見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

噂の眞相

2011-08-25 | 生活

テレビのみなさん、聞こえますかー!?

ついでに、原発関連の政府や電力会社のみなさんも聞こえますかー!?


(※サバンナ八木さんの「ブラジルのみなさん~」風にお願いします。)



あの、ここだけの話なんで
あんまり大きな声では言えないんですけど、

先日から噂の根っこを掘ってまして、発見いたしました。


どうやら、ね、

問題は売っている商品じゃなくて、商品の売り方みたいですよー!


テレビや電力会社のみなさんが
ただいま絶賛売り出し中の商品が、「韓国」や「原子力」という
日本国と少し確執があったりトラウマ気味だったり、、
なにかといわくつきの品なもんだから、

「一部の消費者が商品に過剰反応しているだけだろう?」

なんて思っている方もチラホラお見受けいたしますが、


本当の問題は商品それ自体ではなく、
商品の売り方や扱い方、
つきましては、組織としての姿勢が反感をかっているみたいですよー。

商品はなんであれ、
みなさんの売り方がまずいみたいですよー。


はい?

売り方は今までと変わってない?

長年の経験に基づいた、鉄板の売り方であると?


ええ、承知しております。
みなさんはその道のプロフェッショナルですから、
正攻法の売り方を確立されていらっしゃることでしょう。

アホな素人がプロのやり方にケチつけるなんて、
けしからんと。

今まで大した文句も言ってこなかったくせに、
ここにきて急にデモンストレーションを起こすとかマジ意味わからんと。
黒木香さん的にいうならば、寝顔にスペルマだと。

ええはい、わかりますわかります。


しかしですね、

御存知かと思いますけど、地球には時間というものが流れてまして、
それとともに消費者の気持ちや考え方も変わるんですね。

みなさんと同様に消費者も脳みそや心というものを持ってまして、はい、
しかも最近、巷では嘘か真かわからない「情報」というものであふれかえってますので、
消費者も不安でその心変わりも激しいのでございます。

祇園精舎の鐘の声には諸行無常の響きがある、とまぁ、そういう感じです。


ですから、
今までよしとされてきた方法だからといって、
これから先も可が貰えるかといえばそうでもないわけです。

みなさんの伝統的な商品の売り方に
消費者が飽きてきたのか、汚れを見つけてしまったのか、
はたまた、もともと汚れていたものが隠しきれなくなったのか・・・

その辺りのことはこちらでは分かりかねますが、ええ、

こちらで把握しておりますのは、

事故った高速鉄道車両を埋めた中華人民共和国のことを
笑える立場ではないよね、ということです。



え?

企業が利益を追求するのは当たり前?

不利な情報は隠して当然?

イヤなら観るな? イヤなら電気使うな?


きゃー!
この人、変なんですー!

一般人が何も知らないのをいいことに、
公共の電波を使って自社の音楽を宣伝といわずに宣伝したり、
原発推進広告を全国紙に一斉に掲載したりするんですー。
国民から徴収した電気代で、広告めっちゃ打つんですー。


あのぅ、
プロフェッショナルであるみなさんが一番よく理解されていると思いますが、
日本国において地上放送や発送電を扱う企業というのは、
一般的な営利目的の企業とは、少し種類が違いますよね。

それらを扱うことで生じる影響力やその怖さ、危険性も
一番認識されてるかと思うのですが、いかがでしょう。


あれですかね。

人間は自分のやりたいことになら
好きなように理屈や理由を作り出せる生き物だから
意見の食い違いってしょうがないことなんですかね。

それとも、

盛者必衰、おごれる人も久しからず~つって、
そろそろ風の前の塵となるのでしょうかね。



・・・テレビ氏。

出演者があなたを擁護するのはわかるけど、
お互いが、中心の人が、トップが何も発言しないってどういうこと?

聞ーこーえーてーまーすーかー!

社長が黒い全身タイツ着てモジモジするだけでいいから、
スモウライダーの格好で、花王製品を買いに行くだけでもいいからー!


わたしはこれからもずっと面白いテレビを観たいし、
安全に電気を使いたいから叫んでんの!

