見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

ハウス・オブ・グッチ

2022-01-25 | 本と漫画と映画とテレビ
Gucci, Gucci, Gucci.
(グッチ、グッチ、すべてグッチよ!)

ーマドンナ
(1995年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで、
着ている衣装の説明を求められた際の発言)





『ハウス・オブ・グッチ』(2021年 米)
監督:リドリー・スコット
原作:サラ・ゲイ・フォーデン『ザ・ハウス・オブ・グッチ』
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライバー、アル・パチーノ 他

世界的ファッションブランド「GUCCI」の創業者グッチ家の経営権争いと、1995年に起きたマウリツィオ・グッチ殺害事件を元に描かれた伝記クライム映画。

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ハイブランドにまつわる映画なのに、おしゃれ感を感じさせないのがすごい。

鑑賞前は、
トム・フォード監督の映画『シングルマン』や『ノクターナル・アニマルズ』的な雰囲気を想像していたけれど、もうぜんぜん違った。そりゃそうか。

2時間サスペンスというか大河ドラマというか…?

グッチというブランドの芸術性なんかは二の次で、描きたいのは、殺人事件が起きるまでの人間模様や膨らむ野心、王国の崩壊風景という感じ?
(音楽の使われ方は『オデッセイ』と似ている)

ただ、洋服やバッグ、装飾品、調度品、車…などなど、画面に映るあらゆるものがめちゃめちゃ上等そうなことは、素人目にもガンガン伝わるため、ものすごい迫力。

加えて、俳優陣の演技がそれぞれ際立っているのでかなりおもしろい。プロですな〜。

登場人物たちのキャラ設定もゴリゴリのガチガチで、実際の人物や事件とはかなり相違があるのだろうけれど、そこは「娯楽映画」「エンタメ」として割り切って作られている。と思う。

そんなわけで、映画館の大スクリーン&大音響でそれらを浴びていると、
「今、わたし映画見てるなー!」ということをまざまざと実感でき、たいそう心地よい。

確かに、
2時間37分の上映時間は若干長く感じるものの、最終的には、いいものみた〜!という満足感でお腹いっぱい。
(イタリアが舞台のはずなのに、みんな英語(ちょっとイタリア訛り?)でしゃべるのはご愛嬌)


なかでもアル・パチーノの佇まいが最高によく、「コンニチハ、サイキンドウ?」つって弟役のジェレミー・アイアンズに向かって手を合わせる姿もかわいいし、息子役のジャレット・レトと一緒にお皿を洗うシーンは愛おしくなる。
そして、そのあとの激昂は名人芸。ブラボー。

あと、ジャック・ヒューストン演じるドメニコ・デ・ソーレが、頭の切れるおいしい役どころすぎて(途中トム・フォードに色目使ってなかったか?)、もう一瞬で好きになってしまった。
「グッチは希少種だから保護すべき存在」なんだって。かっこよ。

どうやらドメニコは、GUCCIのトップになった後、2005年にトム・フォードと新会社「トム・フォード・インターナショナル」を立ち上げ、80歳を過ぎた今でも現役のビジネスマンとしてバリバリ活動しているとかなんとか。

こいつが黒幕だったんじゃないのか説。



寿式三番叟

2022-01-23 | 本と漫画と映画とテレビ
とうとうたらりたらりら、
たらりあがりららりとう
ちるやたらりたらりら、
たらりあがりたたりとう
ー文楽『寿式三番叟』より


年末に生まれて初めて文楽を鑑賞し思ったことは、物語を楽しむ段より、踊りを愛でる段の方がわかりやすくて好きということ。
『仮名手本忠臣蔵』でいうと、切腹の段より道行嫁入りの方が好きだった。

