新しいところへ来たのに、何もかも同じに見える
―映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』より
ジム・ジャームッシュ監督の映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年製作、米)が狂おしいほど好きなのだけれど、そのほかの作品はあまりピンとこなくて。
きっと、この監督とは歩調が違うのだと思う。もう姿が見えない。
それでも、新作が公開されたと聞けば、
とりあえず映画館に足を運ぶわけです。
『パターソン』(2016年、米独仏)
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演者:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ
アメリカはニュージャージー州のパターソン市に暮らす
バス運転手・パターソン氏の物語。
詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズと、
ニューヨーク派の詩人ロン・パジェットへのオマージュ作品。
主人公が<バスの運転手をする傍ら、
日常生活からインスピレーションを受けて
詩を書いている>という設定のせいか、
とっても詩的な映画だった。
映画館で購入したプログラムによると、
監督のジム・ジャームッシュは、
大学院の映画学科に進む以前、
作家を目指して大学で英文学を専攻していたらしい。
多分、てか、ただの妄想だけれど、
ジム・ジャームッシュは、文章を書くような感じで、詩を書くような感覚で
映画を作っているんじゃないか、と思う。
絵描きが作る映画が絵画的なように、
テレビ出身の監督が作る映画がテレビ的なように、
文学出身の監督が作る映画は文学的。
だから
ジム・ジャームッシュの映画が分からないのかもしれない。
私、あまり読書をしないから、
小説や詩の楽しみ方を心得ていないから、
ジム・ジャームッシュの作品がイマイチ理解できないのじゃないかしら。と思う。
もっと、文学に慣れ親しまないと・・・!
それは、さておき。
映画の内容は、ひたすら日常。
パターソン市に住むパターソンさんの話。
久留米市に住むクルメちゃん。みたいな。
主人公・パターソンは、一戸建ての住宅に
芸術家?の妻・ローラと飼い犬・マーヴィンと3人暮らし。
裕福ではないけれど、特別お金に困っているわけでもない。
(200ドルのギター購入には、ちょっぴり躊躇する程度の生活)
毎日、大体決まった時間に起きて
奥さんの落書きつきオレンジやお手製マフィンを持って仕事へ行き、
日常を文字に綴り、犬の散歩をして、バーでお酒を飲む。
「サードウェーブ系」というか、「ていねいなくらし」というか。
でも、その「ていねい」っぷりはフォーカスされないので、
別段、鼻にはつかない。
「西海岸で飲む、いつもの味(キリッ)」という感じではない。
ジム・ジャームッシュ作品あるあるで言うと、
今回も部屋の家具や内装がいちいち洒落ている。
(妻・ローラの奇抜なセンスが
違和感なく部屋に溶け込んでいることに目を見張ります)
だから、普通の日々だってみていて飽きない。
あと、
パターソンがめちゃくちゃいい人。
なにより、妻への接し方がすばらしい。
仕事で落ち込むことががあっても、
帰宅後はまず奥さんの話を聞いてあげる。
口に合わない料理でも、
「おいしい」と言ってモリモリ食べる。
(水はガブ飲み)
唯一、愛犬のマーヴィンには、
「マーヴィンなんかキライだ」って悪態をついていたけど。
(まぁ、あれは怒って当然)
マーヴィン役の犬は、カンヌ映画祭でパルム・ドッグ賞をもらったらしいけれど、
受賞前に亡くなったのだとか。せつない。南無。
芸術家と小動物がメインの映画なので、
コーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を彷彿とさせます。
ついでに、ラストのほうで、
通行人役?の永瀬正敏が
「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」
つって、パターソンに話すんだけれど、
これはまったく同意!!!
ホントそう思う。
ストーリーのある「小説」ならまだしも、
「詩」を別の言語で置き換えるってどうなの? アリなの?
ずっと疑問。翻訳ということ。
(ただ、永瀬正敏の持っていたウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集には、
英文の横にがっつり日本語訳がついていたけれど)
迫力のアクションシーンや大事件があるわけじゃないし、
やたらと双子が出てくる意味もよくわからなかったけれど、
それでも、観ている途中から、
あーこれもう1回観たい…と思う。
映画館って、十数年前まで、
1度入ったら終演まで観たい放題だったのに。
指定席&完全入替制がメジャーになったのはいつからなんだろう。
とにもかくにも、なんだか今回は、
監督の後ろ姿が見えた気がする…!
(要するに、おもしろかったんです)