見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

肉体と悪魔

2018-10-28 | 本と漫画と映画とテレビ
その巧言令色(こうげんれいしょく)が、努めてするのではなくほとんど無意識に天性の発露のままで男を虜にするところ、むろん善とか悪とかの道徳的観念も、無いで遣っているかと思われるやうなものですが、こんな性質をあれ程に書いたものはありますかね

―夏目漱石 
(ヘルマン・ズーダーマンの小説『消えぬ過去』の登場人物、フェリシタスについて)


飯田橋のギンレイホールで、「活弁とピアノ演奏による三人三夜」と銘打ったサイレント映画特集が開催されているという噂を聞きつけ、最終日に慌ててかけこむ。

てかそもそも「活弁」ってなんだい? 
最近話題の神田松之丞的な? あれは講談?

ウィキペディアによると、

「活弁とは:活動弁士の略称。活動写真すなわちサイレント映画(無声映画)を上映中に、その内容を語りで表現して解説する専門の職業的解説者。いわゆる<ナレーター>の前身職の1つに当たる」

だそうです。

そして、上映作品は、
グレタ・ガルボ主演の『肉体と悪魔』。

グレタ・ガルボ……。
名前は聞いたことがあるけれど、作品は未見。

スウェーデン生まれの美女で、35歳で女優を引退してからは公の場所にほとんど姿を見せず、以後84歳で亡くなるまでニューヨークにて隠居生活を送る。生涯独身だったことから、レズビアンもしくはバイセクシャルだったんじゃねーかと言われているとかなんとか、この辺の情報だけは知っている。(下世話)


そんなこんなで、活弁映画、初体験。
ワクワク。



『肉体と悪魔』(1926年・米)

監督:クラレンス・ブラウン
原作:ヘルマン・ズーダーマン『消えぬ過去』
出演:ジョン・ギルバート、グレタ・ガルボ、ラルス・ハンソン 他

幼少期より固い友情で結ばれたレオ(ジョン・ギルバート)とウルリッヒ(ラルス・ハンソン)の2人が、美しい伯爵夫人・フェリシタス(グレタ・ガルボ)と出会い、翻弄されていく姿を描いたホラー? 映画。


グレタ・ガルボが、悪い悪い悪い女だったー! ぴゃー。

3人で乾杯するシーンとか、
雪でヒールが濡れて歩けない! のシーンとか、
ごっつい毛皮を脱いだら下はノースリーブ! あざとい! なシーンとか。

小悪魔。いや、大悪魔。

途中からグレタ・ガルボが、
ドラマ『東京ラブストーリー』のさとみちゃんに見えてきたしな。
カンチ(≒ジョン・ギルバート)とリカ(≒ラルス・ハンソン)の仲を、毎度いいところで引き裂くさとみちゃん(≒グレタ・ガルボ)。っていう。

劇中に登場する神父さんが、
「悪魔は魂に直接入り込めない場合、美女をつくりあげて、肉体を通して入り込んでくるんだ」みたいな話をしていたから、グレタ・ガルボ=悪魔ってことなんだろうけれど……。

ねっとりと怖い話だった。。。
日本的ホラー。
『雨月物語』の「蛇性の婬」っていうか。


しかし、
100年近く前の作品なのに、現代でも通用する美しさにはうっとり。
100年経っても美女は美女だし、イケメンはイケメン。カモメはカモメ。

あと、衣装も美しい。
オーストリアが舞台で、冬は雪が積もり寒さも相当らしく、防寒着が毛皮。
登場人物が着ている毛皮はゴージャス&ゴージャス。
(主要3人は皆かなり裕福な様子)

グレタ・ガルボの衣装もかわいい。
基本Iラインで、映画『モロッコ』の時のマレーネ・ディートリヒの衣装と若干似ている。(同年代の映画だからか?)
特に、伯爵の喪中に着ていた、前からみるとショールカラーのジャケットなのに、後ろを向くとケープになっているスーツ? がすんごいステキだった。(うろ覚え)