ちなみに、文楽の作品は以下の3種類に大別されるのだそう。

1. 時代物:歴史上の人物や事件を扱った作品。(例:義経千本桜、仮名手本忠臣蔵)
2. 世話物:江戸時代の町の人々の生活や風俗などを背景とした作品。(例:曽根崎心中、心中天網島)
3. 景事(けいごと/けいじ):能狂言、歌舞伎などから独立・発展したもので、音楽的で舞踊の要素がつよい作品。(例:釣女、五条橋)


ということは、「景事」の演目を狙って鑑賞すると自分の趣向に合ってより楽しい。
はず。

そんなわけで「景事」の演目『寿式三番叟』を目当てに、お正月の帰省がてら、大阪の国立文楽劇場へ。




『寿式三番叟』
能楽で特別な演目とされる『翁(おきな)』を文楽へ移した「景事」。正月や劇場の柿落としなど特別な行事の祝賀として上演される。
前半は、若者の象徴・千歳(せんざい)による露払いの舞と、神の面を被った翁の厳かな舞。一転、後半は農民の象徴である二人の三番叟(さんばそう)が、力強く躍動的に舞う。五穀豊穣、天下泰平、国土安穏、長久円満、息災延命…などなどありとあらゆることを寿ぐ祈祷の舞。とにかくめでたい踊り。



国立文楽劇場は、東京の国立劇場・小劇場とは違い、かなり広くてびっくり!
上手の竹本スペースには鏡餅が飾ってある。めでたい。
人形を近くで見ようと、前から4列目を予約したら前すぎてちょっと後悔…始終首を左右に振っていないと舞台全体が見えない…その代わり人形がめちゃ近くてよかった。

開幕前に幕開き三番叟が踊るかと思い、早めに着席していたけれど出てこなかった。
これから本家?が踊るから幕開きはいらないのか。

前半の千歳と翁の舞はゆるゆるとしていて、多少ウトウトしかけるものの、千歳は首を左右にフリフリ、一生懸命唄っているし、翁の首(かしら)は年末に見た大星由良之助と同じ孔明だったので、重要な役ばかり大変だなぁと思いながら応援する。



↑真面目そうな千歳(左)が頭につけている紅白の梅?の飾りが、お正月だから浮かれてしまった感が出ていてかわいい。翁(左)も小さな顔に、さらに小さくて精巧なお面をつけているところがかわいい。

そして何より、後半の三番叟。
この2人の舞がめちゃくちゃかわいい。



↑見るからにおとぼけ顔(左)と、ちょび髭がかっこいいEXILE顔(右)の2人。(モモの漫才風)
この2人組のことを「三番叟(さんばそう)」というらしい。農民、人間の象徴だそうです。
舞だけでなく、横を向くと赤い丸がよく見える烏帽子も派手な着物も裏と表で柄の違う扇子も黄色の足袋もめちゃくちゃかわいい。

EXILE顔の方は、塩谷判官と同じ首(検非違使)だそうだけれど、髭はあるし、眉毛も動かないしで、確実に別人だと思うのですけども?如何?
ついでに、EXILEなのだから絶対踊りはうまないとあかん顔なのに、おとぼけ顔の方が踊りがキレキレでうまいという…
そして、おとぼけ顔(首の名前は又平)は、期待通り?途中で何度かスタミナが切れてゼーゼー息を切らし客の笑いを誘う。それをEXILE顔がツッコミに行くという漫才のような構図。万歳楽。

NHKの『にほんごであそぼ』でも、2019年の首相夫妻主催の晩餐会でも、出演していたのはおとぼけ顔の方だったから、この子の方が優秀なんだと思う。(まゆげも口も動くし。ちゃんと歯もあるっぽい)

兎にも角にも、二人の踊りと音楽が最高。
特に千歳から鈴を託されてからの踊りは伴奏と相舞ってノリノリ。
つられてこっちも身体が揺れてしまう。
アストロノウツの『太陽の彼方に』的なリズム。日立ののっけて冷蔵庫。