インターネットの片隅で。匿名で。(小声で。)

まぁ。テレビ局と電力会社を一緒くたにして意見していること自体が、
頭の悪さマンキンって話なんですけど。。


最近、テレビや電力関連のニュースを見ていると
小説『羅生門』に登場する、死人の髪の毛を抜いている老婆を思い出します。

ニュースを見ながら、
わたしは老婆を見つめるあの下人のように、飢死と盗人の間をいったりきたり。




【9月4日追加】

一部テレビ氏のネットでの回答に納得しました。


放送法に定められた自社番組編成の編成権を堅持した上で、
広くニーズに応えられるような番組制作・編成をした結果なんだって。
よりよい番組作りのためなんだって。

なんだ~。

そういうことなら、サクッと迅速に説明してくれたら
よっかったのにぃ。もう。この。
心配したわ~。

信じてますよ。

まぁけど、
李下の冠、瓜田の履とかいう言葉もあるくらいだし
疑われるようなことは初めからやらないほうが良いのかもしれません。

特に人気者はみんなが見てるからね~。
ビーケアフル。

例え、初めは全く瓜を盗む気持ちがなかったとしても、
いざ瓜田でしゃがんでたくさん瓜が転がってるのをみちゃうと、
やっぱり盗みたくなるかもしれないしね。
ふぅ。危ない危ない。


これからも、面白いテレビ番組を期待しています。


パプリカ

2011-08-23 | 本と漫画と映画とテレビ

お洒落ピーマン。


先日読んだ翻訳家の岸本佐知子さんのエッセイの中で、
筒井康隆の 『パプリカ』 という作品が大絶賛されていたので、

筒井康隆とか読んだことないけど、一回筆折った人ってことしか知らないけど
すごい読みたい読みたいって気持ちが湧き上がってきたもんだから、

張り切って図書館に向かったんですが、
ただいま貸出中でありませんとのことで結局小説には出会えず、

残念な気持ちでふらりとTSUTAYAに立ち寄ったらば、
アニメ作品の 『パプリカ』 が置いてあったので、これでいいかと思い借りてみました。


すご。

なんじゃこりゃ!

びっくりした。


もう、ね、

筒井康隆の奇想天外な原作がすごいのか、
映像化した監督の脳ミソがすごいのか、
アニメーション技術がすごいのか、
平沢進の音楽がすごいのか、
声優さんがすごいのか、
脚本がすごいのか。


何がすごいのかは断定できんかったのだけれど、

なんつうかその、「すごい」の相乗効果ですごかったんスわ。


映画『インセプション』みたいな、『千と千尋の神隠し』みたいな、
フジモトマサルの漫画『夢みごこち』みたいな。。。?

百鬼夜行チックな夢の行進が心地よいの。


女らんまとタキシード仮面様がね、
監督も原作者もちょこっと出演したりしてさ、
これは、原作もいつか読まないとね。


Paprica_2



わたしの中で、アニメは 『NINKU‐忍空‐』 で時が止まっていましたので、
いきなり『パプリカ』に出会って、浦島太郎状態で。

これってなんだか、タイムリープ?

最近のアニメはすげぇな~つって、
ジブリやピクサーだけじゃないのね~つって。


そりゃもう、ひとり大興奮でインターネットを駆使して調べましたら、
2006年の作品で、今敏という監督さんはかなり著名な方で。

知らなかった・・・てか、、去年亡くなってるぅぅ・・・

やはり強い魂を、(ry
ご冥福をお祈りいたします。



回顧展を開催中との情報がHPに載っていたので、
ならばいざゆかんと、電車にゆられて新宿まで観に行きました。

学生時代の作品や漫画の原稿、愛用品・・・etc、
いろいろ展示されていて、それはそれはよい時間を過ごさせていただきました。

絵うまいなぁ~  、と。

(こんな感想しか述べられない、自分の語彙力の無さを恥じる…)




話は変わって。


長寿国家ニッポンではありますが、

ゲームやアニメ業界など、
一日が24時間ではないですよ系の仕事に就いている人々限定で
平均寿命を調べ直したらば、その平均寿命は相当なかなか短いのではなかろうか。
人生50年、敦盛でも舞いまするか。 ?


