「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      沖縄”強制自決”と戦陣訓  

2007-06-21 05:17:23 | Weblog
6月23日は「沖縄慰霊の日」である。昭和20年のこの日、組織的な
戦争が終り、事実上沖縄での戦争が終結した。この戦争で実に23万
人の人が亡くなった。僕はこの戦争に学徒として参加した「鉄血隊」
や「ひめゆり部隊」と同世代で、もし戦火が本土まで及べば、彼らと
同じ運命にあった。

「沖縄慰霊の日」を前に、旧日本軍による住民”自決強制”を教科書
から削除修正したのは誤りだ。これを日本政府に撤回させろ、という
運動が沖縄で起きている。これをリードしているのは、県内の一部の
大學教授たちで、彼らの住民への聞き取り調査から軍の関与があっ
たのは間違いないと主張している。しかし、彼らは全員戦争を知らな
い世代である。あの当時の国民の戦争心理を理解していない。

”生きて虜囚の辱めを受けるよりは”という昭和16年の東條首相が作
成示達した戦陣訓は、多分今の人たちには理解できない、強い国民へ
の呪縛になっていた。この呪縛でサイパン、グアム、硫黄島などでも
数万の兵士に混じって多くの民間人が自決している。僕らも学校の教
練で配属将校から、これを叩き込まれた。

僕は戦争を賛歌したり、軍を弁護するつもりはまったくない。しかし、
変な固まった考えで戦争をみることは危険である。集団自決に軍の
命令があったとする学者の一人は、10数年前、大東亜戦争緒戦のマ
レー半島のたんなる共産匪掃討戦を日本軍の華僑大虐殺と読み違え
ている。戦争を知らない世代が戦争を"読む”ときには、自分の特定
の思想に呪縛されることは危険である。


    ”老齢弁護士”に「紅葉マーク」を!

2007-06-20 06:02:23 | Weblog
こんなに労害だとは思わなかった。朝鮮総連の例の騒ぎの一方の
主人公、元公安調査庁長官氏(73)は、今回の”仮装売買”をふり
返って「騙されたとは思いたくないが、のせられたのかと思う”と語
っていた。冗談もほどほどにして貰いたい。ある意味では国運にも
関係してきそうな問題について、かっての政府高官が”のせられた”
とは何事だ。 

もう一方の朝鮮総連の代理人、元日本弁護史会連合会会長氏(84)
も”ワキガ甘かった”と、変なことをのノタマワッテおられる。海千山千
の超ベテランが”ワキが甘く”てとは、開いた口がふさがらない。

平成17年、小泉内閣のとき、自民党は比例代表区では73歳以上の立
候補を禁じた。中曽根元総理は”何事か”と強く抗議したが、小泉氏は
強引に押しきった。結果はどうだっかは皆さんの判断だが、僕はよかっ
たと思う。高齢者は高齢者として社会に必要だが、一線の政治家として
は如何なものかー。

今年の3月、法律の改正で75歳以上の運転者は「紅葉マーク」の標識を
つけずに運転すると罰せられることになった。身体機能の低下で高齢者
の運転はたしかに危険である。僕など自転車の運転でもそう感じる。

弁護士さんでも高齢者には”10年免許切替”とか「青葉マーク」の交付を検
討してみてはどうだろうかー。車と違って、時には国の将来を決める判断力
が要求される仕事だ。エタイのしれない人物に”のせられ”たり”ワキが甘
かったりされては困ってしまう。

     日本の新聞ではアジアが解からない。

2007-06-19 05:43:18 | Weblog
日本の新聞ではアジアが解からない。数日前のインドネシアの邦字紙
「じゃかるた新聞」は同国内の鳥インフルエンザの患者数が100人に達
した、と報じていた。そして、その致死率は80%、つまり80人が死亡した
というニュースである。ところが、わが家の新聞は、これについて一行
も報道せず、ベトナムで1年8か月ぶりに死亡患者が発生した、と小さく
報道していた。

インドネシアの鳥インフルエンザは今年になってからでも25人の患者が
出て日本の外務省でも「海外安全情報」を出し警告しているが、ベトナム
の累計発生数は43人にすぎない。両国への渡航者数を比べた場合インド
ネシアの方が断然多い。発生が多すぎて今さらインドネシアの鳥インフル
エンザはニュースにならないということなのかもしれない。

