「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ゴールドプリンセス

2018-04-16 10:53:38 | 2012・1・1

花好きな老妻が「ゴールドプリンス」という”高貴”な響きを持つ花を買ってきた。あまり名前を聞かないが、シクラメンの変種ではないだろうか。
”真綿色したシクラメンのかほりほど清しいものはない”。布施明が歌って1975年にリリーズされた。もう33年も前のことだ。当時50歳代だった僕にはとても新鮮な感じがした。今でも同じだが、すでに30年前も前の、懐メロである。今の若い人達には、どう聞こえるのだろうか。歳月の流れは早い。

クーパン和蘭軍事法廷(BC級裁判)の声なき声

2018-04-16 06:52:12 | 2012・1・1
スラウェシ研究会の先輩A氏からお貸しした本のお礼として「雲騰るる海」という元海軍軍医、佐藤衛氏が書かれた本をわざわざコピー装丁されて贈っていただいた。先日の関西の友人といい、研究者のはしくれにとってありがたいことだ。佐藤軍医のこの本は、佐藤氏が海軍軍医学校を卒業、中部南東太平洋各地を転戦した後、セレベス島(マカッサル)西チモール(クーパン)に軍医として勤務したときの記録である。

戦後、オランダは、バタビア(ジャカルタ)など旧蘭印地区12か所に軍事法廷を置き、448件1038人を裁判にかけている(死刑236人)。クーパンもその一つで、21件、24人が裁かれ6名の方が処刑されている。加賀百万石の前田家の分家の嫡子、前田利貴海軍大尉もその一人である。本家の前田家では利為将軍(大将)が戦争緒戦時、英領ボルネオ.ラブアン島で飛行機事故で戦死されており二人の戦争犠牲者が出ているわけだ。

クーパン法廷については死刑から減刑された、山口亘利氏の著書「南海の死刑囚房」(図書刊行会 昭和57年)に詳しいが、和蘭裁判は報復残酷きわまるものであった。犬や猫の真似をさせて、その鳴き声を真似させたりさせた。ポンチアナ刑務所では一晩中,鰐の鳴き声をさせられた例もある。

恥をさらすが、旧著「こだわりのインドネシア30年」(三省堂 1996年)の中で、僕は戦後昭和22年、インドネシア独立軍に加わり、クーパン法廷で二人が処刑されたと書いたが、調べると戦犯記録にはない。疑問に思っていたが、今回先輩から頂いた佐藤軍医の本によれば、死刑囚が脱獄して和蘭兵舎を襲撃した記述がある。それが混同していたようだ。70年前の出来事である。先日、小ブログは、矢野兼三氏の「スマトラ獄中記」を紹介したが、海外のBC級裁判で死刑が執行されたの70年前だる。戦争犠牲者の声なき声かも知れない。