「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

(注釈)が必用になった「背くらべ」と「鯉登り」

2016-05-05 05:17:08 | 2012・1・1
孫まで成長して周囲に子供がいなくなったためなのだろうか、今の子供たちが将来大人になった時、想い出として「こどもの日」が残るのかどうか疑問に思うことがある。戦前、「こどもの日」が男の子の「端午の節句」だった時、東京ではは3月3日の女の子の「桃の節句」と同じように、鍾馗(しょうき)様などの勇ましい武家人形を雛壇に飾る家が多かったように思うが、今はどうなのだろうか、あまり聞いたことがない。同じような風習が童謡「鯉登り」や「背比くらべ」にも歌われているが、姿を消しつつあったたり、子供には意味が解らなくなり、(注釈)が必用になってきた。

♯ 「背くらべ」(作詞海野厚 作曲中山晋平 大正12年)
「柱の傷はおととしの5月5日の背くらべ ちまき食べ食べにいさんが計ってくれあた背の丈
昨日くらべりゃ何のこと 羽織の紐(ひも)の丈」
♯ 「鯉登り」(小学校唱歌 作曲弘田龍太郎 大正13年)
「甍(いらか)の波と雲の波 重なる雲の中空に 橘(たちばな)かおる朝風に高く泳げや鯉登り」

昭和30年代、僕は東京の木造平屋建ての家に住んでいたが、床の間もあり柱もあって、5月5日に子供の背丈を計り傷をつけた記憶がある。が、今の家には柱もないし、畳の間は絨毯がかぶせられている。羽織の紐といって普段着物を着たことがないし、その丈が何センチあるのか80老の僕でさえ知らない(男性の大人で平均25.5センチ)。甍といっても都会では瓦家のが少なくなり、とても波状態ではない。橘の木を見たことさえない。

東京タワーの見える地に使わなくなった鯉のぼりを集めた名所が登場した。こんな名所でも作らない限り、鯉登りは将来消えて行くかもしれない。こういった季節の行事は年々変わっていくのは当たり前だが、年寄りには寂しい気持ちもする。