素敵な作品をありがとうございます。
でも、みなさん、よく寝て!


モロッコ

2011-08-16 | 本と漫画と映画とテレビ

1930年公開 アメリカ映画

監督: ジョセフ・フォン・スタンバーグ

出演: マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパー



急にマレーネ・ディートリッヒの出ている映画を観たくなり、
思い立ったが吉日ってことで、DVDを借りに行ってきました。


よくファッション誌などで、
時代のミューズ、ファッションアイコンとして
取り上げられているのをみかけますが、実際の出演作品は観たことなく。


マレーネ・ディートリッヒ。


Md3


美人じゃないけど美人。

なんともいえない、独特の「美」をまとった女優さんであります。



名作コーナーに置いてあった、『モロッコ』を借りました。



以下、感想。



昔観たテレビ(日曜洋画劇場かなぁ?)の中で、映画解説者の淀川長治さんが

「ダスティン・ホフマン主演の 『卒業』 いう映画は、
 怖い、怖い、怖い、お話なの。」

と語っていたんですね。

(幼少の頃の記憶のため、かなりうろ覚えですが。)


氏いわく、

映画『卒業』は、
主人公が教会から花嫁を連れ去り、バスに乗ったところで終わるため、

一見するとハッピーエンドであるが、
その後の二人の生活を考えると、手放しに祝福できない。

経済的に困窮することは想像に難くないし、
なんだかんだで、愛情はだんだん冷めるものだし・・・

二人の未来を想像すると、

『卒業』は怖いですねぇ~。恐ろしいですねぇ~。


って、確かこんなようなことを述べていた。
・・・と思う。

(記憶違いだったらごめんなさい。)



で、『モロッコ』を観終わった第一印象が
まさにその、「 怖い!」だった。


だって、
手ぶらで、裸足で、あの男についてくって・・・! (ただし、ヤギが可愛い)

危険!デンジャラス!オバマ!


ねぇ、それ、その選択、ファイナルアンサー? 

確かにゲイリー・クーパーは魅力的だけど、
長い目で見たら、お金持ちさんの方が何かと安心よ?

あとで後悔しない?よく考えたほうがいいって!


砂漠に歩き出すヒロインにそう言いたくてしょうがなかった。
後を追いかけて、一言声を掛けたくなりました。


いやぁ、あのヒロインのことだから、うまく幸せにやっていくんだろうけどさ。


心理学的にも、
行動した後悔より、行動しなかった後悔のほうが強く残るっていうし。


女優の岡田嘉子さんが、寅さんの映画の中で

「人生には、ああすればよかった、という後悔と
 なぜあんなことをしてしまったのだろう、という後悔があって
 
 仮に、もう一方の選択をしていたとしても、
 きっと後悔しているんじゃないかしら。人生に後悔はつきもの。」


みたいなこと言ってたし。

役の中でのセリフだけど、
岡田嘉子の口から出ると、説得力が尋常じゃない!
って思ってすごく印象的だった。

(といっても、これもうる覚え・・・近頃、物忘れが・・・)


そんなこんなで、脳内会談も終りが近づきまして、、



ヒロインの選択、決断はあれでよかったのだ。

結局何を選択しても後悔するんだったら、やりたいことをやっとこう。

傍観者のわたしが、怖い怖い言うことではない。


という結論に達しました。



あとね、

マレーネ・ディートリッヒの衣装がめちゃくちゃ素敵。

数えてみたところ、物語の中で
10回ほど衣裳が変わるのだけれど、どれもすごい素敵。

帽子のかぶり方、スカーフの使い方、グローブ、ネックレス・・・

挙げ出すとキリがありません。



「人は芸術作品で装うか、あるいは芸術作品になるべきだ」

お洒落人、オスカー・ワイルドはそう発言したそうですが、


『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒの場合
芸術作品が芸術作品で装っているので、もう、なんつうか、無敵。無敵艦隊。

古伊万里の皿に盛られた三ツ星料理がまずいわけがない、っていう。
・・・なんか違う?