ちなみに、2019年の首相夫妻主催の晩餐会では、狂言の野村萬斎と歌舞伎の市川海老蔵と文楽の三番叟(おとぼけ顔のみ)が同じ舞台に立って同じ演目を舞っているので、これ必見。YouTubeにあるはず…

この晩餐会のような伝統芸能間の横の広がり、影響したされたみたいなことを詳しく知りたくなり、国立博物館の展示「体感!日本の伝統芸能 歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界」を見に行ったのだけれど、そこはイマイチよくわからなかった…

『寿式三番叟』は2/2まで配信もあるはず。
治まる御代こそ目出度けれ〜


信濃路紅葉鬼揃(しなのじもみじのおにぞろい)

2022-01-04 | 本と漫画と映画とテレビ
人は芸術作品で装うか、あるいは芸術作品になるべきだ。
ーオスカー・ワイルド


吉田修一の小説『国宝』を読んで、歌舞伎に興味が沸き、
小説の主人公・喜久雄のような当代随一の女形というものを見てみたい!と切に願っていたら、2021年12月の歌舞伎座にて、坂東玉三郎の出る『信濃路紅葉鬼揃(しなのじもみじのおにぞろい)』という演目がかかっているではありませんか。

これはもう行くしかないでしょう。

しかも、今回は奮発して、1階1等席を予約。
1万5千円!!!
たかーい!




その前に。

小説『国宝』を読み、歌舞伎座の1等席まで予約して興奮ぎみの私に、
「歌舞伎が舞台といえば、宮尾登美子の『きのね』という小説もある」と母親が教えてくれ、さっそく読書を開始。

しかし、
主人公の性格にイライラが止まらなくなり即座に中断。



『きのね』
著者:宮尾登美子
初版発行: 1999年4月

1933年(昭和8年)、実科女学校を出たての主人公・光乃が、当代一の歌舞伎役者の家へ女中として奉公することになり…という物語。

この主人公・光乃が、当家の長男・雪雄に辛抱強く献身的に仕える姿が鼻についてしょうがない。ほんとイライラする。
従順な奉公人という割には、雪雄の結婚相手にはアドバイスのひとつもしてあげないし…

そもそも、
雪雄の「家庭内暴力」を「癇癪持ち」という言葉でフワっとさせているのも辛抱ならない。コイツ、顔がいいだけのDV男やんけ、と思う。
光乃、我慢しすぎやて…。
おまけに後半では、
光乃がひとりトイレで出産した上に助産師からも褒め称えられるもんだから、現実離れしすぎて「なんだこいつ〜?」とひとりジョイマンごちてしまう。

イライラが収まらないので、ストレス発散がてら「きのね イライラ」でネット検索をしていると大発見。

実はこの小説、
11代目の市川團十郎(現・海老蔵の祖父)とその妻をモデルに書かれた話なんだそうで。びっくり。

そうなるとこちらのテンションも、
純文学から週刊文春を読む気分に切り替わり、サクサクと読破。ワッショイ。

事実は小説よりも奇なりですな。


ついでに、
坂東玉三郎が出演している映画『夜叉ヶ池』(1979年 監督:篠田正浩)を早稲田松竹に観に行ったり、YouTubeでシネマ歌舞伎『阿古屋』の予告動画を観たりして、観劇への最終調整をする。真面目。


当日。

歌舞伎座、1階席。
前から8列目!上手寄りの竹本近くの席だったため、花道はやや遠いけれど、三味線の弦が途中で切れて素早く張り替えるところが間近でみれてもう最高。役者の身につけている小物なんかもよく見える。(花道奥の桟敷席に座るお客さんがみんなきれいな着物姿の女性で、壮観だった)

観劇した第3部は「義経千本桜 吉野山」と「信濃路紅葉鬼揃」の2本立て。

1本目の「義経千本桜 吉野山」は、満開の桜が咲く吉野の山中を、静御前(中村七之助)が恋人・義経の元へ向かう道中の話。ただそれだけ。特にドラマはない。

ただ、旅のお供としてついて来る義経の家来・佐藤忠信(尾上松緑)が、実は子狐が化けているという設定のため、ちょいちょい仕草が狐っぽくなる。これが大層かわいい。このかわいい狐忠信と静御前のかわいさを愛でる演目(知らんけど)。