この例に限らず、日本の新聞のアジア報道は一般的に量が少なく、アンバ
ランスだ。突如としてタイのクーデーターのニュースが飛び出したり、アフガ
二スタンの自爆テロの話が出てくる。世界的な関心のスーダンの紛争など
日本の新聞だけでは理解できない。

幸い、今はインターネットで世界どこのニュースでも簡単にアクセスできる。し
かもアジアの主要都市には、邦字新聞が出ていて、その国の出来事を詳しく
フォローしてくれている。シンガポールにいてフィリピンのニュースをカバーし
ているような取材体制ではアジアは理解できない。新聞の危機はたしかに
来ている。


      近所迷惑です 元長官殿

2007-06-18 05:19:59 | Weblog
20年来の友人の主宰する団体が昨日”朝鮮総連”疑惑の元公安調査庁長
官宅へ抗議にきた。真夏を思わせる暑いなか、手弁当の抗議である。この
種の抗議というと、国防色の街宣車を連想するが、統率のとれた一般市民の
怒りの表明である。この団体は10年以上前から”拉致問題"解決に取り組ん
でいる。

元長官宅周辺住民は、事件が表面化して以来困っている。迷惑なのだ。駅前
のバス通りには、警備の車がいつも停まって交通渋滞を起こす。時々、低空を
ヘリコプターが飛ぶ。街宣車の右翼団体がボリュームいっぱいにあげて抗議に
来る。友人の団体の抗議もたしかにマイク使用でうるさい。

僕はこの町に60年以上住んでいるが、こんな騒ぎは初めてである。戦争中の
昭和20年5月24日、米軍のB-29爆撃機が、焼夷弾を落として以来である。

公安調査庁といえば、国の治安を担う役所の一つである。その役所のかって
のトップの”理不尽”の言動は国民の怒りを呼ぶのは当然だ。過去の輝かしい
経歴の持ち主が、なぜ伝えられるような挙に出たのかー。たんに”魔”がさした
だけでは片ずけられない。

歴代の社会保険庁長官の怠慢が、年金制度の根幹をゆるがらせ、国民の怒り
をかっているが、国の司法体制に不信感を抱かせる元長官の言動はけっして
許せない。検察の長だった人が大勢の警察官に警備されて、市民団体の抗議
にも顔を出せないのは、自らに悖る行動があったのであろう。




         着物姿と愛国心

2007-06-17 05:25:05 | Weblog
朝鮮総連の代理人、元日本弁護士連合会(日弁連)会長、土屋公献身氏
(84)が着物で記者団に対応している姿をテレビの画面で見た。いまどき
従軍世代といえども家庭で着物姿の人がいるのだろうかー。僕の偏見か
も知れないが、同氏の場合、その姿は、なんとなくしらじらしく映った。

平成12年8月13日、当時の小泉総理が紋付き袴で靖国神社を参拝した。
小泉総理の紋付き袴は”サマ”になっていたが、僕はなんとなく”意図”を
感じとり反対であった。今回の土屋氏の場合もそうだ。彼の着物姿になにか
彼の”演出”心を見て取った。

着物はたしかに日本美であり”日本の心”を感じる。僕も30年ほど前までは
着用していた。紋付き袴で後輩の結婚式の仲人をしたこともあった。しかし
今は新年、結婚式にも着る機会がなくなった。これといった理由はないが着
付けが面倒で、付属品が高いぐらいなことだ。

土屋氏の日頃の言動は着物姿に似合わない。いくら”商売”といっても、彼
の総連弁護、ピョンヤン傾斜は、チョゴリの方が似合う。彼の「従軍慰安婦」
”日の丸君が代”発言は、着物姿でやって貰いたくない。

最近、神風鉢巻、軍服姿の街宣車を見かけなくなった。軍歌さえ禁じている団
体もある。"形”から入るのは、もう流行しなくなった。どうやら今回の騒ぎも誰
かがカネ欲しさに仕組んだ"茶番劇”のようである。







