って、
コピーを何十体も製作し、観客を魅了した一流ショーマンのアンジャー。


ボーデンコピーが
アンジャーのコピー機マジックのタネが分からなかった理由は、多分、
ボーデンがコピー機を1回しか使わなかったから。

きっと、、、
シルクハットや黒猫の時みたく、
コピー機から離れた場所で複製されたボーデンコピーは、
コピー機の見当たらない場所でボーデン本人と対面して、
突然現れたボーデン本人のことを「よくできた替え玉」とでも思ったんでしょう。
「なんかドッペルゲンガー現れた!ラッキー!」てな感じ。
(単細胞すぎるけど・・・)

自分がまさかコピーだとは気づいていない。
ボーデンコピーは、自身が披露している
瞬間移動マジックの本当のタネに気づいてない。

だから、「テスラ」は単なるキーワードにすぎないと思ってて、
好きな女(オリヴィア)の愛を確かめたいがために
勝手に日誌をアンジャーに渡したり、
アンジャーの替え玉だった俳優ルートに
「替え玉が支配権を握りだす」って語ったんだと思う。


でも、ボーデンコピー説を採用すると、
刑務所でボーデン(コピー)とファロン(ボーデン本人)が
面会するシーンが悲しすぎるのよね。

ボーデンコピーは、殺意はなかったとはいえ
アンジャーの奥さんもボーデンの奥さんも死に追いやっているわけだから
捕まって死罪になるのは自業自得な面もあるんだけど、
(アンジャー殺しに関しては冤罪)

自分がコピーだと知らずに死んじゃうのかな~?気づいたのかな~?と思うと、
最後の面会でファロンに「サラ(奥さん)のことごめんね」って反省してるのをみてると、ちょっとコピーが不憫で。。。ボーデン本人も複雑な心境なことでしょう。

ボーデンが執拗に「手品のタネは知らないほうがいい」的なことを言うのも、
ボーデン本人に「自分はボーデンコピーをもダマしている」、
「ボーデンコピーは瞬間移動マジックの真のタネを知らない」
という自覚があるから?

また、
アンジャーの方に目を向けてみると、
アンジャーコピー第1号は、アンジャー本人に撃たれて死んじゃうけど、
アンジャー本人(原本)は次のマジックで死んじゃう。

つまり、ラストで撃たれるアンジャーは本人ではなくてコピー第X号。

ボーデンとボーデンコピーの例を見てる限りでは、
本人とコピーでは性格や女の趣味も違ってくるようなので、
本人=コピーとは言えない。
厳密にいうと、最終段階ではアンジャー本人(原本)は存在していない、ってこと。

これもちょっと悲しい。
マジック(芸)のために死んじゃったよ・・・っていう。

確かに、双子説の方が自然なんだけど、
コピー説の方が、物語としては面白い。


最後にこれまたどうでもいいけど、
ニコラ・テスラの発明した機械は、前にニュースになってた3Dプリンターみたい。
宇宙ステーションで足りない工具を
地上からデータ送信して3Dプリンターに送り込むって。
瞬間移動マジックのタネじゃん!っていう。

科学がSF映画に近づく。
科学が手品のタネになる。

タンポポ

2014-12-21 | 本と漫画と映画とテレビ
ラーメン食べるのは、そのド素人なのよ!?
素人に分からない味のラーメン作ってどうするの!?
―映画『タンポポ』より


最近、食欲がすごい。
夢の中でもなにかしら食べてる。
年末ゆえ、付き合い続きで…とかそんなんじゃなくて、
心の空洞を満たすために、必死に胃袋に詰め込んでいるという感じ。

止まらない食欲。

特に、ラーメンがやたらと食べたくなる。
しょっぱい油スープのなかに炭水化物をブチ込んだ麺料理。
ディス・イズ・ラーメン。
不健康を絵に描いたような料理が、なぜ、あんなにも魅惑的なのか…緩やかな自殺。



ラーメン三昧の食生活に危機感を覚え、
ラーメンを食す方から観る方向へとハンドルを切るのです。

止めてみせようホトトギス。


『タンポポ』
監督:伊丹十三
出演:山崎努、宮本信子、渡辺謙

 