とにかく、よだれが止まりませんでした。




M


イマジン

2011-08-15 | 妄想
ジョンは言った「夢想しろ」と 国家も宗教もないんだと
そうすれば殺しあう名目は消えてしまうと
―THE BOOM 『いつもと違う場所で』
地獄なんてないし人類みな兄弟だと想像すれば
世界は平和さハッピーハッピーと唱える僕のことを
何夢見てんだボケとみんなは罵るけど
いつかきっと想像の世界は実現するよ(意訳)
―歌野晶午 『絶望ノート』


あれは、確か、5歳の頃。

家族そろって、『となりのトトロ』の映画を観に行きました。
同時に『火垂るの墓』も上映されていまして。
2本立てとは露知らず。


・・・なかなかの衝撃。『火垂るの墓』

お母さんは包帯グルグル巻きで、蛆虫がザワザワわいているし、
頼りの親戚のおばさんは、幼い兄妹に冷たいし、
節子ちゃんは栄養失調で背中がただれて、おはじきをなめ始めるし。。。


めちゃくちゃ怖くて、おしっこチビりそうになりました。

わたしのお母さんもああなったらどうしようどうしよう、という心配や
わたしも死んだらば、葛籠に容れられ燃やされるのだという恐怖やらで動けなかった。



『火垂るの墓』がトラウマになったからなのかはわからないが、

小さい頃は、戦争に対する漠然とした恐怖を抱えていました。
特に、飛行機の音が怖くてしょうがなかった。

恥ずかしながら、爆撃機や偵察機が飛んでいると思ってました。

B-29が来た!防空壕へ避難!
いつ仕掛けられてもおかしくないぞ。
前はこっちから殴ったから、次は・・・!


なんとなく、毎日不安だった。
もし、空襲が起きたらどこに隠れるべきかをシュミレーションしたり、
寝る前には、明日も戦争が起きないませんようにと祈ったりしていました。

そうして、
戦争勃発の恐怖がわたしの中でピークに達したある日、
それとなく親に情勢の確認をしてみたのです。

わたし 「その、戦争とか、どうかね。そろそろ起こりそうかね?」


親 「日本は戦争しません、って宣言しとるんよ~」

その言葉を聞いて、
親ののんきな意見だけでは心もとなくもありましたが、
それでも多少安心したのも確かでした。


さらに、小学校に上がり、
教科書に載っていた憲法9条を自分の目で確認したことをもって、
あの漠とした戦争への不安や恐怖から解放されます。

「どうやら本当に戦争は起きないようだ!」

こうして、
わたしは平和をここに宣言したのでありました。


しかし!

平和もつかの間。

「日本国憲法=世界の憲法」であるものだと
信じて疑わなかった残念な阿呆なわたしは、
湾岸戦争が始まったことに、驚愕しました。


戦争しないって言ったのに、戦争している!


このとき初めて知りました。

今でも世界中で戦争は続いており、
日本国は戦力を保持しない(気持ち)であり、
言葉の解釈は人それぞれ違うのだ、ということを。

(わたしは昔から世間知らずなのです)