      生活習慣病克服へ再トライ

2007-06-16 04:55:00 | Weblog
東京の区主催の「40歳以上健康診査」を先日、老夫婦仲よく受けに
行った。”似た者夫婦”というが、幸か不幸か診査結果は違った。毎
日、同じ食事をしているが、僕と老妻とは生活習慣が異なる。僕は家
でゴロゴロしている日が多く、晩酌しているが、彼女は連日のように
習い事や老人会の仕事で出歩いている。

解かっていても実行できないのが、生活習慣病の予防だ。5年前、僕
はこの診査で糖尿病が発見された。当時の記録によると、僕の体重は
84㌔、空腹時糖尿値473、グルコース10・4.医師の勧告で早速、食品交
換表を買い、食事制限に入った。3か月あと体重は10㌔減、糖尿値、グ
ルコース値も正常に戻った。この間、毎日の食材をノートに書いた。

ところがである。体調が元に戻ったとたん止めていた晩酌を始めた。あっ
という間に体重は増えリバウンドしてしまった。しかし、なぜか糖尿値は
正常、それをいいことに”不節制”の生活を続けていた。そのバツの結果
だが、考えると今回は足の半月盤の痛みで散歩量が減ったのも原因して
いるようでもある。

来週、診査の最終結果がでるが、それを待たず昨日から5年前と同じ食事
制限に入った。晩酌なしの夕食のなんと味気のないこと。また、一日1,200㌍
を目標に禅僧のような生活に入った。誘惑に負けず、出来るだけ"悪魔”の
潜むデパ地下には立ちよらぬことだ。人間長く生きるにはいろいろ大変なこ
とである。

      元公安調査庁長官の祖国愛

2007-06-15 04:58:12 | Weblog
昨夕、わが家のある静かな住宅街を街宣車がボリューム一杯にして
通っていった。朝鮮総連の土地・住居譲渡をめぐる取引で家宅捜索
を受けた元公安調査庁長官宅への抗議デモだ。

この取引の受け手が元公安調査庁長官と知り、誰もが”まさか”"なん
で””そんな馬鹿な”と思った。拉致を調査する側の役所の長だった人
間が、いくら退職したといえ、拉致捜査に非協力の総連へ救いの手を
差し伸べる挙に出るとは、とても常識では考えられないからだ。

まだ真相は判らないが、元長官や総連の代理人で、やはり特捜部から
任意の事情調査を受けた元日弁連会長の発言などから、背景らしきも
のが浮かんできた。二人とも多少ニューアンスは違うが、総連を北朝鮮
の外交機関的なものとみなし、これが解体されたら在日朝鮮人が困ると
いう理由からのようである。元長官は”終戦後、中国から引揚げてきた
体験から(在日)の祖国を思う気持ちはよく解る”と発言している。
しかし、同じように北朝鮮に拉致されたまま消息のわからない人たちの
祖国を思う気持はどうなのかー。理解しているのかー。

二人は司法修習生同期というが、気になるのは元日弁連会長の日頃の
言動だ。彼は「日の丸・君が代」の”強制”に反対している。「従軍慰安
婦」問題など戦時中の問題について偏った自虐発言が多い。総連の代理
人なのもその延長線上のように僕にはみえる。

国をあげて拉致問題の解決に取り組んでいるのに、二人の取った措置は
僕には解らない。元長官への抗議行動は、手段は別としてじゅうぶん理
解出来る。


     「麦秋」の頃の想い出

2007-06-14 05:54:15 | Weblog
「麦秋」といっても今の都会の人間には季節の実感がない。かって
日本の農業が米と麦の二毛作で支えられていた頃、梅雨の終わり
は「麦秋」-麦は黄金色に実り”秋”を思わせるシーズンだった。東
京生れの僕も一生に一回だけ、この「麦秋」を体験した。

昭和20年6月の「麦秋」である。東京の4,5月の空襲で動員先の
工場と学校を焼け出された僕らは「利根運河」の拡張工事に家を離
れて従事していた、敵の本土上陸を前に”撃ちてしやまん”-僕ら中
学3年生は来る日も来る日もモッコを担いでいた。食糧がなく空腹の
毎日だった。

日曜のある日、僕らは付近の農家へ援農作業に出かけた。収穫を終
えたばかりの”麦打ち”である。現在は多分機械作業だろうが、当時
は手作業で、莚の上の麦を木製の穀干をふるって脱穀するのだが、素
人には難しく、足手まといになるだけであった。