タンクローリーの運転手が、
売れないラーメン屋を立て直す1985年公開の日本映画。


はー・・・。
結局、ますますラーメン食べたくなった。。。
最初の「ラーメンの食べ方指南」みたいな所からヤバイ。

“スープの表面にキラキラと浮かぶ無数の油の球、油に濡れて光るシナチク、
早くも黒々と湿り始めた海苔、浮きつ沈みつしている輪切りのネギたち、そして何よりも、これらの具の主役でありながらも、ひっそりと控えめにその身をひそめている3枚の焼き豚。”



ま、ラーメン食べる前にあれだけたっぷりと愛情表現してたら、
麺が伸びちゃうんだけどさ。
焼き豚に「あとでね・・・」つって声かける気持ちはすごく分かる。


ざっくりストーリーは、『スーパーの女』逆バージョン。
『スーパーの女』は宮本信子が津川雅彦(五郎)のスーパーを立て直す話だけど、
『タンポポ』は山崎努(ゴロー)が宮本信子のラーメン店を立て直す話。
そこに、西部劇と小ネタ集をトッピングして、リストの『前奏曲』で煮つめられているのです。

どうでもいいけど、
山崎努かっこいいね~。長生きしてね~。と思う。


ちょこちょこ差し込まれる小ネタ、食エピソードがとってもステキ。
ステキっていうか、キテレツ?変態?

伊丹十三は『ヨーロッパ退屈日記』っていう著書の中でも、
スパゲッティのアルデンテについて言及したり、
目玉焼きの食べ方を語ってたけれど、
食についてのこだわりや知識がすごくある人なんだねー。
そうじゃなきゃ、こんな変態映画作らないよねー。と思う。

美食家、伊丹サーティーン。

食通のイタい新米サラリーマンとか、ずるずるパスタとか、卵黄口移しとか、
食品をめっちゃ押す老婆とか、タンポポオムライスとか(ノッポさん!)、
首から人参をぶら下げた自然食で育てられてる子供とか。

なかでも、死の床にある母親がチャーハンを作る話がヤバイ。
母親ってそういう生物よねー。母偉大。と思って切なヤバイ。
その貧しい家の横を、リッチな電車が通るのもヤバイ。


ラーメンだけじゃなくて、
歯痛の男が電車の中で食べてた飲茶も、東北大教授が食べてた北京ダックも
力也考案のネギそばも、もりそばもおしるこも鴨南蛮も天ぷらそばも、
すべて美味しそうだった・・・ヨダレ。
イノシシの腸詰山芋も、かなり美味しそう。(そうね。わさび醤油なんか合うわね)

あれも食いたい これも食いたい。っていう映画。

お腹減ったよ~
食欲止まんないよ~

外付け胃袋が欲しいと思う。







香港の雨傘

2014-12-14 | 生活
香港デモ収束、のニュースに驚く。

9月の末ころから続いていた香港の反政府デモが、
なんの進展もなく強制排除されちゃったことに、ちょっと驚いている。

2014年に。21世紀に。
香港っていう、世界都市で。けっこう先進的っぽい街で。
正当なことを主張したら、強制排除っていう。

え?アリなんだ?っていう驚き。

『デスノート』読んでたら、
途中でエルが死んじゃった時と同じくらいの衝撃。

うそでしょ?っていう二度見。


だって、
デモの報道を見ている周りの国や世界の人々が意見して、
中国側が譲歩するんだろうなと思ってたもんだから・・・。
普通に逮捕、デモ排除で終わるんだねぇ。そんなもんなんだねぇ。

なんだろうこの気持ち。・・・ざわ・・・ざわ・・・


まぁ、つっても、デモの理由とか
よく分かってないんだけどね!

多分、、
中国政府が約束を守ってくれないことに対するデモ?なのかな?

香港の行政長官を選ぶ2017年の選挙で、
中国政府は普通選挙を行うことを約束していたのに、
「やっぱ、長官は選挙管理委員が選んだ数人の中から決めてね!」って言い出した。
それに香港人激オコ。デモ開始。

♪ Do You Hear The People Sing ~? ってこと? 


