見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

仁義なき戦い

2019-11-30 | 本と漫画と映画とテレビ
おまえらテープ回してないやろな

―岡本昭彦


2019年の流行語大賞が「闇」に決まり、
授賞式には雨上がり決死隊の宮迫さんが登場したとかしなかったとか。
仕事復帰おめでとう!

そんなパラレルワールドの話はさておき。

教養のためにも
いつかは観ないといけないと思っていた映画をようやく鑑賞。

今さらながら、
「朝日ソーラーじゃけん」の意味(菅原文太と広島弁の関係性)を理解する。




『仁義なき戦い』(1973年 日)

監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
音楽:津島利章
出演:菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦 他

実在のヤクザの抗争を題材に、裏切り・裏切られる若者たちを描いた青春・娯楽・ヤクザ映画。殺伐とした暴力描写やヤクザを現実的に暴力団として扱ったことで、従来の任侠映画特有の「美化されたヤクザ像」を覆した作品。一作目の大ヒットによりシリーズ化。


みんなピチピチ。

役者さんのお肌がみんなピッチピチ。

主役の菅原文太はいわずもがな、
松方弘樹も梅宮辰夫もお肌がプリプリのブリンブリン。
みんな殺されるけれど渡瀬恒彦も伊吹吾郎もピッチピチ。

皆さま当時20~30代なのかな?
50年近くも前の映画だから、みんな若くて当然なのだけれど、
いや~みずみずしいったらない。
若さって才能。


足元から斜めのカットで映し出される冒頭のシーンや
『シンドラーのリスト』『ライフ・アクアティック』ばりに
赤が強調された映像もかっこよろしいし、

なにより音楽!

「チャララ~チャララ~♪」っていうあのテーマ曲。
オープニングだけじゃなく、人が死ぬ度に
「チャララ~チャララ~♪」っていう。
何度聞いても血沸き肉躍る名曲。

作った人天才じゃない?

人が死ぬ度に出るあのテロップ?もたまらんのです。




なにより、
注目すべきはストーリー。

物語が今年話題になっていた吉本興業の反社騒動と重なってなかなかのタイムリー。

まぁ、映画の登場人物の大半は反社会的勢力なんですけれど…

重要なのはそこじゃなくて、
主人公が属する山守組の組長さんが組員に向かってことあるごとに
「組は家族じゃないか」「わしは親も同然よ」的なことを言うのです。

そしてその舌の根も乾かぬうちに、
組長は「家族」や「子供」である組員を裏切って見殺しにするっていう。

(組長を演じる金子信雄が「ザ・タヌキおやじ」という感じでとてもいい。
金子信雄って東ちずるに軽いセクハラをしながらクッキングをする料理研究家か何かだと思っていたけれど、俳優さんだったのな…)

組の幹部たちが集まって、組長に上納金の割合を下げてくれるようお願いする場面は
まるで吉本興業の中堅芸人と吉本幹部らとの間でなされたとかいうギャラUP交渉会議を見ているよう。


極めつけは、薬物問題。

山守組ではヒロポンの使用および製造・売買は禁止されているにもかかわらず、
ヒロポンでガッポリ稼ぎ始める組員がいて、それが原因で内部紛争が勃発。

結果、ヒロポンで稼いでいた組員一派は殺されるわけです。

しかし実は、組長自身がその死んだ一派から取り上げたヒロポンを横流しして、お金を稼いでいたことが判明し……。

この一連の流れが、吉本興業の反社騒動とダブってしょうがなかった。

反社からの仕事を受けていたことが明るみになった芸人たちは
事務所をクビになったり、謹慎したりしたけれど、
実は事務所自体も反社と仕事してたらしいよ…っていう。ね。

「ヒロポン=反社会的勢力」「ケンカ=笑い」「山守組=吉本興業」という構図が頭から離れなくなったものだから
ラストの葬式シーンで銃をぶっぱなす主人公がロンブーの亮さんに見える始末。(幻覚がひどい笑)

要するに、吉本興業ってヤクザなんだな、という感想。(決めつけもひどい)


「つまり、あれがヤクザなの。弱い者には強いけど、強い者にはまるっきり弱い」

そんなことを、映画『ミンボーの女』のなかで宮本信子が言ってたけれど、
その定義が正しいなら日本はヤクザでいっぱいだー

ジョーカー

2019-11-18 | 本と漫画と映画とテレビ
『ファイト・クラブ』を観て「ケンカを煽っている!」とは言えますが、それって一番単純な見方ですよね

―トッド・フィリップス


映画『ハングオーバー!』などのコメディ作品で有名なトッド・フィリップス監督が
「表現が制限されるようになったこの時代、コメディで語れることがなくなってきた」という理由から、映画『ジョーカー』を撮ったという話をネットで拾い読み、

「そこまで言うならお手並み拝見しようじゃないか」なんて
ものすごい高慢&どっから目線なのかわからない感情とともに映画館へ。

だって、
チャップリンの映画に代表されるように、
コメディや笑いってあらゆる事象の終着点だと思っていたから、
監督がコメディ以外で表現したいことが何なのかを確認したかったのです。




『ジョーカー』(2019年 米)

監督:トッド・フィリップス
原作:ボブ・ケイン、ビル・フィンガー
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ

DCコミックスから出版された漫画『バットマン』に登場する、最強の悪役・ジョーカーの起源を描いた作品。
第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。


監督、本当に本当にごめんなさい。

ぜんぜん意味が分からんかった!
許して!めんご!