もしもね、もしもですよ。


輪廻転生、生まれ変わりというものが事実ならば、

今、この世に生を受けている人の中には、
前世で戦争を経験した人もいることでしょう。

過去の戦争で命を落とし、そして、再び生まれて現在に至る、
そんな人も少なくないと思います。

前世での戦争経験者や戦死者が、
現世でも、また戦争をしている可能性もある。

前世の記憶は無いとはいえ。


戦争経験者が戦争をくり返しているのならば、
戦争には何かしら意義があり、戦争とは間違った行為ではないということでしょうか。

それとも、
現世で戦争をしている人は、前世で戦争を体験していないのでしょうか。

そもそも、輪廻転生というものは都市伝説なのでしょうか。

ブッダ的にはどう解釈すべきなのかしら。




この頃考えるのです。

過去の戦争、はたまたイジメ・差別問題等を
うんざりするくらい学校で学んできた理由や意味というのを。

つまり、その、

人間誰しも、危険な心をもっている。

この事実を忘れないようにするために、
くり返しくり返し教わったのだろうなぁ、とまぁ、そう思うのです。


ナチスやアパルトヘイトや
上見て暮らすな下みて暮らせ云々が悪であったことは大前提だけれど、

そういう心はわたしの中にも存在する、それを自覚しておけ、と。


周囲に何もなければ、
人は物事を冷静に考えられ、危険な心も出てこないけれど、
集団や嵐の中に入ってしまうと、人は冷静沈着でなんかいられなくなり、
正しい判断ができなくなる。

でも、

それこそ、掛け算の九九のように
日頃から人間の危うさを頭の中に叩き込んでおけば、
集団や嵐の中でも、己の過ちに気づくことができるかもしれない。

そのために、学校で、ずっっと
過去の戦争や差別の歴史について教えてもらっていたのかなぁ、と。


みなさん、ありがとうございます。

この頃めっぽう物忘れが酷くなってきていますが、
学生の頃の記憶は、おかげでまだ鮮明です。


おそらく、人間というのはですね、
異物や恐怖を取り除きたい、そんな思いを本能的に持っているのです。
防衛本能とでもいいましょうか。

そういう本能で、はじいたり、分けたり、組織したりする。

それが増大したり、ズル賢い人に利用された結果が、
イジメや差別や戦争なのでしょう。

自分の身を守ろうとした結果、
予想以上に、他人が傷つき泣いてしまいましたとさ。


人間は、放っておくととんでもない悪魔になるようです。

集団になり、役を割り振ることで罪悪感が分散し、
良心の呵責なんてのもふっとび、非道な行動もエスカレートしていく。
感覚もマヒすることでしょう。

組織の中で命令されると、普段しないことも意外とやれる。
仕事だと割り切れば、嫌なことでも案外できちゃう。

過去の事例がたんとあります。


戦争や差別の歴史を知るということは
何が誰が悪いかを検証したり、
悲しい出来事を覚えておこう祈ろう、というよりも

自分にも、同じことをくり返す可能性や危険性があることを自覚し、
過去の失敗例から、
嵐の中での正しい判断方法を考え、各自、戒めたまへ。

ってことなんだなぁ、と8月15日を迎えると思うわけです。

そしてすぐ忘れちゃう。


よい戦争もなければ、悪い平和もない。

―ベンジャミン・フランクリン


悲しいうわさ

2011-08-06 | 生活

拝啓、T レビ様



物心ついた頃から、ずっと好きでした。

面白いし、物知りだし、一緒に居てぜんぜん飽きなくて。
難しい政治の話もするけど、下品な芸能ゴシップも教えてくれるので、大好きでした。
あなたが言うことは、絶対だと思っていた。

あなたが、
Jリーグ始まるよ!って言うから、サッカーに興味をもったし、
へ~って言うから、へ~って思った。


中学生の頃に、
大人っぽいS聞紙さんや深夜のRジオさんと知り合ったけど、
やっぱりそれでも、あなたのことが一番好きでした。

そして、

成人してから、Nットさんって人と仲良くなりました。

Nットさんはあなた以上に、面白くて物知りだったけれど、
時折、びっくりするような差別発言をするので、少し距離を置いて接してきました。


大人になった今でも、やっぱり、あなたは不動の一位です。


「道徳心・倫理観を差し置いてまで、
 やらせをしてまで作り上げたい、そんな面白さも存在するのだ」

既成概念にとらわれない、もの作りへの姿勢が好きです。


「でも、暴風、豪雨、洪水、地震、その他災害時には
 率先して、被害を広げないよう務めるぜ!放送法第六条の二だぜ!」

たまに見せる、熱血漢なところも好きです。


Nットさんもなんだかんだ言って、
あなたの一挙手一投足をチェックして、話題にします。



最近、そのNットさんから、
あなたの悲しい噂を聞きました。

あなたもNットさんとは仲良くしているので、
その噂はすでに、あなたの耳にも届いていることでしょう。


ねぇ、なんで何も言わないの?