ついでに、外人部隊に飛ばされていたレオ(ジョン・ギルバート)が、フェリシタス(グレタ・ガルボ)を想いながら故郷に帰るシーンがたまらなくいい。
これは、今では無い撮り方だと思う。一周回って斬新。笑

会いたいという気持ちの熱が観ている方にもガンガン伝わるというか……。乗り物とフェリシタスの文字の出し方をかえて3~4回繰り返すところがスバラシイ。

てか、レオ役のジョン・ギルバートって、サイレント時代はトップスターだったけれど、声が顔に合わずキンキン声だったからトーキー映画になって人気がガタ落ちしたとかいう、あのジョン・ギルバート? リアル『雨に唄えば』の人!? しかも、撮影当時はグレタ・ガルボと付き合っていたらしい。どおりで、キスシーンがエロいわけだ…!(ジョン・ギルバートはラブ・シーンの名手として評価が高かったたそうな)

そんなジョン・ギルバートの声を実際に確かめたくなり、帰宅後YouTubeでトーキー出演作を観る始末。それほど声は気にならなかったけれど……なんでも観られるYouTubeの有能さを改めて実感。

最後に。
初体験の「活弁」は、想像以上によかった。

サイレント映画は、文字に起こされる分量が映像の長さより少ないので、細かい展開や登場人物の気持ちは、映像や役者の表情から想像するしかないのだけれど、活弁が付くと、字幕以外の部分も補ってしゃべってくれるので、理解が深まる。ような気がする。

それと同時に、いろんな疑問が沸き起こる。

活弁は、日本ならではの文化なのだろうか?
サイレント時代は、どの映画にも活弁が付いていたのか? 邦画にも?
担当弁士次第で、かなり映画の印象が変わりそうだけども?
どうなのその辺??

まぁいろいろ気になってしょうがない。



アンダー・ザ・シルバーレイク

2018-10-21 | 本と漫画と映画とテレビ
自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、最も執念深く自己の幸福を探していたのだということが、悟浄に解りかけてきた。自分は、そんな世界の意味を云々するほどたいした生きものでないことを、渠(かれ)は、卑下感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。

―中島敦『悟浄出世』より


「ヒッチコックとリンチが融合した悪夢版『ラ・ラ・ランド』だ!」

そんな予告のキャッチコピーに誘われて映画館へ。



『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018年・米)

監督&脚本:デヴィッド・ロバート・ミッチェル
出演:アンドリュー・ガーフィールド、ライリー・キーオ、トファー・グレイス 他

2011年夏のロサンゼルス<シルバーレイク>を舞台に、“何者か”になる夢を抱いてはいるものの堕落した日々を送る主人公(サム)が、美しい隣人(サラ)の失踪をきっかけに、街の裏側に潜む陰謀を解き明かしていくネオノワール・サスペンス。


上映時間、2時間半はちょっと長ーい!
情報量が多すぎて、ついていけなーい!

ハズキルーペ風に怒ってはみたものの、(古い?)
変に長くてクラクラする感じが魅力といえば魅力。
こう、どこか遠いおとぎの国にトリップしている感じというか。

そしてズバリ、
予告のキャッチ(ヒッチ×リンチ×悪夢版ララランド)通りの映画!

いや、デヴィッド・リンチの映画はあまり観たことがないので、そこは何とも言えないのですが……。

まず、
主人公が部屋で双眼鏡を片手に近隣のアパートをのぞき見する様子はヒッチコックの『裏窓』だし、サラが主人公と初めて対面するシーンは『裏窓』のグレース・ケリー登場のシーンを思わせるし、主人公がサラの忘れ物を運ぶ女を車で追跡する様子はまんま『めまい』だし。ヒッチコックのお墓も登場して、バーナード・ハーマン風の音楽、、、と随所でヒッチコック感を味わえます。

