今日1月15日は「小正月」。忘れていたが、今朝珍しく老妻が小豆粥をつくってくれ昔の習慣を想い出した。母親がまだ健在だった昭和40年代初めまではわが家でも毎年この日には小豆粥をつくり祝ったものだったが、僕の北海道への転勤などでいつかやめてしまっていた。
小豆粥というと、どうしても戦前、戦争がまだ激しくなる前の昭和10年代初め、僕の少年時代を想いだす。あの当時は東京の何処の家でも7日の七草粥と15日の小豆粥はつくったものだった。僕は七草粥はあまり好きではなかったが、小豆粥は大好きで、砂糖を何杯も小粥の上にかけて母親から大目玉をくらった。
老妻には怒られるが、今朝の小豆粥は”母親の味”はしなかった。僕の病気を心配して砂糖はほんのちょっぴりだけ。これでは昔、少年時代食べた小豆粥ではない。しかし、老妻は砂糖のかわりに蕗のとうの味噌をそえてくれた。庭の片隅に芽を出したばかりの蕗のとうである。
今年は毎日冬らしい寒い日が続く。テレビをみていると、北国ではいつになく大雪のようである。僕は10年ちかく北海道で暮した体験から北国の冬のきびしさはよくわかる。でも東京ではもう蕗のとうが芽をだしてきた。冬きたりなば春ちかしである。
小豆粥というと、どうしても戦前、戦争がまだ激しくなる前の昭和10年代初め、僕の少年時代を想いだす。あの当時は東京の何処の家でも7日の七草粥と15日の小豆粥はつくったものだった。僕は七草粥はあまり好きではなかったが、小豆粥は大好きで、砂糖を何杯も小粥の上にかけて母親から大目玉をくらった。
老妻には怒られるが、今朝の小豆粥は”母親の味”はしなかった。僕の病気を心配して砂糖はほんのちょっぴりだけ。これでは昔、少年時代食べた小豆粥ではない。しかし、老妻は砂糖のかわりに蕗のとうの味噌をそえてくれた。庭の片隅に芽を出したばかりの蕗のとうである。
今年は毎日冬らしい寒い日が続く。テレビをみていると、北国ではいつになく大雪のようである。僕は10年ちかく北海道で暮した体験から北国の冬のきびしさはよくわかる。でも東京ではもう蕗のとうが芽をだしてきた。冬きたりなば春ちかしである。