僕がカンイチ 君はオミヤ 正にこの世の大迷惑
― ユニコーン『大迷惑』
尾崎紅葉『金色夜叉』
1897年(明治30年)から5年間、読売新聞に掲載されていたお話。
月が・・・月が・・・くもったらば、宮(みい)さん、
貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐる、というお話。
内容は、ええ、少女漫画です。
昔の少女漫画とかトレンディドラマの感じ。
物理学的には、今の私、三角関係の一点なの、という感じ。
主人公の間貫一(はざまかんいち)には、
鴫沢宮(しぎさわみや)という、すこぶるマブい許嫁がいるわけ。
どのくらいかわいいかっていうと、
宮を見た人の言葉を借りるなら、
「好い、好い、全く好い!馬子にも衣裳と謂ふけれど、
美しいのは衣裳に及ばんね。物それ自らが美しいのだもの。
着物などはどうでも可い。
実は何も着てをらんでも可い」
「裸体なら猶結構だ!」
ってくらいかわいい。
だから、富山という富豪の目にもとまり、
結果、宮は許嫁の貫一ではなく、金持ちの富山と結婚してしまうのですが・・・
有名な(?)熱海の浜辺での足蹴りは
富山との結婚を決めた宮を、貫一が問いただす、というか
貫一が宮への思いを告りまくった際に起きた出来事。
「僕はこれ程までに、お前の事を思つてゐるのに!思い直してよ!」
つって、貫一が宮に延々数ページに渡って、
宮への思いとか、大好き度合を語りまくるのだけど、
それでも、宮は宮で、
何か考えがあって、富山との結婚を決めたらしく
「私が富山に嫁いだら貫一さんはどうするの?」
って言って、その宮の言葉を聞いた貫一がブチギレ、
「このはらわたの腐った女!姦婦!」
なんていう、最低の暴言とともに、貫一は脚を挙げて宮の弱腰をはたとけたり。
という話。
うーん。
こんなあらすじでは、面白さは伝わらない。
この小説がわたしにとって魅力的なのは、
尾崎紅葉の文章と、会いたいときにあなたはいない的な
二人の思いの交錯なんだと思う。
口語と文語が混ざった雅俗折衷っていうんでしょうか、その文体と、
あと、たまに入ってくるナレーションがいいんです。
貫一 「寒くてたまらんからその(ショールの)中へ一緒に入れて給へ」
宮 「あら貫一さん、これぢゃ切なくて歩けやしない(笑)」
―かかる戯れをなして憚らず、女も為すままにまかせて
咎めざる彼らの関係はそもそも如何に。
ドラマや映画として、たくさん映像化されているらしいのだけど、
果たして、どうなのだろう。観たことないけど。
尾崎紅葉は、胃癌で亡くなったらしく
あまりの痛みに耐えられず、医者にモルヒネを大量に打てと脅したら
弟子たちにいさめられるんだけど、
「この苦しみを生きてたって、何の役に立つものか。
お前等がそんなことを言うのは、死んだことがないからだ。
嘘だと思うなら死んでみろ」
といったとかいわなかったとか。
ああ・・・せめて・・・
結末・・・結末だけでも、遺して死んでほしかった。
結局、貫一とお宮はどうなっちゃうんですか~!
教えて!紅葉先生!
【2014年8月追記】
とうとう!ついに!
2人の聖地?熱海の浜辺へ!
お宮の松と像をみつけてテンションあがるー!
こちらが、「貫一は脚を挙げて宮の弱腰をはたとけたり」の様子。
ちなみに、手前のレバーを引くと、
貫一 「このはらわたの腐った女!姦婦!」
宮 「あ、あ、あ、貫一さん!」
――宮は再び恋き貫一の名を呼びたりき。
なんていう音声やナレーションが聞けます。(大嘘)
8月の熱海の浜辺はめちゃめちゃ暑くて、海水浴の人でいっぱいだった・・・
どうせなら、1月17日に行くべきだわね。
「可いか、宮(みい)さん、一月の十七日だ。
来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、
貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」つって。
10~20年くらい前の
萩原聖人と宮沢りえで映画化希望~
まぁ、今の2人でもいいけど(上から)