で、映画『ラ・ラ・ランド』同様、
主人公は成功を夢見てロサンゼルスに暮らす若者で
いろんな映画や音楽へのオマージュもたっぷり。

ただ、『ラ・ラ・ランド』の主人公たちは夢に向かって進んで行くけれど、『アンダー・ザ・シルバーレイク』の主人公は「失敗パターンの人生を生きているのかもしれない」と友人に口走るくらいには停滞している。
ハリウッドの名所・グリフィス天文台に行っても、上昇しながら踊り狂う『ラ・ラ・ランド』に対して、地下に潜って混乱していく『アンダー・ザ・シルバーレイク』。

その辺が「悪夢版」と言われる所以? なのかな?

ちなみに、タイトルにある「シルバーレイク」とは、ロサンゼルスの東北部はハリウッドの東にある貯水池の名前。そして、その周辺の住宅地もそう呼ばれているのだとか(地図のピンク色部分)。



このシルバーレイク周辺地図(公式HPより抜粋)を頭に入れておくと、地理関係がつかめて映画鑑賞に役立つ。と思う。(主人公の住居は「シルバーレイク」のななめ上、「ロス・フェリツ」にあるという設定)


主人公のサムは、突如消えた隣人・サラの行方を追うべく、いろんな知識(音楽、ゲーム、都市伝説など)を総動員して目の前の暗号を解いていく……。
基本はそんな映画なのだけれど。

しかし、1点。
主人公は無職で家賃も滞納していて、5日以内に家賃を払えないなら退去してくれと大家?管理会社?から通告されているという設定を忘れてはいけない。

自身がなかなかのピンチな状況なのに、彼はサラの捜索を優先するのです。

これは、目の前の大きな危機よりも、心躍る「暗号読解」や「捜査」に現実逃避したんじゃないかな。と、常に逃避気味の私は思う。
(サラのことがめちゃくちゃ好きなだけかもしれんが)

つまり、主人公・サム自身が「ラ・ラ・ランド(=現実から遊離した精神状態)」ということ。

なので、映画内で起きるすべての出来事がリアルな現実だとは限らない。たぶん。
サムの妄想や幻覚、夢の部分も多少混ざっていると思う。知らんけど。

(ちょっと前に観た『タリーと私の不思議な時間』というステキな映画でがっつりだまされたので、かなり疑い深くなっています)

だって、そもそも誰が何の目的で暗号を作ったの?
主人公みたくサラを見つけるという目的以外で、暗号を解読する意味ある?

解読した人間が次の地下暮らし候補になれるわけじゃないようだし、暗号を解くカギは主人公の趣味に偏り過ぎているし。
中盤で、R.E.M.の『What's the Frequency, Kenneth?』が流れるところにも電波な何かを感じる。

(あとどうでもいいけれど、主人公の走り方が独特でついつい笑ってしまう)

確かに、日常の些細な個々の出来事が線で繋がると、運命や陰謀めいたもの感じる気持ちはよくわかる。特に、この主人公のように時間を持て余していたり、自分のことにしか時間を割く必要がない人間は、なおさら幻覚を見がちかもしれない。(偏見)

例えば、
たまたま映画『めまい』と『12モンキーズ』を同時にレンタルして観ていたら、『12モンキーズ』の主人公が作中で『めまい』を鑑賞していた、とか。

上野の博物館に『マルセル・デュシャンと日本美術』展を見に行き「デュシャンの活動ってバンクシーと似ているわ」と思い、バンクシーのインスタをフォローしたら、その数日後、バンクシーの作品『少女と風船』が落札会場で裁断される様子がタイムラインに流れてきた、とか。(本来あれは全部裁断する予定だったらしい。装置が故障して途中で止まったんだとか。全裁断のほうがインパクトがある)