M-1グランプリ2021のランジャタイの漫才に大きな衝撃を受けた直後だったせいか、子狐が化けているはずの忠信が、ニャンちゃんに操られているようにも見えてしまい、より一層かわいい。

静御前役の七之助は、映画『夜叉ヶ池』の玉三郎級に美しいし、忠信役の松緑の踊りはかわいいうまいしで、大満足。




2本目は、待ってましたの「信濃路紅葉鬼揃」

能の「紅葉狩」を題材につくられた舞踊劇。
初演が2007年で、今回は3回目の上演らしい。

信濃の戸隠山を通りかかった平維茂(中村七之助)が、美しい女官(坂東玉三郎)と侍女5人(中村芝翫の息子たち他)に紅葉狩りに誘われるが、実は、この女官と侍女は山に住む鬼だったのです!という日本昔ばなし的な物語。
途中、酒に酔ってまどろむ維茂のもとに山神(尾上松緑)が訪れ、この場からただちに逃げるよう助言してくれたりもする。山神様の踊りも大層ステキ。

能が由来の演目だからか、全員の衣装がぽってりとしていてとてもかわいい。

生の玉三郎に感動していたのも束の間、美しい女官から鬼の姿への変わりように驚愕。口を開けた時の顔が異形のそれで、子供の頃に見ていたらきっとトラウマになっていただろうと思う。

そして何より、立役の七之助の美しさに目が釘付け…!
お目当ては玉三郎さんだったのに、もはやそっちのけで七之助を凝視。

小説『国宝』で、客が主人公・喜久雄のいる舞台上に上がってしまう場面があったけれど、あの客の気持ちがよくわかる。

1本目の女方・静御前の美しさにも惚れ惚れしたけれど、いやいやいや…。
舞台上の誰よりも小さな顔面。端正な顔立ち。
ドラマ『愛の不時着』的にいうならば、顔面天才というやつ。

歌舞伎特有の、見えているのか見えていないのか分からないくらい目を細める表情。
あれなんなん?かっこよすぎません?

小説『きのね』の主人公が、初めて雪雄の舞台を見た時に、
「煌々たるライトに映えてその白い顔は水もしたたる美しさ、端麗この上ないものに見える」
「初めて見る押し絵の羽子板の絵」
と息を呑んでいたけれど、まさにそんな感じ。

この七之助になら、どんなに殴られても許す!というダブルスタンダードも発出。
(いや、七之助は警察官以外は殴ったことないだろうけども)

さらに、美しい七之助と鬼の玉三郎の立ちまわりが、もはや国宝絵画。重要文化財。
あれ?この錦絵、どこぞの博物館に飾ってありませんでしたか?金の屏風から飛び出して来たんですか?と何度も思う。

おまけに、この荘厳な芸術品の周りを、5人(5匹?)の鬼たちがものすごいジャンプ力でぐるぐる回るもんだからもう迫力満点で失禁寸前。なんじゃこりゃ〜!

す、す、すごいものを見てしまった




今なら(3/13まで?)国立博物館で、9代目市川團十郎と5代目&6代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の映像が観られる。(1899年に撮られたそうで、現存する最古の日本映画。重要文化財らしい。途中で、團十郎が普通に扇子を落としてたりしてた。多分ネットでも観れる。)

文楽『仮名手本忠臣蔵』

2022-01-04 | 本と漫画と映画とテレビ
映画『モダン・タイムス』でチャップリンは、ルネ・クレールの『自由を我等に』で描かれた流れ作業の様子を真似していたから、僕はルネ・クレールに会った時に「チャップリンはあなたの真似してますね」って聞いてみたんです。そしたらクレールは「そうじゃない。私がいつもチャップリンの映画を真似している。さまよったり、幸福を求めたりする愛情を、いつも真似してますよ。それは芸術家同士がキャッチボールをしているようなものです」なんて言ってた。そういう考え方も面白いね。
ー雑誌『20世紀映画のすべて 淀川長治の証言』より


