見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

パターソン

2017-09-29 | 本と漫画と映画とテレビ
新しいところへ来たのに、何もかも同じに見える

―映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』より


ジム・ジャームッシュ監督の映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年製作、米)が狂おしいほど好きなのだけれど、そのほかの作品はあまりピンとこなくて。
きっと、この監督とは歩調が違うのだと思う。もう姿が見えない。

それでも、新作が公開されたと聞けば、
とりあえず映画館に足を運ぶわけです。

『パターソン』(2016年、米独仏)
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演者:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ



アメリカはニュージャージー州のパターソン市に暮らす
バス運転手・パターソン氏の物語。
詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズと、
ニューヨーク派の詩人ロン・パジェットへのオマージュ作品。


主人公が<バスの運転手をする傍ら、
日常生活からインスピレーションを受けて
詩を書いている>という設定のせいか、
とっても詩的な映画だった。


映画館で購入したプログラムによると、
監督のジム・ジャームッシュは、
大学院の映画学科に進む以前、
作家を目指して大学で英文学を専攻していたらしい。

多分、てか、ただの妄想だけれど、
ジム・ジャームッシュは、文章を書くような感じで、詩を書くような感覚で
映画を作っているんじゃないか、と思う。

絵描きが作る映画が絵画的なように、
テレビ出身の監督が作る映画がテレビ的なように、
文学出身の監督が作る映画は文学的。

だから
ジム・ジャームッシュの映画が分からないのかもしれない。

私、あまり読書をしないから、
小説や詩の楽しみ方を心得ていないから、
ジム・ジャームッシュの作品がイマイチ理解できないのじゃないかしら。と思う。

もっと、文学に慣れ親しまないと・・・!


それは、さておき。

映画の内容は、ひたすら日常。
パターソン市に住むパターソンさんの話。
久留米市に住むクルメちゃん。みたいな。

主人公・パターソンは、一戸建ての住宅に
芸術家?の妻・ローラと飼い犬・マーヴィンと3人暮らし。
裕福ではないけれど、特別お金に困っているわけでもない。
(200ドルのギター購入には、ちょっぴり躊躇する程度の生活)

毎日、大体決まった時間に起きて
奥さんの落書きつきオレンジやお手製マフィンを持って仕事へ行き、
日常を文字に綴り、犬の散歩をして、バーでお酒を飲む。

「サードウェーブ系」というか、「ていねいなくらし」というか。

でも、その「ていねい」っぷりはフォーカスされないので、
別段、鼻にはつかない。

「西海岸で飲む、いつもの味(キリッ)」という感じではない。


ジム・ジャームッシュ作品あるあるで言うと、
今回も部屋の家具や内装がいちいち洒落ている。
(妻・ローラの奇抜なセンスが
違和感なく部屋に溶け込んでいることに目を見張ります)

だから、普通の日々だってみていて飽きない。

あと、
パターソンがめちゃくちゃいい人。
なにより、妻への接し方がすばらしい。

仕事で落ち込むことががあっても、
帰宅後はまず奥さんの話を聞いてあげる。

口に合わない料理でも、
「おいしい」と言ってモリモリ食べる。
(水はガブ飲み)

唯一、愛犬のマーヴィンには、
「マーヴィンなんかキライだ」って悪態をついていたけど。
(まぁ、あれは怒って当然)



マーヴィン役の犬は、カンヌ映画祭でパルム・ドッグ賞をもらったらしいけれど、
受賞前に亡くなったのだとか。せつない。南無。


芸術家と小動物がメインの映画なので、
コーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を彷彿とさせます。

ついでに、ラストのほうで、
通行人役?の永瀬正敏が
「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」
つって、パターソンに話すんだけれど、
これはまったく同意!!!

ホントそう思う。

ストーリーのある「小説」ならまだしも、
「詩」を別の言語で置き換えるってどうなの? アリなの?
ずっと疑問。翻訳ということ。

(ただ、永瀬正敏の持っていたウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集には、
英文の横にがっつり日本語訳がついていたけれど)


迫力のアクションシーンや大事件があるわけじゃないし、
やたらと双子が出てくる意味もよくわからなかったけれど、

それでも、観ている途中から、
あーこれもう1回観たい…と思う。

映画館って、十数年前まで、
1度入ったら終演まで観たい放題だったのに。
指定席&完全入替制がメジャーになったのはいつからなんだろう。


とにもかくにも、なんだか今回は、
監督の後ろ姿が見えた気がする…!
(要するに、おもしろかったんです)

日曜日よりの使者

2017-09-08 | 生活
落ち込むこともあるけれど、
ウルフルズ聴いて一晩寝たらもう、
よっしゃーって感じだし。

―佐藤隆太


ハイロウズの名曲『日曜日よりの使者』にまつわる有名な話。

甲本ヒロトが自殺を考えるほど落ち込んでいたとき、
ダウンタウンのTV番組『ガキの使いやあらへんで』を見て大笑いし、
自殺を思い止まった事から生まれたのが『日曜日よりの使者』、っていうやつ。

これは都市伝説なのかもしれないけれど、
まぁ、そういうものって誰しも持っているでしょう?