その後、『アンダー・ザ・シルバーレイク』という映画を観たら、『めまい』も『赤い風船』も『便器』も『チェス』も『のぞき見』も出てきた、とか。

そんなただの偶然を無理やり関連付けて、
「自分は誰かに操られているのではないか」と陰謀論を唱え始めるっていう。
まあまあのヤバい奴。

人間は自分の興味ある領域にだけアクセスして、それがすべてだと思い込んでしまう生き物です。アーハ。


話を戻して。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』では、主人公は終盤でのサラとの会話や、映画『第七天国』のジャネット・ゲイナーにちゃんと救われている(ような気がする)から、全てが幻想や幻覚というわけではなさそう。

要するに、
「ラ・ラ・ランド」な主人公が気持ちを切り替えるまでの物語…??

というわけで・・・
イマイチよくわからなかったけれど、
何度も見たくなる中毒性と暗号がいっぱいの映画だった。。。

暗号といえば、
朝のラジオで、ナイツが「暗号漫才(ネタの中に白と黒という言葉が交互に隠されていてオセロになっている)」を披露していたのを聞いて、また件の陰謀論が発動するっていう。(本当は毎週上等な漫才をありがとう、という気持ちです)


ちなみに。

主人公の母親が電話で熱く語る『第七天国』という映画は、1927年に作られた無声映画。帰る家のない娘・ダイアンが、アパートの7階に住む青年チコに助けられ、一緒に暮らし始めるが……というメロドラマなのです(ダイアン役のジャネット・ゲイナーはこれで第1回のオスカーを受賞)。

映画『アーティスト』でもオマージュシーンがあったり、名シーン&名言が盛り沢山な作品なのだけれど、なかでも物語の序盤、アパートの窓から窓へ板を渡して行き来をするという場面で、それを怖がるダイアンに向かってチコが「Never look down, always look up!(下を見ないで、上を向いて歩けば大丈夫)」とアドバイスする。

そして中盤には、第一次世界大戦の勃発でチコが戦場に行くことになり、戦争を前に部屋で「怖い」と弱音を吐くチコに対して、次はダイアンが「Never look down, always look up!(俯かないで、上を向いて)」と彼を励ます、とまぁそんなステキなエピソードがありまして。

この話を、映画解説者の淀川長治さんは「映画之友の会」を通じて、当時中学生だった永六輔さんに話して聞かせたことがあるんだとか。
そして、それを覚えていた永さんが、後にこの逸話をヒントに作詞したのが名曲『上を向いて歩こう』だったとかそうじゃないとか・・・。
そんな都市伝説。

信じるか信じないかはあなた次第です!



レッドクリフ

2018-10-16 | 本と漫画と映画とテレビ
ンフフフ
決まっているでしょォ
天下の大将軍ですよ

―漫画『キングダム』より


今さらながら『キングダム』にハマっている。

絵柄が苦手で、長い間敬遠していたのだけれど、
最近少しずつ読み進め、
麃公さんの登場あたりからは、もうグイグイ王国の中へ。

「アメトーク」のキングダム芸人の回で語られていた
「プリングルス漫画」という異名も伊達じゃなかった。
(開けたら最後、You can't stopという意味)

読む手が止まらない上に、なんていうか、
将棋を指している気分になるよね。(将棋やったことないけど)
「王将」が政で「金将」が将軍で「銀将」が副将、
「飛車」は信で、「香車」が弓矢の兄弟でしょ?
「桂馬」はトーンタタンということで羌瘣?(役不足感)
「角行」は・・・?

