先日、半世紀ほど前に勤めていた郡山の民放のOB会に出席、最初に感じたのは若い会員が増えたことだ。当時の新入社員が定年を終えて入会してきたが、往時の想い出があるせいか皆まだ若くて元気だ。神奈川県の大和市が”60,70歳代は年寄りではない”宣言をしたそうだが、人生百歳時代、なるほどと実感した。
僕は現在87歳だが、僕が60,70歳代だった年寄りの頃はどうだったか。20年前、67歳の時代の日記帳を調べてみた。僕は65歳で仕事を辞めたが、まだ臨時的だが、九州まで泊りがけで1か月の長期出張の仕事をしていた。インドネシアへも10日間旅行し、友人と四国、関西へ観光旅行を楽しんでいた。日常生活を見ると、早朝のラジオ体操に毎日参加、万歩計をさげて一日5000歩は歩いていた。40歳代後半から高血圧で降圧剤を飲んではいたが、それ以外は元気で体重は87キロあった。(現在は80キロ)
僕が、自分が年寄りになったと感じるようにたのは5年前,82歳の時、左ひざの痛みから人工関節を入れてからだ。その年は4回目の膀胱がんで入院、患部の摘出手術もしている。さらに84歳、85歳時に2年続けて大腸がんの腹腔、開腹手術をした。もともと体力があるので、これだけの手術に耐えられたのであろうが、さすがに最近は自分は老人だと自覚し、周囲も認めてくれるようになった。
ほぼ同年齢の作家、五木寛之さんが、人生百歳時代、下り坂人生を楽しむ方法として、”60代はリセット、70代は下り坂の丘を”を楽しむ、80代しがらみを捨て自由に、90代無尽蔵の記憶を楽しむ”と本に書かれているが、同感だ。
僕は現在87歳だが、僕が60,70歳代だった年寄りの頃はどうだったか。20年前、67歳の時代の日記帳を調べてみた。僕は65歳で仕事を辞めたが、まだ臨時的だが、九州まで泊りがけで1か月の長期出張の仕事をしていた。インドネシアへも10日間旅行し、友人と四国、関西へ観光旅行を楽しんでいた。日常生活を見ると、早朝のラジオ体操に毎日参加、万歩計をさげて一日5000歩は歩いていた。40歳代後半から高血圧で降圧剤を飲んではいたが、それ以外は元気で体重は87キロあった。(現在は80キロ)
僕が、自分が年寄りになったと感じるようにたのは5年前,82歳の時、左ひざの痛みから人工関節を入れてからだ。その年は4回目の膀胱がんで入院、患部の摘出手術もしている。さらに84歳、85歳時に2年続けて大腸がんの腹腔、開腹手術をした。もともと体力があるので、これだけの手術に耐えられたのであろうが、さすがに最近は自分は老人だと自覚し、周囲も認めてくれるようになった。
ほぼ同年齢の作家、五木寛之さんが、人生百歳時代、下り坂人生を楽しむ方法として、”60代はリセット、70代は下り坂の丘を”を楽しむ、80代しがらみを捨て自由に、90代無尽蔵の記憶を楽しむ”と本に書かれているが、同感だ。