中欧の三大古都と云えば、ウィーン、ブダペスト、プラハで、五大古都となるとクラクフ
(東欧に分類されることが多いが)、ブラチスラヴァが入るのだろう。*1
プラハの人口は130万人で、ウィーン185万人、ブダペスト175万人と比べると、ちょっと少ない
が第二次世界大戦の戦火から逃れたため貴重な文化遺産がそのまま残されている点では、歴史の
宝庫として他を十分に凌駕していると云えるだろう。 世界でトップの人気を誇る観光スポットと
頷ける街、先ずはその歴史が始まったプラハ城に足を向けてみる。
*1:クラクフの人口は75万人、ブラチスラヴァは45万人である。
「百塔の町」と呼ばれるほど、プラハ城を中心とした西側は至る所に塔が林立し、赤茶色の瓦屋根
が何とも中欧の情緒を醸し出している。
1.プラハ城 (Prazsky hrad)
城は9世紀半ばから建設が始まり、チェコの建国の歴史において複雑で波乱に満ちたものは
あったが、ボヘミア王国や神聖ローマ皇帝の居城として始まり、現在はチェコ共和国の大統領府
が置かれ政治の中心の場になっている。 城の敷地内にはいろんな歴史的な建物があり、世界で
最も大きな複合建築の一つとして、当然ながら1992年から世界遺産に登録されている。
Jun. 11.2011
<ロケーション>
1-1. 城へ
カレル橋西端からマラー・ストラナ広場の聖ニコラス教会と“ペスト終焉記念円柱”脇を通って
登城階段を登る(王道かな?) Jun. 11 2011
城の正面フラッチャニ広場に到着、毎正午に行われる衛兵交代式 Jul. 25 2009
第二中庭にあるコールの噴水は、1686年に設置された。
背後の白い建物は1762年に建てられた聖十字架礼拝堂 (Kaple sv. Kfize)
Jun. 12 2011
1-2. 聖ヴィート大聖堂 (Katedrala sv. Vita)
当初の大聖堂はロトンダ(円形のシンプルな教会)タイプのロマネスク様式で930年に建てら
れたが、14世紀にボヘミア王国の黄金時代を築いた神聖ローマ皇帝カール4世の時代に、現在
の姿のゴシック様式で再建された。
● 大聖堂ファサード
第三中庭に入ると眼前に迫る大聖堂、幅60m 、塔の高さは96.6mである。
Jun. 12 2011
● 大聖堂南塔
● イジー広場(背後)から見た聖ヴィート大聖堂
● 大聖堂北側壁面
● 中央身廊と祭壇 ● 入口側
● 窓を飾るステンドグラス
19箇所ある側廊には聖人や王を祀っており、壁面には美しいステンドグラスが飾られている
● 聖ヴァーツラフ礼拝堂
大聖堂の中の礼拝堂で注目を集めているのが聖ヴァーツラフ礼拝堂である。
残念ながら補修中であった。
● ネポムツキー(ボヘミアの守護聖人)の墓碑
2トンもの銀を使って造られているという。
1-3. 旧王宮
南門の向かいにあり、16世紀まで王室として使われていた。
多目的使用であったヴラディスラフホール (Vladislavsky sál)
1-4. 万聖人礼拝堂 (Kostel Vsech svatych)
1-5. 聖イジー教会 (Bazilika sv. Jiri)
プラハ城に残る最も古い教会で973年に建立された。 現在のバロック様式のファサードに
改築されたのが17世紀後半であった。 Jul. 25 2009
背後の祭壇側から見た教会
三つある身廊の真ん中の祭壇部
祭壇部の丸天井
1-6. 黄金小路 (Zlata Ulicka)
1597年に出来た住居で、城に仕える召使いなどが住んでいた。 黄金の由来は住居に一角
に錬金術師たちが住むようになったことから名付けられたと云う。
2.聖ミクラーシュ教会 (Kostel sv. Mikulase) ...マラー・ストラナ地区
旧市街に同名の教会があるが別物で、丸天井と鐘楼を持ったバロック様式の最高峰と
評判高く1737年に建立された。
これにて「中・東欧を訪ねて(5)プラハ城」は、お終いです。
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