撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ドナウ河岸歩き(7)ブラチスラヴァ

2018-09-26 06:46:12 | 海外生活

 ドナウ河が辿る約2900 km は9か国の領土を貫いているわけであるが、国境が接して川を

共有している地域や上、下流の関係する所では両者間のトラブルや紛争が数多く発生したこと

であろう。スロヴァキアとハンガリーはドナウ河流域で対岸同士で141 km を共有している。

そして両国が1992年にオランダのハーグにある国際司法裁判所で争ったダム建設に関する

興味深いドナウの歴史の場所を訪ねてみる。

 

◆ 90%工事が終わっていたスロヴァキア側のダム予定地:ガブチョコヴォ (Gabcikovo)

 

◆ 計画されていたハンガリー側ダム建設予定地のナジマロシ (Nagymaros)

 

<ロケーション>

 

<歴史>

 ドナウ河での水力発電や水量調節による度重なる洪水の防止と安全航行を目的にチェコ

スロヴァキア政府とハンガリー政府は1977年にドナウ河の開発計画を締結した。

1985年に工事は着工されたが、ハンガリーの民主化で環境破壊反対運動が激化し、ついに

ハンガリー政府は1989年に工事を中止せざるを得なくなってしまった。

貯水池に有害物質が沈殿し周辺の飲料用井戸が汚染されるという理由であった。

1992年にハンガリーは条約を一方的に破棄し、既に90%の工事を完成していたスロヴァキア

(この時チェコとは分離独立)との間に拭い去ることの出来ない禍根を残す結果となった。

この問題は国際司法裁判所で争われ、条約を一方的に破棄したハンガリーとダム建設を強行し

自然環境を破壊したスロヴァキアの両方に責任があるとして両国に罰金が命じられ結審した

のが1997年であった。

この年は小生がハンガリーで暮らし始めた年でもあり、当時は全くの無知な事件であったが、

今となっては何かドナウ河に因縁を感じてしまう。

 

1.ハンガリー側の対岸する街

 1-1. ヴィシェグラード (Visegrád)

 ナジマロシの対岸にある村で、アルパート王朝が絶えたあと14~15世紀に栄華を極めた

 アンジュー王朝期の王宮跡と要塞跡がある。 1934年に発見され現在も発掘中。

 ◆ 王宮跡 

 ハンガリーの絶頂期の古都。バルカン半島やポーランドへも領地を拡げたがハプスブルク

 支配からの独立をかけた戦争で敗北し神聖ローマ皇帝により破壊され埋もれた。

 <王宮の推定図> 

 

 ◆ 要塞跡 (Fellegvár)

 <砦の推定図>

 

 ◆ ドナウ河の中州センテンドレ島

  ドナウ河に2つの大きな中州があるがその一つ(写真の右上)

 

1-2. エステルゴム (Esztergom)

 この地域で、もう一つ忘れてならないのはハンガリー建国の街である。初代国王イシュトヴァン

 1世がキリスト教国を作るために、この地に王宮と大聖堂を築いた。

             初代国王イシュトヴァン1世像 

 スロヴァキアへの架け橋マーリア・ヴァレーリア橋 

  戦後57年間、第二次世界大戦で破壊されたまま放置されていた。(2001年に再建)

 

2.スロヴァキア側の対岸する街

 2-1. ガブチョコヴォ (Gabcikovo)

 写真の向こうはブダペスト方面のドナウ下流、遊覧船が行き交う。

  水門を開けて水位を上昇させた後、上流また下流に航行。

 

2-2. ブラチスラヴァ (Bratislava)

 ブダペストがオスマントルコ軍に屈し(1541年)、その支配から逃れるまでの間の1536~

 1783年までハンガリー王国の首都であった。ここで即位したハンガリー王は11人、女王は

 7人でハプスブルグ家のマリア・テレジアもその一人で、この城を居城にして街の発展に尽力。

 

 ◆ ブラチスラヴァ城 (Bratislavsky hrad)

 手前の銅像はモラビア王国のスヴァトプルク王(在位870~894年)の像。モラビア王国は

 9~10世紀初頭までの200年間この地を支配した(スラブ人の王国であった)

 

 ◆ 聖マルティン大聖堂 (Dóm sv. Martina)

 14世紀初期にロマネスク様式で建て始められ、その後ゴシック、バロック様式を混ぜ

 200年の歳月をかけて完成。 この教会でハンガリー王の戴冠式が取り行われた。

   塔の高さは85m

 

 ◆ 街の中心フラヴネー (Hlavne) 広場

 左からイエズス会教会、旧市庁舎(正面)、日本大使館。 真ん中はロランド噴水(1572年)

 

 ◆ フランシスコ教会 (Frantiskánske nám)

 1297年にハンガリーのアンドラーシ3世(1290~1301年在位)によって奉献された。

 街で最も古い教会で聖マルティン大聖堂が出来るまでは、その代役を果たしていた。

  

  

 

 ◆ ミハエル門 (Michaiaka brana)

 旧市街地には4つの城門があるが、唯一現存する門であり、現在の高さは18世紀の改築で。

   高さ51m

 

 ◆ サルヴァトーレ薬局(旧市街には古い建物やユニークな建造物が多い)

  

 

 ◆ SNP 橋

 ドナウ河に掛かる近代的な橋で車道の下に歩道がある二重構造。 

 

 対岸側には展望タワー(UFOの塔と呼ばれている)、ドナウ河は左に流れハンガリーを目指す。

   

 

    これにて「ドナウ河岸歩き(7)ブラチスラヴァ」は、お終いです。

 

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