それだけじゃなくて、きっと、
香港の人々にとっては、中国政府に対するいろいろな思いがあったから
あれだけ大規模になったんだろうよ・・・わかんないけど。


た~まにニュースをみて概要を知る程度の私からしたら、
約束も守らないうえに、
強制的にデモを撤去する中国政府って・・・頭おかしい。としか思えない。

もうね、DVですわ。
ドメスティック・バイオレンス。

なんか、ウワサだけど、
返還の際に交わした一国二制度の約束もそんなに守ってくれてないらしいし。
ほんっと大変。
さっさと、別れちゃえばいいのに!(無責任)
前のダンナのほうがよかったのに!(適当)


他人の家のDVを心配するヒマがあるなら、
自分ちのこともっと真剣に考えろよ、っていう話だけども。

サン=テグジュペリ風にカッコよくいうなら、
「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような
不幸な出来事に対して忸怩(じくじ)たることだ。」ってことです。
決して、現実逃避だったり、野次馬根性でなんかではありますん。


あと、約束は守ろうよ。と思う。

もし『走れメロス』の中で
メロスが結婚式のあと、お城へ向かわないで、
「気が変わったので、助けに行くのやめたわ」つって
友人のセリヌンティウスに連絡したとしたら、
メロスのこと、ブッとばしたくなるでしょ?

そうそう。そんな気持ち。





砂の女

2014-12-09 | 本と漫画と映画とテレビ
【心理テスト】
部屋に1人でいると、ラジオから曲が流れてきました。
さて、その曲のサビはどのような内容の歌詞でしたか?
(答えはのちほど)


映画『砂の女』をみる。
なんだろう。よくわからなかったんだけど。
答えを教えてください。

よくできた『世にも奇妙な物語』?
もしや、これは、心理テスト?

『砂の女』
監督:勅使河原宏
原作&脚本:安部公房
出演:岡田英次、岸田今日子

安倍公房の小説『砂の女』を原作とした、1964年公開の日本映画。



なんだか、
この映画の解釈次第で、その人の心理が見えてしまいそう。
カフカ的不条理なのに?不条理だから?普遍的。


映画の雰囲気は、
「モノクロ×砂丘×アートっぽい」ってことで、
植田正治の写真を彷彿とさせます。

  

つっても、植田正治の砂丘は鳥取砂丘で、
『砂の女』のモデルは山形の庄内砂丘(撮影は静岡県の千浜砂丘)で、
発表された時代も違うようだけれど。ただの勝手なイメージ。

そして、
オープニング・クレジットがかっこいい。
冒頭で主人公が、「証明書が~」って語るからハンコなのかな?


物語の感想は・・・
いや、ホントなんだかよくわからない。


ただ、
「砂の女」を演じるのが、当時33~4歳?の岸田今日子ってのが。絶妙。

これが、グラマラスな超絶美女だったり、かわいい幼女だったり、老婆だったり、
クールなイケメンだったり、ガチムチだったり・・・すれば
(最後の方は女ですらないけれど)
主人公の男の行動も違っていたことでしょう。
そこそこ(御免!)の岸田今日子ってのがポイントなんだと思う。

んで、
砂の生活は、はじめは嫌だったけれど、
よくよく考えてみると・・・あれ?・・・意外とヤじゃない。
衣食住あるし。性処理もできるし。

現状に不満はあるけど、我慢できないわけじゃない。

なにより、砂の住民にしか分からない、
鉄板の内輪ネタを発見しちゃったもんだから。住民に披露したくてしょうがない。
昆虫図鑑に自分の名前は載りそうにないし、
だったら、砂の世界で認められたい。優越感にひたりたい・・・??
続編、『砂の男』近日公開! ウソだけど。


えっと。。。

つまり、これは、、
「あなたは砂の生活に、何を思いますか?」
という心理テスト映画って理解でいいのかしら?

砂の生活に
家庭を思うのか、仕事を思うのか、社会を思うのか・・・?

与えられた場所に満足できないから生きていくタイプなのか、
それとも、グチりながらも満足してしまうから生きられるタイプなのか診断。
(適当)


イヤーー!
イヤだーーー!
早く砂から抜け出したいー!