身に覚えのない中傷をされて、腹が立ちませんか?

それとも、あのウワサは信実?

沈黙は肯定と受け取れってこと?


実は、わたしも
今年の3月中ごろから、
少しあなたに不信感を抱いています。

人の揚げ足を取るのが大好きなはずのあなたが、
多くの企業や人間を廃業・廃人に追いやってきたあなたが、

ツッコミどころ満載のあの企業に対してだけは、
なぜかまるで、借りてきた猫のようにおとなしいから。


あなたは、お金や権力で動いている?

今までずっと、あなた自身の言葉を語っていると信じていたけれど、
本当は、あなたにお金をくれる第3者の言葉を代弁していただけ?


勝手に期待して、高評価していたわたしが悪いけれど、
小さいころからずっとずっと好きだったので、
これっぽちも疑ったことがなかったので、噂が本当なら残念です。

悲しい噂は嘘だと言ってほしいけれど、
本当のことを、あなたの口から聞きたいのです。



噂を完全無視、というのは怖い。

S聞紙さんもRジオさんも多くは語ってくれません。
言ってるのはNットさんだけ。

嫌なら見なければ良い、とでも言うように
まるで何事もなかったかのように、
無邪気にはしゃぐ姿がめちゃくちゃ怖く、そして、悲しい。




Grape



噂の根っこにあるものは・・・?


フューネラル 流血の街

2011-08-03 | 本と漫画と映画とテレビ

マフィア映画はお好きですか?

―大好きです。今度は嘘じゃないっす。


なんつって。今度も嘘です。
『ゴッド・ファーザー』も『アウトレイジ』もいまいち理解できていません。

てか、そもそも、
「マフィア」と「ヤクザ」と「ギャング」の違いがわかっていないので、
すべて同じようなものと思って話します。あしからず。



先日読んだ、久世光彦のエッセイ本の中で、
『フューネラル 流血の街』 という映画がよかったよ、と紹介されていたので、
さっそくTSUTAYAに行って借りてきました。


『フューネラル 流血の街』 (1996年、米)
監督:アベル・フェラーラ
1930年代のNY近郊に暮らす、マフィアの三兄弟とその家族のお話。


配役、

長男:クリストファー・ウォーケン
次男:クリス・ペン (ショーン・ペンの弟)
三男:ヴィンセント・ギャロ

日本式に言い換えると、

長男:石橋蓮司
次男:山本圭一 (元・極楽とんぼ)
三男:浅野忠信

言い換えたところで、、って話ですが。
和式の方が想像しやすいかな、というわたしなりの配慮です。



そして、三兄弟と対立するギャング役はベニチオ・デル・トロ。(≒古谷一行)

どうでもいいけど、
ベニチオ・デル・トロとブラッド・ピットって似てません?
映画『スナッチ』でも思ったんだけど。ブラピ似。デルトロ。


つまり、
古谷一行は、デルトロ経由のブラピってことになるわね。

Similar

むむむ。
こうして並べてみると、デル・トロとブラピは似ていないかも。
ご、ごめんなさい。


あ、でも、ギャロはハスキー犬に似ているよね。
特に、目。
こうやって、ハスキーの目をギャロにつけ代えてもさ、、、


Gallo



え?怖いし、どうでもいい?




映画の話に戻りましょうね。


フューネラル(funeral)とは、「葬式」という意味の英語だそうで、
開始早々、三男のお葬式が執り行われています。
つか、ま、最後までお葬式なんだけど。

アメリカでは1929年に始まった大恐慌のおかげで、
30年代は失業者、労働組合、経営者、みんな大わらわ。

今の日本と似てるかも。

映画の冒頭から、
ビリー・ホリディの歌う『暗い日曜日』が流れて、
観る人を瞬時に陰鬱な映画の世界へ連れて行ってくれます。




感想というか、
再確認したことは

マフィア映画苦手だわ~、ということ。


この映画が面白くないとかそういうことじゃなくて、
マフィアの抗争というものについていけない。
意味が分からん。なぜ、殺しあう?