まぁ、そんなしょうもないことを考えるくらい
『キングダム』に夢中。

そして、漫画だけじゃ物足りなくなり、
実写で中国&歴史ものの雰囲気を味わいたい! というわけで。



『レッドクリフ』(2008、2009年)

監督:ジョン・ウー
音楽:岩代太郎
美術・衣装:ティム・イップ
出演:トニー・レオン、金城武、チャン・フォンイー、チャン・チェン 他

中国文学の四大古典小説とされている羅貫中の『三国志演義』を基に、前半のクライマックスシーンである赤壁の戦いを描いたアクション映画。『レッドクリフ PartI』と『レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-』の2部からなる。


いや、この大作をまだ観てないなんて……。
しかも、三国時代って、
『キングダム』の舞台・春秋戦国時代から400年くらい後なんですけど……。

まぁまぁ。
細かいことは気にせず、楽しむのです。

実際、建物や武器、服装、髪型もろもろは『キングダム』も『レッドクリフ』も似たような感じだったよ。たぶん。

そして、映像で見る合戦シーンは迫力満点。
『キングダム』に登場するような戦いの陣形や、
一人十殺的な場面も、実写ではこうなるのね! ガッテン! っていう。

あと、
『キングダム』でしょっちゅう出てくる
「ご武運を!(キリリ!)」つって拳をパーで包む動作。



これは、拱手(きょうしゅ)といって、
中国式の挨拶らしいのだけど、
『レッドクリフ』の中では、
両手をパーの状態で行ってることが多いような気がした。



あの手の微妙な違いは何?
目上の人相手にしゃべる時は両手パーなのかい?
それとも、武官と文官の違い? すごい謎。気になる。


映画の感想としては、
ジョン・ウー監督さすが! ということ。

私、「三国志」の知識ゼロなので、史実との違いなんぞは全くわかりません!

ただ、
心躍るオープニング曲と見応え抜群のアクション、
暴れる炎にお決まりの鳩。
それだけで十分。ジョン・ウー最高。

大量の馬が倒れるシーンなんてどうやって撮っているのか。
(でも、周瑜とその妻のイチャイチャシーンはあんなに要らない)

あいかわらず、チャン・チェンはかっこいいし。

そして、孔明役の金城武がめちゃくちゃよかった。
孔明と周瑜がメインの物語なので、
そもそも見せ場が多くておいしい役どころなのだけれど、それにしても良い。
表情が豊かで、コミカルな演技がすごい上手。(上からだな)
カツラじゃなく、地毛で髪を結っているところも好感度高し。(何様…)

おまけに、『レッドクリフ』は衣装がとってもステキ。
一人一人の衣装替えが多い上に、どれも個々に合った装い。
かといって、でしゃばり過ぎず……。
なんだろう、画面とのちょうどよい馴染み感というか。。。
特に孔明は、全身を常に白系でまとめていて上級おしゃれさんだった。
(馬のお産を手伝った後に着替えていたけれど、あれは周瑜に借りたのか、それとも持参してきていたのか・・・)

兵士や官吏などエキストラの数も大量だろうに、どの服も全然安っぽくなくて。
むしろ、重ね着感や帽子?のあしらいがかわいいっていう。衣装さんすごいッス!

思った以上に見応えたっぷりの作品だったので、
一足先に『キングダム』実写版を観てしまったかのような充実感。満足満足。


希望のかなた

2018-10-12 | 本と漫画と映画とテレビ
今回はちょっと自慢気な原稿になるかもしれない。なぜなら、この作品(『マッチ工場の少女』)の監督であるアキ・カウリスマキの映画を私は前に1本見たことがあるからだ。こんなことは、このページを1年以上もやってきて初めてだ。驚いたろう。私も驚いた。だからカウリスマキの、こう呼び捨てにするといかにも知っているって感じがするなあ。
だからカウリスマキが(話を戻してみた)「映画を母とし、フィンランドを父として誕生した愛と自由の作家」「イタリアの太陽と自由の香水が好き」というイカシたキャッチフレーズを持ってることも前から知ってた。

― ナンシー関『:でたとこ映画:マッチ工場の少女』より


ウェス・アンダーソン監督の『犬ヶ島』を目当てに早稲田松竹へ行ったら、
同時上映に組まれていた『希望のかなた』が非常におもしろくて。



『希望のかなた』(2017年・フィンランド)

監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ
出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン ほか

難民としてフィンランドの首都・ヘルシンキに流れ着いた青年と、彼に手をさしのべる?市井の人々を描いた「難民3部作」の第2弾。
2017年ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞作品。


不寛容な世界と小さな善意。
決して他人ごとではない難民問題。
現実としっかり向き合わなければいけないのだけれど。

そんなことより、犬がかわいい。
犬の役柄というか扱いがとてもいい。(出番は少ないけどね!)
この監督は相当な犬好きとみた!!

