「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

80年前の大型連休の頃

2018-04-27 05:21:15 | 2012・1・1
南北(朝鮮)の首脳会談が27日、「北」の非核化を主議題に板門店で開かれる。「北」はすでに核実験とミサイル発射中止を表明しており、明日から始まるわが国の大型連休も昨年までと違ってアラートが鳴り響くこともなく平穏裏に暮らせそうだ。もともとこの季節の頃は、風薫る新緑の候で、1年中でも最高の季節だが、大型連休化したのは,戦後のことだ。

戦前、このころ庶民はどんな暮らしをしていたのか。80年前の昭和13年(1938年)の亡父の残した日記帳を読み直してみた。当時、4月末から5月初めのこの季節には、国の祝日は29日の天長節(昭和天皇誕生日)だけで、5日は端午の節句ではあったが休日ではなかった。▽4月29日(金)晴 佳き天長節である。6時半起床、9時半出勤、無事5時帰り入浴寝る。この日、わが海軍荒鷲50機、南京を襲撃、敵80余機と闘い50余機を撃墜す(天長節は休日だったが、当時父は新聞社勤務で出勤していた)

昭和12年7月7日に始まった日支事変は戦火は拡大し12月までに南京は落城していたが、局地的な空中戦はまだあったみたいだ。地上戦は徐州作戦へと移り、徐州は13年5月に日に陥落している。80年前の今ごろは”徐州、徐州と人馬が進む 徐州居よいか住みよいか しゃれた文句に振り返りや お国なまりのおけさ節 髭がほほえむ麦畑”(「麦と兵隊」 作詞藤田まこと 作曲大村能章)の最中であった。

今年の大型連休、80老はただ来し方を振り返り平穏に無為に暮らすだけである。戦争より平和のほうがよい。