うーん…。えっと…あのぅ…

これは…結局、2時間ずっっと…
主人公が考えた笑えないジョークを観せられていたということでしょうか…?

なぜ時計の針は常に同じ時刻を指していたのか?
どうして日記を書く手を右から左に替えたのか?
冷蔵庫へ入った意味は?
バットマン(ブルース・ウェイン)との年齢が離れすぎてません?
血の足跡がいきなり消えましたけど??

序盤の面談のシーンでソーシャル・ワーカーから、
「病院に閉じ込められていた理由わかる?」って聞かれていたけど、
あれはどいうこと?
物語自体がループしているの?

もうね…謎だらけ。

クリストファー・ノーラン監督の映画『インセプション』のように
構造が何層にもなっていて…とっても難しかった。わけわかめ。
(そういえば『ダークナイト』も理解できなかったっけ…)

あと、アーサー(ホアキン・フェニックス)の笑い方が不快でイライラした。


ただし…!

映像が抜群にかっこよいのです!
主人公の住む部屋のインテリアもおしゃれ。
(貧しい設定なのになぜだろう)
ずっと着ている黄色いパーカーもかわいい。

映画の冒頭、「JOKER」の文字がドーン!と出てくるところと
終盤、日産(だったっけ?)の車のCM曲にも使われていた
クリームの『ホワイト・ルーム』がBGMに流れて
パトカーの後ろ姿がドーン!と映る場面なんかもう最高。

ギューン!っと胸が高鳴ります。

そしてなにより、
ジョーカーの衣装を身にまとい、
踊りながら階段を下りるシーンのかっこよさといったらもう!!

あの階段場面は
『戦艦ポチョムキン』のカノッサの階段と
『蒲田行進曲』の階段落ちシーンに並ぶ
世界三大階段シーン(そんなものはない)のひとつと言っても過言ではないでしょう。



あと、時代設定が1970~80年代のため、
主人公がタバコをプカプカ吸っても無問題!
喫煙シーンがこれまた鬼セクシー!

歩きタバコ&ポイ捨てもジョーカーに限っては許しましょう!

特に、「マレー・フランクリン・ショー」登場時の
踊り出すとともにタバコをポイッという、あのシーン。
あれをおかずにご飯3杯は難くないでしょう!


そんなこんなで、
監督の本意を理解することは諦め、
チャラチャラ表面だけ観て楽しみましたとさ。


それでも、鑑賞後に購入したパンフレットを読んだら
フワッとだけれど監督のやりたいことがわかった…気がする。

監督のインタビューコメントを要約すると、

「コメディの本質は破壊的かつ不謹慎なのものだと思って作ってきたけれど、
今の世界はあるゆることに敏感で、誰かを笑わせようとすると誰かが怒る。
だから、不謹慎なことをする方法・場所を替えました」

ということらしい。

つまり、
映画『ジョーカー』に対してどんなに批判や苦情、
誹謗・中傷・ビラ撒きがあったとしても

「いや、病人のたわごとですやん」
「見方が浅いスわ~笑」
「なんせあのジョーカーですし」

とかなんとか言って軽くいなす逃げ道がいくつも用意されているということ。
(それが映画の真意ではないにしろ)

その逃げ道を盾に
監督のやりたい破壊的・不謹慎な表現も存分にできてるんだろうし、
今の世の中、いつジョーカーが現れてもおかしくない空気感だよね?っていう社会批判なんかも含まれていることでしょう。

大統領が「トランプ」な今こそ「ジョーカー」というか。知らんけど。

現にほら、
貧富の格差はどんどん広がっているし、
反政府デモが続く香港じゃ、警察が学生を実弾で撃っているし、
エアガンで息子を撃つイカれた父親も存在するし、
稼いだお金を国に正しく納めない堕落者もいれば、
みんなが納めた国のお金をいっぱい使って個人的にお花見を楽しむ人もいるし。
車で人を轢き殺して即逮捕される人もいれば、逮捕されずになぜか特別扱いを受ける人もいるわけで。

なんなら、どこか心の片隅で
現実にジョーカーのようなスーパー・ヴィランが登場しないかなぁ~
なんて期待に胸を膨らませる自分もいたりして。

まぁ全部冗談ですけど。