「兄弟が死んでも、悲しむより復讐で頭がいっぱいじゃない」

って、
映画の中で長男の奥さんが嘆くシーンがあるんだけど

ほんとそう思う。

死んだ人間は、復讐してくれとは思ってないって。
無になったんだから。
復讐はただの自己満だよ。


殴られたから、殴り返しました。
これじゃ、ケンカは永遠に終わんないんじゃないの?

目には目をでは世界が盲目になるだけ(by ガンジー)

うむ。賛成。


右頬を殴られたら左頬を差し出せ(by キリスト)、とまではいかなくても、
暴力には無抵抗で笑顔が一番。

え?なに?
「自衛のための暴力は知性と呼ぶ」ってマルコムXが言ってた?

いやいやいや。

暴力を使わないで、暴力に対抗できる脳みそを養う方が有意義。
養った知性が、暴力に勝る武器となるのだよ。

と思う。


確かに、

わたしは家族を誰かに殺されたこともないし、
我が家の敵はコイツだ、我が家の血筋が一番偉大、
なんていう教育を受けて育っていないので、何もわかっていないのかもしれない。


でも、なんつうの。

暴力で仕返ししたり、暴力で解決する人間ってどうなの。
想像力はあるの?


人には、その人なりの正義や生甲斐や哲学があるから、
そういうのを傍から見て、バカじゃない?って軽蔑してはいけない。
そうは思います。そうは思っているけど、



でもさー。

自分の正義や生甲斐を貫くためなら、
人を傷つけたり、殺していいのか?

自分の家族を殺されました。
だから、殺した犯人を捜します。
そして、犯人を殺します。

犯人にも家族がいるんだから、これじゃ同じ穴のムジナ。


自分の家族や仲間を大切に思うのはいいよ、

でも、そう思っているのは自分だけじゃなくて、
人間ひとりひとりが、それぞれ、家族や仲間を大切に思っているのに
そこを「自分は悪党だから人を殺す」、と言って開き直るのは違うんじゃないの。
どうなの、そのへん。


そういうわけで、

マフィア映画をみると、本編そっちのけで、
「この殺し合いなんなん?意味あんの?」
って思ってしまって、もうダメ。

フィクションとは思いつつも、どこかでスーっと冷めてしまう。

登場人物はみんな魅力的だけど、
結局、殺し殺され負の連鎖。なにこれ。
こうして映画の入口でつまづき、本体がなかなかつかめません。

あと、血がピューピュー出るから観てると痛いの。


『フューネラル~』に関しては、
わたしのこうしたモヤモヤを、三兄弟の圭ちゃんことクリス・ペンが
サクッと解決してくれたから気持ちよかった。スッキリ。


ま、ま、

映画との相性というものは、
その時の自分の状況や気分等で大きく左右されますので、
何年か後に再度観たらすごい良かった、なんてこともあります。

あの当時めちゃくちゃハマったけど、今観るとイマイチって映画もある。

マフィア映画の面白さがわかるには、
出会うのが早すぎたみたい。また会おうね、といってお別れしました。


相性の悪い映画はありますか?


死にそうな人

2011-08-03 | 音楽

死にそう。 といっても、

顔に死相が出てます、といった心霊的な話ではない。

あるいは、

煩悩のない人=仏=死人(しびと)
なんていう、仏教的な話でもありません。

もちろん、
病気や薬でそろそろヤバいんじゃない?っていう話でもない。


なんていうか、
人間らしくない、染まってない、強すぎる・・・
なんていうの?こういう感じの人。
浮世離れ?生き急いでいる?