死んでしまいたい時でも、
それをみるとついつい笑っちゃう
いわゆる「日曜日よりの使者」的存在のやつ。


私の場合は・・・うーん、、、
『動物のお医者さん』のオペラの回とか?



基本的に、『動物のお医者さん』にハズレの話はないのだけれど、
大爆笑は少ない漫画じゃないですか。
ローテンションでクスクス笑う漫画。

しかし、ハムテルのお母さん(職業:オペラ歌手)の舞台に
獣医学生たちが出ることになり、そして・・・という第101話。

あれはなんだか別格。

内容も結末もわかってるのに、
何回読んでも声出して笑っちゃうよねー。あれ。

御用聞きに、空気イス。。。
オペラ『トスカ』の勉強にもなるし。

ラストはホント、読むたびに、地団太踏んで笑ってしまう。


あと、
ダイアンの美容室のネタとか?

ダイアンの漫才は、どれもおもしろいけれど、
(TSUTAYAで「準新作」を借りるときは、
「わ! じゅんしんさくや!」ってはしゃぐ程度には好き)

美容室のネタは思い出すだけで笑けてくる。

仕事で失敗しても、
失恋しても、
飼い猫が死んでも、
隣のレジの方が進みが速くても、

「祝 おつかれさまでした」

って思い出すだけで笑顔になる。

さすがはカリスマ美容師!


・・・なんていう、
ゲラゲラ笑える日曜日よりの使者的な何かがあるから、
どうしようもない日々も
「生きててよかった~」と思えるわけです。

むしろ、そのために生きているのかもしれない・・・?

ボンボン

2017-09-05 | 本と漫画と映画とテレビ
よく考えてみれば、僕は運がよかった。
宇宙を飛んだあのライカ犬、あのことを思うと胸が痛む。
十分な食べ物も積まず、犬を宇宙に送るなんて。僕はそれよりマシだ。

―映画『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』より


将来、万が一、もう一度犬を飼うことがあるならば、
柴犬か、映画『スナッチ』に出てたスタッフォード・シャーブルテリアがいい。
映画『クリムゾンタイド』に出てたジャック・ラッセルテリアでも可。

そんな妄想を日々しているわけだけれど。



『ボンボン』を観ちゃうと、
ドゴ・アルヘンティーノいいなぁ。と思う。

『ボンボン』(2004年、アルゼンチン)
監督:カルロス・ソリン
出演:ファン・ヴィジェガス、ワルテル・ドナード



中年男性と、ひょんなことから彼の飼い犬となった白い犬の物語。

ざっくりいうと、
アルゼンチン版「花咲かじいさん」。

最後は思わず、「よかったー」って声出ちゃうよね。あれ。
(雌犬ほったらかしは大丈夫なのか? と心配になるが)


映画の主役? であるドゴ・アルヘンティーノという種類の犬の存在感がたまらない。
貫禄があるというか、画面映えがするというか、フォトジェニックというか。
とにかく触りたい。

ウィキペディアによると、
ドゴ・アルヘンティーノは、アルゼンチン原産の狩猟用・闘用の犬種で、
白い短毛と、その下から所々ピンクの肌が透けて見えるのが特徴。
本来は垂れ耳だけれど、断耳して立たせるのが一般的。なのだそう。

「断耳」って……。初耳。

確かに、
映画のドゴは、正面からみると耳がピンと立っててかわいらしいのだけれど、
横向きの時にチラッと耳の断面が映ることがあって、
意識して見るとちょっぴりグロテスク。



てか、
南米の犬の映画といえば、
『アモーレス・ぺロス』(スペイン語で「犬のような愛」という意味)
を思い出します。



南米の人々は、飼い犬でお金もうけするのが好きなの? 偏見?
そもそもメキシコは南米ではない?

(『アモーレス・ぺロス』のコフィは
ロットワイラーという犬種らしいよ。ちなみに。かわいいよねー)


ドゴ・アルヘンティーノに魅せられて
いろいろとネットで調べてみたけれど、
日本で家庭犬として飼うことは難しそう……。

うーん、じゃあ、もし、私がアルゼンチンに移住して、
広大な土地を所有して、
闘犬や犬コンテストに出る機会があれば、飼うことにします。ドゴ。
もう、たまらんかわいい。ドゴ。


でもね、ライカ犬の写真をみると、
やっぱり、犬はムリ……。
ホントごめんなさいごめんなさい、と思う。