2021年11月の話。

吉田修一の小説『国宝』を図書館で借りて読み始めたら、
そりゃどうしたってぇ歌舞伎が観たくなる物語だったので、
取るものも取りあえず、歌舞伎座でかかっていた『花競忠臣顔見勢(はなくらべぎしのかおみせ)』という演目の3階席を予約。



歌舞伎の三大名作の一つ『仮名手本忠臣蔵』の外伝?なのかな?

人生初歌舞伎。

コロナ禍につき、「高麗屋!」「澤瀉屋!」などの大向うはなく、内容もかなり短縮されていたようだけれど、イヤホンガイドのおかげで初心者でも非常にわかりやすいうえ、歌舞伎という芸能を初めて目の当たりにして、それはそれは驚きとワクワクの連続で。

「心」というでっかい看板が上から降りてきたかと思えば、それが「夢」という意味だとか。
立役(男役)と女形(女役)、意外とみんな両方するんだ〜とか。
馬の動きが、人間が入っている被り物なのにめちゃくちゃ馬や!とか。
定式幕の開け閉め、超絶かっこいいな!!とか。
黒子は見えないという暗黙の了解があるのな!!とか。

なにより、序幕「第一場 鶴ヶ岡八幡社頭の場」の始まりが大層よく、
元々は人形浄瑠璃(文楽)の演目だったものが歌舞伎化されたという流れを汲んで、幕開けの舞台の役者たちは人形のようにうつむき無表情。
そして、太夫と三味線の浄瑠璃で紹介されると、命が吹き込まれたように役者が動き出すという演出。

幕前にはマスクをつけた口上人形が出てきたりと、序盤にほとばしる人形浄瑠璃リスペクト。



役者の所作や殺陣、伴奏、効果音なんかにもいちいち驚嘆しつつ、
次は、小説『国宝』の主人公のような当代随一の女形(坂東玉三郎とか?)みるー!と心に誓って歌舞伎座を後にする。


そして12月。
歌舞伎のおもしろさにホクホクしていたのも束の間、
皇居周辺を散策中、国立劇場の前に文楽『仮名手本忠臣蔵』の掲示があるのを発見し、興味本位で席を予約。

勢いで席をとったものの、人形は小さいから話がよくわからないだろうな…という不安もあり、今回は鑑賞前に文楽『仮名手本忠臣蔵』をしっかりと予習。



初演:1748(寛延元)年8月、大坂竹本座
作者:二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作
概要:1701(元禄14)年に起きた赤穂事件(※)をベースに創作された全11段からなる人形浄瑠璃。

※赤穂事件:将軍・綱吉の時代、江戸城・松の廊下で赤穂藩主・浅野内匠頭が高家の吉良上野介に斬りつけたことで、切腹に処せられたことを不服とした浅野の家臣・大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討った事件。(浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた理由は不明)

初演当時は、実在の事件を芝居にすることが幕府から禁じられていたため、時代設定が軍記物語『太平記』の室町時代に変えられている(服装などは江戸時代そのままっぽい)。
登場人物の名前も塩谷判官(=浅野内匠頭)、高師直(=吉良上野介)、大星由良助(=大石蔵之介)という風に微妙に変更されている。

こういう江戸時代の禁止令を庶民がぬるっとかわす手法と、最近のナインティナインのオールナイトニッポンのジャネットネタの進化とには共通するものを感じる…。

(天保の改革により歌舞伎役者を浮世絵に描くことが禁止になったので、役者の顔を猫にした歌川国芳の「猫の百面相」↓)