【心理テストの答え】
その曲のサビ、歌詞の内容は、
他人からそう思われたい自分の姿なんだって。


ナンシー関 ハンコ展

2014-12-06 | 本と漫画と映画とテレビ
やらせをしてまでも作りあげたい(デッチあげたい)
「おもしろい」を思い描く能力の有る無しは、
道徳心の有無より大事だ。

―ナンシー関 『テレビ消灯時間』より


先月、渋谷パルコで開催されていた
ナンシー関の展覧会に行ってきました。



ハンコの原版だけじゃなく、
ハンコのつくり方やら丁稚アニメやら
傑作コラム集やら、いろいろと本当に大充実&大満足の展覧会で。

数々のハンコは、
LINEのスタンプにして売り出せばいいのに。
(すでに売ってるのかも?)

何年か前にも開催されていたけれど、
今回のほうがより面白かった。


なかでも、ウェディングドレスや高級ブランド品に
ナンシー関のハンコを押印したコンセプチュアル・アート?がかなり見ものだった。

「グッチ(GUCCI)の靴に清水健太郎のハンコを押したら、
それはもはやグッチの靴じゃなくて、清水健太郎の靴と呼ぶのでは?
そんな思いから数々のコンセプチュアル・アート作りにも取り組む~云々」

というような内容の解説文が添えてあり、
まさかの、デュシャンの『泉』がここに!という感動と
こういうアートな活動もしていたのね~という驚き。



グッチの靴改め、清水健太郎の靴。笑
どっちが魅力的かは人それぞれなのです。

今回の展覧会に行って、
この人は版画家、芸術家だったんだな~と気づく。
何をいまさら。


だって、ナンシー関のことよく知らなくて・・・

祖父が定期購読していた『週刊朝日』に、
「小耳にはさもう」というコラムが連載されていたなぁ。という記憶のみ。
消しゴム版画家ということすら認識してなくて、イラストも描く面白コラムニストだと思ってた。「~だ」「~である」という断定の文体と自画像から、かなり長い間、男性だと思ってた。



2002年頃、突然の訃報にびっくりして、
しばらくしてから、テレビでマツコ・デラックスを観て、またびっくり。
ナンシー関の親戚か?つってひとりザワザワ。


そして、改めて著作を読んでみると、
その面白さを再確認するとともに、人類は偉大な人を失ったんだわ・・・。
という事の重大さに気付く。

(いまさら過ぎる・・・)


扱っている素材が、
当時のテレビ番組や時事ニュースといったナマモノなので
今読むと、確かに新鮮味には欠けるけれど、

オウム事件の横山弁護士だとか、オーストラリア失踪花嫁だとか、
沢田亜矢子と松野さんだとか、嘘つき解散の宮澤首相だとか、、、

懐かしい話題がいっぱい。
しかも、文章がすんごい面白い。
独特な視線。かつ、的確。


ヤワラちゃんの政界進出を予言したり、

長野オリンピックの閉会式を観て、“欽ちゃんは死にました。”と発言したり、
(殺したのは演出の浅利慶太)

テレビに出てきた子供のキラキラネームに対して、
“「出産」は絶対正義だからねぇ。その前にあっては「センス」とか
「ニュアンス」というあいまいなものは無力なんだろうと思う。”
つって、想像を超えるネーミングに驚いたり、

皇太子さまの結婚報道に盛り上がるワイドショー番組に、
“おめでたければ何でもあり、めでたいんだからしょうがねえだろうというオラオラ状態。「全国民のよろこび」という錦の御旗のもとに、大きくカン違いした「報道の義務」を遂行せんと、洗足(せんぞく)の商店街しらみつぶしで雅子さんの足のサイズまで調べあげる。”とモラル無視の喧伝に冷めた視線を送ってみたり、

“いい人だからどうだというのだ。
テレビに映った時につまらなければ、それは「つまらない」である。
何故、見せている以外のところまで推し測って同情してやらなければいけないのだ。”
つって「顔面至上主義」を提唱したり、

“メディアミックスには気をつけろ、ということを、
私たちはここ数年ほどでしっかり教育された。それは主にフジテレビによる。
テレビ、ラジオ、出版、そして新聞まで動員していろいろ私たちをダマしてきた。
『夢工場』かあ?” つってステマを警戒したり。

“「テレビは誰かの視点による」というのは怖いことではあるが、
その視点がすぐれていれば楽しいことでもあるのだ。”
つってお気に入りのテレビ番組の編集をホメたり。


それはもう、「テレビ」に対しての視線がすごい。
テレビの出演者、制作者、視聴者、みんなに厳しい。
「芸」や「仕事」に厳しい。
テレビ愛ゆえの冷徹さという感じ?

