藤田五郎警部補の西南戦争についての講演を行います。
日時等については
“講演「藤田五郎警部補の西南戦争」の告知①”をご覧ください。
藤田五郎の西南戦争に関してはここ二年ほど調べてきました。
明治初期の警視官の中で最も一般的に人気が高いのが藤田五郎だと思います。
人気の高い幕末明治人になると、現在でも命日前後に供養祭が開催されることがありますが、私の知る限り、明治初期の警視官で供養祭が開催されているのは、佐川官兵衛と藤田五郎(斎藤一)の二人のみです。
川路利良の命日である十月十三日前後にも東京都千代田区北の丸公園にある弥生慰霊堂で慰霊祭が開催されていますが、これは川路個人ではなく警視庁及び東京消防庁の殉職者全員の慰霊行事であり、関係者しか参列できない行事です。
佐川の供養祭である佐川官兵衛碑前祭は熊本県阿蘇郡南阿蘇村で開催され、藤田の供養祭である斎藤一忌は福島県会津若松市で開催されています。
特に斎藤一忌は大規模で、例年百人以上、多い年だと二百人ほどの方が参加しているといいます。
藤田は明治初期の警視官に限定せず幕末明治人の中でも人気の高い人物だと思います。
しかし藤田の人気を支えるのは警視官としての活躍ではなく、新選組隊士としての活躍によるものだと思います。
その証拠に、藤田について書かれた書籍を見ても紙面のほとんどを新選組時代に割いており、警視官時代についてはわずかに触れられている程度です。
明治初期の警視庁を調査している私としては、藤田の警視官時代にこそ興味をそそられ、調べてみたいと思いました。
今回の講演では、藤田の警視官時代の中から西南戦争出征にスポットを当てています。
ビジュアル的にわかりやすくしたいと思い、漫画家の桝田道也さんにイラストを描いていただきました。
日本近代史研究家の鈴木徳臣さんからは、藤田が所属した豊後口警視徴募隊や共に戦った鎮台や敵として戦った薩軍の史料をたくさんご提供いただきました。
戦跡研究家の高橋信武さんには、藤田が戦った竹田や三河内の戦場を案内していただきました。
皆さんのお陰様で知ることができた藤田の西南戦争での行動を、紹介したいと思います。
※イラストは藤田警部補が凱旋の際に乗船した愛宕丸