撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

中・東欧を訪ねる(4)クトナー・ホラ

2019-06-12 12:46:48 | 海外生活

 日本からの出張者や友人と共に、プラハへの旅を計画する時は、1995年に世界遺産にも登録

された「クトナー・ホラ歴史都市」をよく推奨したものであった。

凄い数の人骨が飾ってあるので、ホラという名かと思ったが、horror (恐怖)ではなく、hora

はチェコ語で「山」という意味であった。 クトナーは「採掘」という意味が語源らしいので、

銀山が発見された後に付けられた地名なのであろう。

先史よりこの地にはケルト人が住んでいたが、1142年にシトー会の修道院が今の郊外のセドレツ

という所に建てられた。 その所有する山中で銀鉱脈が発見されてからは街は急速に発展した。

1300年には王立造幣局が設立され、ここで鋳造された銀貨(プラハのグロシュ)はボヘミア国内

外に流通し、14~15世紀にかけてはプラハに次いでチェコ王国の第2の都市として繁栄した。

しかし、15世紀後半には銀が枯渇し、貨幣鋳造所、鉱山の閉鎖で街は急速に衰退し、現在は2万

人ほどの田舎町になってしまった。 そういう所って日本にも多いよねぇ~。

 

 ● 街の中心、パラッキー広場

 

<ロケーションとシティー・マップ>

1.聖母マリア大聖堂 (Chrám Nanebevzeti Pany Marie)

  1142年にシトー会の修道院がロマネスク様式で建てられたのが始まりで、1290~1320年に

 高さ87mの大聖堂が建てられたが、15世紀のフス戦争で破壊され廃墟となっていたが、1700

 ~1708年にゴシックとバロック様式の混合スタイルで再建された。

 

 

 身廊部 

  

 

 祭壇部丸天井

 

 2003年の修復時に発見された彫像たち

 

 

 1421年4月24日にフス戦争で殉職したシトー会の修道士たちの遺骨

 

2.墓地教会(納骨礼拝堂)

 1278年にセドレツの修道院長がエルサレムの聖地より、持ち帰った一握りの土をこの地に

撒いたことより、この墓地が神聖であるとの評判を呼び、国内外より埋葬を望む人が集まった。

教会が出来たのは15世紀の始めで、フス戦争やペストで亡くなった4万人もの犠牲者も埋葬

されている。

 

 

    

 

3.三位一体像と聖ヤコブ教会

 パラッキー広場にある聖母マリア柱像はペスト柱とも呼ばれ、1715年に大流行していた

ペストの撲滅を祈願して造られた。

背後にあるのが聖ヤコブ教会で、1320年代に建築が着工されたが、財政上の問題もあり、最終的

には1420年の完成であった。 見えてる塔(北)は高さ85mで、当初はバジリカタイプの南塔

も建てる計画であったが、途中で頓挫してしまった。

 

 

4.聖マリア教会 (Chrám Mayky Bozi na Nameti)

 1357年に昔の鉱山チャペルがあった所にゴシック様式で建てられた。

 

 

5.石の家 (Kamenny dum)

 1489年に後期ゴシック様式で建てられた民家で、現在は博物館になっている。

 

 

6.聖バルバラ教会 (Chrám sv. Barbory)

 前出のセドレツの聖母マリア大聖堂と共に世界遺産に登録されている教会であり、必見の

教会であったらしいが見逃してしまったので、街中で購入したカタログの写しを最後に貼付する。

 

  1380年に着工されたが市民の寄付が財源であった為、フス戦争での市民の疲弊や財源不足

 により、完成まで500年も掛かり、1905年になってしまった。 又、塔の建設も断念し、

 サーカスのテントのような屋根に変更されたという。 祭壇部の丸天井は圧巻とのこと。

 

   これにて「中・東欧を訪ねる(4)クトナー・ホラ」はお終いです。

 

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