こんなにテレビの事を考えてくれる人は、もう二度と現れないと思う。


誰もがうっすら思っているけれど、
うまく頭で整理できない事案を、的確な言葉で
代弁してくれる存在だった、というか。

対談集『語りあかそう』の本人談によると、
「その人自身がいい悪いよりも、この人はこんないやなところがあるのに、
世間の人はどうして気がつかないの?っていうところのほうにムッとするんですよ。」ということらしいのだけど。


もし、ナンシー関が生きていたら、
2014年、今の空気をなんと書いてくれるのか。

テレビの衰退っぷりや、政治のオラオラ感に何を思うんだろう?
人前で歌わない歌手たちに何を思うんだろう?
辻仁成と中山美穂の離婚には何を思うんだろう?
アメトークのプロレス芸人に何を思うんだろう?
ビートたけしの現状や、松本人志の筋肉&銀髪に何を思うんだろう?
崇めてないで、早く引導渡すヤツ出てこい、とか言うのだろうか?

個人的には、綾野剛の節操なく映画に出まくる感じをなんとか言ってほしい。
(あ、テレビ関係なくなってる)

あと、散々ネタにしてた森繁久彌より
先に死んでしまったことをどう思っているのかも気になる。


うー
生き返ってー



この方は、あいかわらず。







俺たちに明日はない

2014-12-02 | 本と漫画と映画とテレビ
ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、
華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。
名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。
純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。
だから、私はロココが好きだ。

―太宰治 『女生徒』より


衣装がステキな映画が好き。
登場人物がお洒落だと、それはもう無条件でいい映画。

イーディス・ヘッドが衣装を担当しているヒッチコックの映画や
豪華絢爛なバズ・ラーマンの映画が大好きー!

あとは、なんといっても
『俺たちに明日はない』のボニーの衣装。
ボニーの強盗ファッションは、いつ見てもホントかわいい。
ベレー帽に、胸元がざっくり開いたブラウス、タイトスカート。
時には、半袖ニットにスカーフをさらりと巻いてみたり。

聞くところによると、
ボニーを演じたフェイ・ダナウェイは、この役のために
かなり体重をしぼって撮影に挑んだんだとか。女優魂。

その成果が、抜群に発揮されています。


そんな大好物『俺たちに明日はない』が
近くの映画館で上映されていたので、喜々として観に行く。




『俺たちに明日はない』
監督:アーサー・ペン
出演:フェイ・ダナウェイ、ウォーレン・ベイティ

大恐慌時代(1930年代前半)に実在した銀行強盗・ボニーとクライドの、
出会いと死に至るまでを描いた1967年製作のアメリカ映画。


DVDでは何度か観ているのだけれど、
初の大画面での鑑賞だと、新たな発見もあったりなかったり。

やっぱ、最後の蜂の巣シーンは迫力あるなぁ、とか。
出てくる車がどれもかわいいなぁ、とか。
逃走シーンで毎回流れる『Foggy Mountain Breakdown』という
カントリー?ブルーグラス?の曲が緊迫感なくてとってもいいなぁ、とか。
クライドの兄嫁がスゲーうざいわーとか。。。

あと、
やっぱり、ボニーの衣装がいいわ~っていう。再確認。
ケガ後より、強盗中のファッションがいいわ~。かわいいわ~っていう。


ストーリーは、
まぁその・・・銀行強盗の話。
たいした内容はない。
ただただ悪い奴等よ。ホント。因果応報。
無事エッチできてよかったね。

そんな感じ。
This is アメリカン・ニューシネマ。


内容はさておき、
ボニー&クライドが実在したっていうのが、すごいね。と思う。
映画だからがっつり脚色されているんだろうけど、
実際も、3~4年間は捕まらずに、強盗しながら逃走してたっぽいし、
支援者がけっこう居たり、フォード社に手紙を送ったり(?)、有名にもなるわさ。

話題性もあるし、見た目もいいし、
現代で起きても連日ニュースになって報道されるんだろうな。
今なら、すぐ捕まっちゃうんだろうけれど。

関係ないけど、なんだか無性に
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』が観たくなるよ。

ついでに、ベレー帽も欲しくなる。