「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和20年5月 躑躅(つつじ)の記憶

2016-05-10 05:43:21 | 2012・1・1

自宅近くの目黒通りに面した歩道脇の躑躅(つつじ)の花が満開だ(写真)。毎日、足の訓練を兼ねて駅前のスーパーまで買物へ行く途中、歩道の鉄柵に腰を掛けて一服(死語に近くなってしまったが)して、この躑躅を眺めることにしている。躑躅には戦争中の苦い思い出はあるがー。

敗戦の年、昭和20年5月は異常気象であった。亡父の残した日記によると、”初夏近いというのにこの寒さ”(11日)”気温上がらず、この季節なのにまだ冬シャツ、綿入れ”(13日)とある。中学3年だった僕は、動員先の軍需工場が4月15日の京浜空襲で焼け、”動員浪人”として学校近くの疎開建物の取り壊しに従事していたが、雨の日が多く、家でブラブラしている日が多かった。

そんな日々の中で、東京の山の手大空襲があった。23日深夜、わが家の近くにも焼夷弾が雨のように投下され、燃えた破片の一つが家の裏の崖にも落ちてきた。父母と一緒に火叩きに水をつけ、懸命に消したことが鮮明な記憶にある。今思えば、崖には躑躅が植えられていたはずなのだが、僕の記憶には全くない。71年経って、焼夷弾が落ちた躑躅畑は、コンクリートの塀に変容し,躑躅の花は一本もない。