実際の事件をベースにそれに関わる人物たちの群像劇という型は、日本版レ・ミゼラブルともいえる(違うか)。吉田修一の小説『怒り』とかもそう?(なんか違う)

ざっくり相関図。



(塩谷家の腰元・おかるが事件の発端にされがちだけれど、元凶は桃井家の当主の短気だと思う…)

今回上演されるのは、2段目の松切りの段と、3段目の進物の段、殿中刃傷の段、4段目の判官切腹の段、城明け渡しの段、8段目の道行旅路の嫁入のみ。11段全て上演すると丸一日かかるところを、今回は約3時間のコロナ禍仕立て。

人形の見えづらさを心配していたものの、国立劇場の小劇場はかなりこじんまりとしていて、後ろから2列目だったにもかかわらずよく見えた。
歌舞伎座の3階席からみる歌舞伎役者よりは大きい。

あと、開演の15分くらい前に
二人遣いの可愛い人形が踊ってくれる(幕開き三番叟というらしい)。
見られてちょっと得した気分になる感じが大相撲の弓取式っぽい。

歌舞伎同様、緞帳(どんちょう)の紹介もあった。

感想。

『仮名手本忠臣蔵』という物語自体のおもしろさはイマイチよくわからなかったけれど、文楽はめちゃくちゃ面白かった。あと、情報過多で忙しい。

イヤホンガイドを借りたので左耳からはイヤホンガイドの解説、
右耳からは太夫と三味線の浄瑠璃、正面上部では太夫の語りの現代語訳の字幕が流れ、そして正面では人形の演技、その後ろには人形1体につき人形遣いが3人。

人形遣いには、頭・胴体・右手を操る主遣いと、左手を操る左遣い、足を操る足遣いがいるんだけれど、主遣いのみが顔を出しているというのも情報過多の一因だと思う…

さらに、殿中刃傷の段では斬られる人斬る人、それを止める人多数で小さな舞台がわちゃわちゃ。
人形だけ見ていると気にならないが、ちょっと俯瞰してみると、小さな舞台に人間がいっぱいいることに驚く。

ただもう、人形たちのかわいいことかわいいこと。
これに尽きます。

人形の首(かしら)にも役名とは別にそれぞれに名前がついているし、眉毛が上げ下げできる仕掛けがある子がいたり、ツメ人形といわれる一人遣いの子がいたりといちいちかわいい。ツメ人形の顔がこれまたかわいい。衣装も普通に脱ぎ着できるし、動くだけで本当にかわいい。江戸版「ひょっこりひょうたん島」。

それだけに、判官切腹の段で塩谷判官が事切れると、人形だけを舞台に残して人形遣いがいなくなるので、ああ死んじゃったんだなっていうのがダイレクトに伝わり本当に悲しい。。。

初文楽、人形ばかりに注目してしまったけれど、太夫と三味線も歌舞伎のそれとは少し違って興味深かった。というか、歌舞伎はなんだかんだで「歌舞伎役者が主役でぇ!」という感じが満載だけれど、文楽は太夫と三味線も主役だった…さすがに人形はしゃべらないから、代わりに太夫が語る語る。

昔は歌舞伎専門の太夫のことを差別的に「おちょぼさん」と呼んだそうで、文楽での太夫の活躍ぶりを鑑みるに、そう呼んでしまう気持ちもわからんではない…と思ってしまった。活躍の割には、客入りは歌舞伎の方が上なんだろうし、文楽側からの僻みや嫉妬も含まれた呼び名なのでは。なんて。

ついでに、
文楽発祥の演し物だとはいえ、歌舞伎と文楽とがお互いにパクリあって?切磋琢磨して?今の形になっているのがおもしろい!
と、落語「中村仲蔵」を聴きながら思う今日この頃(6代目圓生バージョンがいい)。

(口上の際の決まり文句「東西東西」は、欧米の「レディース&ジェントルメン」より俄然今風でよい言葉と思う)