見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

イマジン

2011-08-15 | 妄想
ジョンは言った「夢想しろ」と 国家も宗教もないんだと
そうすれば殺しあう名目は消えてしまうと
―THE BOOM 『いつもと違う場所で』
地獄なんてないし人類みな兄弟だと想像すれば
世界は平和さハッピーハッピーと唱える僕のことを
何夢見てんだボケとみんなは罵るけど
いつかきっと想像の世界は実現するよ(意訳)
―歌野晶午 『絶望ノート』


あれは、確か、5歳の頃。

家族そろって、『となりのトトロ』の映画を観に行きました。
同時に『火垂るの墓』も上映されていまして。
2本立てとは露知らず。


・・・なかなかの衝撃。『火垂るの墓』

お母さんは包帯グルグル巻きで、蛆虫がザワザワわいているし、
頼りの親戚のおばさんは、幼い兄妹に冷たいし、
節子ちゃんは栄養失調で背中がただれて、おはじきをなめ始めるし。。。


めちゃくちゃ怖くて、おしっこチビりそうになりました。

わたしのお母さんもああなったらどうしようどうしよう、という心配や
わたしも死んだらば、葛籠に容れられ燃やされるのだという恐怖やらで動けなかった。



『火垂るの墓』がトラウマになったからなのかはわからないが、

小さい頃は、戦争に対する漠然とした恐怖を抱えていました。
特に、飛行機の音が怖くてしょうがなかった。

恥ずかしながら、爆撃機や偵察機が飛んでいると思ってました。

B-29が来た!防空壕へ避難!
いつ仕掛けられてもおかしくないぞ。
前はこっちから殴ったから、次は・・・!


なんとなく、毎日不安だった。
もし、空襲が起きたらどこに隠れるべきかをシュミレーションしたり、
寝る前には、明日も戦争が起きないませんようにと祈ったりしていました。

そうして、
戦争勃発の恐怖がわたしの中でピークに達したある日、
それとなく親に情勢の確認をしてみたのです。

わたし 「その、戦争とか、どうかね。そろそろ起こりそうかね?」


親 「日本は戦争しません、って宣言しとるんよ~」

その言葉を聞いて、
親ののんきな意見だけでは心もとなくもありましたが、
それでも多少安心したのも確かでした。


さらに、小学校に上がり、
教科書に載っていた憲法9条を自分の目で確認したことをもって、
あの漠とした戦争への不安や恐怖から解放されます。

「どうやら本当に戦争は起きないようだ!」

こうして、
わたしは平和をここに宣言したのでありました。


しかし!

平和もつかの間。

「日本国憲法=世界の憲法」であるものだと
信じて疑わなかった残念な阿呆なわたしは、
湾岸戦争が始まったことに、驚愕しました。


戦争しないって言ったのに、戦争している!


このとき初めて知りました。

今でも世界中で戦争は続いており、
日本国は戦力を保持しない(気持ち)であり、
言葉の解釈は人それぞれ違うのだ、ということを。

(わたしは昔から世間知らずなのです)



もしもね、もしもですよ。


輪廻転生、生まれ変わりというものが事実ならば、

今、この世に生を受けている人の中には、
前世で戦争を経験した人もいることでしょう。

過去の戦争で命を落とし、そして、再び生まれて現在に至る、
そんな人も少なくないと思います。

前世での戦争経験者や戦死者が、
現世でも、また戦争をしている可能性もある。

前世の記憶は無いとはいえ。


戦争経験者が戦争をくり返しているのならば、
戦争には何かしら意義があり、戦争とは間違った行為ではないということでしょうか。

それとも、
現世で戦争をしている人は、前世で戦争を体験していないのでしょうか。

そもそも、輪廻転生というものは都市伝説なのでしょうか。

ブッダ的にはどう解釈すべきなのかしら。




この頃考えるのです。

過去の戦争、はたまたイジメ・差別問題等を
うんざりするくらい学校で学んできた理由や意味というのを。

つまり、その、

人間誰しも、危険な心をもっている。

この事実を忘れないようにするために、
くり返しくり返し教わったのだろうなぁ、とまぁ、そう思うのです。


ナチスやアパルトヘイトや
上見て暮らすな下みて暮らせ云々が悪であったことは大前提だけれど、

そういう心はわたしの中にも存在する、それを自覚しておけ、と。


周囲に何もなければ、
人は物事を冷静に考えられ、危険な心も出てこないけれど、
集団や嵐の中に入ってしまうと、人は冷静沈着でなんかいられなくなり、
正しい判断ができなくなる。

でも、

それこそ、掛け算の九九のように
日頃から人間の危うさを頭の中に叩き込んでおけば、
集団や嵐の中でも、己の過ちに気づくことができるかもしれない。

そのために、学校で、ずっっと
過去の戦争や差別の歴史について教えてもらっていたのかなぁ、と。


みなさん、ありがとうございます。

この頃めっぽう物忘れが酷くなってきていますが、
学生の頃の記憶は、おかげでまだ鮮明です。


おそらく、人間というのはですね、
異物や恐怖を取り除きたい、そんな思いを本能的に持っているのです。
防衛本能とでもいいましょうか。

そういう本能で、はじいたり、分けたり、組織したりする。

それが増大したり、ズル賢い人に利用された結果が、
イジメや差別や戦争なのでしょう。

自分の身を守ろうとした結果、
予想以上に、他人が傷つき泣いてしまいましたとさ。


人間は、放っておくととんでもない悪魔になるようです。

集団になり、役を割り振ることで罪悪感が分散し、
良心の呵責なんてのもふっとび、非道な行動もエスカレートしていく。
感覚もマヒすることでしょう。

組織の中で命令されると、普段しないことも意外とやれる。
仕事だと割り切れば、嫌なことでも案外できちゃう。

過去の事例がたんとあります。


戦争や差別の歴史を知るということは
何が誰が悪いかを検証したり、
悲しい出来事を覚えておこう祈ろう、というよりも

自分にも、同じことをくり返す可能性や危険性があることを自覚し、
過去の失敗例から、
嵐の中での正しい判断方法を考え、各自、戒めたまへ。

ってことなんだなぁ、と8月15日を迎えると思うわけです。

そしてすぐ忘れちゃう。


よい戦争もなければ、悪い平和もない。

―ベンジャミン・フランクリン


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