なんでも、アキ・カウリスマキは自身の愛犬を映画に登場させることで有名らしく、
今回登場するコイスティネン(本名:ヴァルプ)も、もちろん監督の飼い犬。

(新旧コイスティネンの共演。右の青年は山田孝之に似ていると思う)


ざっと調べてみたところ、
1992年の監督作品『ラヴィ・ド・ボエーム』に出ている犬の子供が『白い花びら』(1999年)に出演していて、その子供は『過去のない男』(2002年)にハンニバルという役名(なんちゅう名前!)で登場。そして、ハンニバルの子供は『街のあかり』(2007年)にちょこっと出てきて、そのまた子供のライカは、2011年の『ル・アーヴルの靴みがき』に主人公の飼い犬役で名演を披露しているのだとか。

おまけに、ハンニバル(本名:タハティ)はカンヌ国際映画祭でパルムドッグを受賞し、ライカは審査員特別賞をもらっているらしい。

(左がタハティで、右がライカ。祖母と孫の関係)



犬好きといえば、
映画『ドミノ』(監督:トニー・スコット)の中で、脚本上では銃撃戦で撃たれて死ぬ設定だった犬のシーンが、監督が犬好きだからという理由で、犬が銃撃から上手く逃げるシーンに差し替わった、なんていう裏話を聞いたことがあって。

(トニー・スコット監督は、作中にチラッと登場する犬猫の行方を割ときっちり描いてくれる。気がする。)

なので、
「犬好き監督」=「トニー・スコット」だと勝手に思いこんでいたけれど、
アキ・カウリスマキもなかなかなかなか……。


大画面に映し出される犬がかわいくって、無性に犬が飼いたくなるものの
中盤で主人公の友人が発した「今の自分は誰ひとりと幸せにできない」
という言葉を思い出して冷静になる。

ああ、そうそう。
今の私の甲斐性じゃ、誰も(犬ですら)幸せにできないや、つって。

あとね、
頻繁に差し込まれる音楽が印象的で、
序盤のバンドシーン、左手はスティック、右手にはマラカスを握って
ドラムセットを叩いていたのがかっこよかった。

ただ、登場人物たちは携帯電話を持ってはいるものの、
車や家具、固定電話の型が異様に古めかしくて、時代設定が謎だった。
(それが監督の持ち味なのかも?)


それでもなにより、
『希望のかなた』と『犬ヶ島』の組み合わせが最高。

共通点が多くてステキな2作。
ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、かわいい犬、こだわりの寿司、
動きが固い登場人物、どっちにも出ている(?)山田孝之、とか。

そして、小津安二郎な『希望のかなた』に対して、
黒澤明リスペクトの『犬ヶ島』っていう。

ホント上等な2本立てだったのよー。満腹。


もちろん、お目当ての『犬ヶ島』も抜群におもしろかった。
ひたすらかわいい。
ずっとかわいい。



この映画を作ったウェス・アンダーソン監督は頭がおかしい。(良い意味で)

情報量が多すぎて消化できなかったので、日本語吹き替えでもう1回観たいと思う。
いや、1回どころか何度も繰り返し観たい。
DVDが欲しい。
(ブルーレイしか特典映像が付いていないってのは、ヤクザじゃない?)