そうそう。

なんだか生き急いでて、人間っていうより、幻覚?マボロシ?キセキ?
みたいな人っていますよね、という話です。
犬や猫でもいたりしますが。


神様は、強い魂をもった人間をそばに置きたがるらしいので、
それが本当なら、すぐに持っていかれそうな人。
目を離すと、あっという間に居なくなりそうな人。

そういう意味で、死にそうな人。



あれは、たしか、10年くらい前の話。

歌番組の『HEY!HEY!HEY!』に、エレファントカシマシが出てて。


トークの最中、
ヴォーカルの宮本浩次が松本人志に、

「僕は、あと何年、生きられるんでしょう?」って聞くわけ。

(今思うと、彼は何故こんな質問をしたのか・・・謎。)


そしたら、松本氏は

「そんなに長くはないと思う・・・笑」


って答えてて。

それを観て、なんだか妙に納得してしまった。 という話。


宮本浩次だけじゃなく、
甲本ヒロトとかも、「そんなに長くはない・・・」って思ってしまう。


いや、二人ともぜんぜん生きてるけど。

生きてるし、生きてるし、生きてるしー!
長生きしてほしい。曲聴きたい。もちろん。

でも、なんか、なんだろ。なにかね。

刹那的っていうの?刹那的な人?
今この瞬間だけを生きているのだ、という感じ。

まぁ、気のせいなんだけど。
観る側の気持ち次第なんだけど。


さ、ここはひとつ、気分を変えて歌でもうたいますか。

せーの。

♪降りるはずの~駅は後ろ~
 止まるべき港を離れてく~
 トゥーレーイ、トゥーダイ、のぉん。

(ザ・ハイロウズ 『too late to die』)



わ!わ!
のんきに歌ってたら、エイミー・ワインハイスが死んじゃったよ!

音楽とお酒とお薬をたしなんでいたら、
27歳で死なないわけにはいかないよね。

偉大な先輩たちに続かないとね、ってこと?

アルコール依存症のリハビリ施設なんか行きたくないのっ。
ノーノーノー。

Eimy


できることなら代わってあげたい。

どうして、必要とされている人ほど
さっさと死んじゃうんだ。


ダニング・クルーガー効果

2011-08-02 | 悩み

人と会わない。一人暮らし。引きこもり。

そんな生活を何カ月も続けていると、
まぁまぁなかなか「くる」ものがあります。

(個人差あり)


精神的にくるっていうか、
五感が開いてくるっていうか、悟りが開けてくるっていうか
薬とか使ったことないけど、使わずとも見えてくる聞こえてくるっていうか。
なにかしらくる。知覚の扉が開きます。


高村光太郎の『智恵子抄』の智恵子さんみたくなるっていうか。

ほん気で鶏を叱って居る 尾崎放哉  っていうか。

まぁ、その、
鳥との会話と独り言はデフォであります。


気になる方は是非、お試しあれ。



時間だけはたっぷりあるので
いろんなことができます。


散歩したり、
絵を描いたり、読書をしたり、
自分がいかにダメ人間かをノートにつらつら書き留め、落ちてみたり、

性同一性障害を持つ同性愛者は、
一見、異性愛者と変わらないけれど、実際問題はどうなのだろう?
体は女で心は男で、愛する男の子供を産む気持ちって?
体は男で心は女で、愛する女との性生活は?

ということを一日中考えたり、

過去の自分から見て、現在の自分は「未来の自分」と位置づけられるが、
現在の自分から見て、「未来の自分」という実体はない。
時間軸での「未来」は確実に訪れるが、現在の時点で「未来」は存在しない。
つまり、
存在しない場所には行けないので、未来行きのタイムマシンは作れない。
でも、マーティーはデロリアンで2015年に行ってた。

終わりのない妄想を繰り広げたり。



とうとう、そのうち、

こんなに何にも出来ない自分は
実は何でもできる偉大な人間なんじゃないか?
全知全能、自分はまさかの神?って気持ちが湧いてきます。

これはいけない。


知識の少ない人間が、知識の多い人間より
自分の方が物事をよく知っていると思い込む現象を
社会心理学では、「ダニング・クルーガー効果」と呼ぶと聞きました。

無能な人ほど自分の能力を過大視するんだって。

怖。まさに今これ。
ダニング・クルーガー効果がわたしに起きてます。

じゃなければ、躁。


これはいかん!ヤバイ自分!ってことで、
早く仕事がみつかりますように、南無。って近所の神社にお祈りしてきました。