モッコ担ぎは重労働だったが、与えられる食事は貧しく、モウソウ竹の
食器に盛り切りいっぱいのご飯とニラの味噌汁、ラッキョウなどのお菜
が少々だった。空腹に耐えかね畑から人参を盗んだり、味噌工場から
乾燥された無味の”味噌玉”を盗んだりした。甘味恋しく”アディオス”
という糖衣の胃腸薬を買い、服用したら黒い便が出て驚いた悲しい想い
出もある。

日本産の麦が見直され、多少生産が増えてきたようだが、自給率となると
微々たるものだ。いったん外国からの輸入がストップすると、僕らが戦争
で味わった食糧難になる。相撲大会の賞品のスルメを野良猫に食べられて
しまった口惜しさが今も忘れられない「麦秋」の頃だ。

       残留元日本兵の死と日イ関係

2007-06-13 05:13:40 | Weblog
ジャカルタの邦字紙「じゃかるた新聞」(6月12日)によると、残留元日本兵
の一人、藤山秀雄さん(87)が亡くなった。藤山さんは佐賀県出身の元陸軍
航空隊軍曹で、戦後日本に帰らず、西部ジャワでインドネシア独立戦争に
参加した。独立後はインドネシア国籍を取得、フセンという現地名でジャカル
タで自動車整備工場を経営していた。藤山さんの死で、元残留日本兵の数
は僅か数名となった。

41年前、僕がジャカルタに勤務していた当時、元日本兵は百数十人いた。イ
ンドネシアへの賠償引当の貿易で、彼らは日本の商社に雇用され活躍してい
た。これが象徴するように、日イ関係は以来スハルト(第2代大統領)失脚ごろ
まで貿易通商を中心に黄金時代であった。その背後には彼らの独立戦争時の
活躍、またスハルトをはじめとする軍政時の義勇軍幹部の”謝恩”の気持もあ
ったと思う。

時代は移り、両国共に日本軍政当時を知る世代がいなくなった。日本ではイン
ドネシアに特別な”愛情”を持っていた世代が去り、逆にインドネシアでは戦後
の反日教育の結果、事実に反する反日史を書き出版した大使まで登場した。
日本の善意の援助にケチをつけ、中国に”色目”を使っている副大統領もいる。

今年第一四半期の日本からの投資額は世界で5番目の落ちた。在留邦人の数
も減少している。他国に比べて投資環境が悪く汚職がつきまとう国では、愛情
をもたなくなった今の日本人には魅力のない国である。





      介護つかれと”堪え(こらえ)性”

2007-06-12 05:24:27 | Weblog
介護つかれから東京では56歳の妻が56歳の夫を殺害、大阪守口市では
59歳の夫が58歳の妻を殺したうえ、マンション屋上の放置された冷蔵庫
の中に押し込め遺棄していた。なんとも痛ましい事件である。”美しい国”
での事件ではない。”福祉””介護”といった言葉はどこへいってしまったの
だろうか。

二つの事件には、かなりの共通点がある。第一は寝たきりの病人の配偶
者を、僅か3か月ぐらいの看護で殺していること。東京とか大阪の大都会で
の事件。年齢が老齢といってもまだ若い50代の犯罪ーなどなど。推理でも
のを言ってはてはいけないが、もう少し”堪え性”があってもよかったのでは
ないだろうか。

”堪え性”という言葉があるほど、日本人は昔から、ものに堪える性格の持
主だった。国が貧しく、ものがないので自然我慢強くならざるをえなかった。
とくに戦争中は何事も戦争に勝つまではーと我慢を強制された。戦後ものが
豊かになってから”堪え性”は失われつつある。変なたとえだが、昔は店屋
の前で、ものが欲しくて泣き叫ぶ子供がいたが、今はあまりこの風景を見な
くなった。

介護生活はあまり頑張ってはいけないという。看護する側の精神的負担になるか
らだという。”堪え性”とは相反するが、その兼ね合いが難しい。コムソン事件は
わが国の福祉行政の貧しさを象徴する事件である。そして、この二つの悲劇は、
その貧しさの実例である。厚労省の現実に即した施策を望みたい。