あと、主人公・アタリ少年の声がすごくいい。
『火垂るの墓』の節子ちゃん級のよさ。
ちょっと滑舌が悪い感じもすごくいい。
犬を触るときにまずグーを差し出すところもいい。
何度か流れる『I Won't Hurt You』という曲もたまらなくいい。

初めてイヤホンを付けて小声で会話するシーンもいい。
「もしもし、ボディーガード・ドッグ、聞こえる?」っていう。
あれ泣いちゃう。



シャイニング

2018-10-07 | 本と漫画と映画とテレビ
名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である

―淀川長治


映画『レディ・プレイヤー1』のDVDを借りて観たら、
もうめちゃくちゃおもしろくて、
なぜ、公開時に映画館へ行かなかったのかと悔やむ日々。
バカバカ自分。バカ過ぎる……。3D、いや4Dで観たかった。


ついでに、こちらも観たくなるわけで。



『シャイニング』(1980年製作)

監督:スタンリー・キューブリック
原作:スティーヴン・キング
出演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュヴァル ほか

コロラド州のロッキー山上にあるオーバールック・ホテルに、冬期の管理人として訪れた主人公とその家族が、ホテルの意思に飲み込まれていくホラー作品。


おしゃれでびっくり。

ジャック・ニコルソンのあのシーンはもはや伝説だし、
洋画劇場などのテレビ放映をチラ見した記憶はあるけれど、
ちゃんと観るのは初めてで。

退屈なホラー映画かと思っていたら、
いやいや、おしゃれー。

オープニングから、映像・音楽・文字すべてがオシャン。

冒頭の音楽は、ちょっと前の『タモリ倶楽部』で
チューバ奏者が弾きたい曲の第2位に選ばれていなかったかい?
あれの編曲バージョン?

鏡の使い方も、
ホテルの壁紙、絨毯、家具、風呂、トイレ、
黒人コックさんちの寝室もダイニングもいちいちおしゃれ。

しかも、ホテルの洒落た内装が
物語の不気味さを倍増させているっていう。


主人公の息子が三輪車でホテルを駆け回るシーンがこれまたおしゃれ。
絨毯とフローリングを交互に走る音と
三輪車のうしろ姿がおしゃれ怖い。

90年代のドラマ『あなただけ見えない』の不気味な三輪車の少女は
これをモチーフにしてたのかなぁ? とかどうでもいいことが頭に浮かぶ。

あとラストの写真は、
大貫妙子の『メトロポリタン美術館』が浮かびます。


ちなみに、『シャイニング』はステディカム(持ち歩けて手振れしないカメラ。ハンディカムとの違いは知らん)でほぼ全編を撮影した初めての映画なんだとかで、DVDの副音声にその開発&撮影担当者(ギャレット・ブラウン)の解説が付いている。
これがまたなかなか興味深くてよいのです。

「このシーンを撮った時は疲れていたからちょっと画面が揺れているね」とか
「ステディカムは重い上に監督は何テイクも撮るので、最終的には専用の車いすを作ってそれに乗って撮った」とか
「撮影期間が長引いて、ここのシーンから別のカメラマンに変わってるけど気づかないよね」とか
「主人公のイカレた原稿は全て担当スタッフが手でタイプしてた」とかいろいろ。

とにかく、キューブリックは相当なこだわりマンで、撮影も予定期間をはるかに超えたため、おかげでステディカムを完璧に扱えるようになったと語っていた。

病的にこだわる監督と、それに応える技術屋さんがいるからこそ、映画はどんどん進歩していくのだなぁと改めて思う。


そんな『シャイニング』を観たあとに、
また『レディ・プレイヤー1』を観て
そのオマージュっぷりと技術の進化と
スピルバーグの仕事の速さに感嘆するっていう。贅沢~。


そうそう、おしゃれ狂いの『シャイニング』の中でも、
主人公の妻(ウェンディ)の装いは大注目。

もし、ウェンディがSNSをしていたら絶対フォローすると思う。
写真に映えるファッション、場所、出来事、すべてがそろっている。
(実際は撮っているヒマがない上に、着ぐるみ紳士たちは写真に写らなそう…)

1980 ウェンディ's コレクション(A/W)