Xのようにも、Yのようにも見え、読みたいように読ませるかのように見えても、実は読ませたいように見せる、手の込んだ記事の書き方があります。
某新聞のデジタル版にあったその事例です。
【野党は、加藤氏が国会で都合の悪い過労死を伏せた上で裁量労働制の乱用を取り締まった例としてこの特別指導に触れたのではとみている。さらに、労災認定の報告を受けていれば答弁内容が変わっていた可能性もあるとして、「厚労省が国民をだましていた」と批判を強めている。今後も集中審議を求めていく構えだ。】
1. 誰か一人の発言を【野党は】と書き、野党全体がそう見ているように読ませる。
2. 【都合の悪い過労死】と書いて、都合のよい過労死という別のものがあるかのように読ませる。
3. 【触れたのではとみている】と書いて、みているという断定が、触れたのだとも、触れたのではないともどちらでも読み換えられるようにしている。
4. 【可能性】というごまかし用語の代表のようなことばを使い、それにさらに【もある】を加えて、そのことに該当するかしないかの推定範囲を無限に広げて反論に備えている。
5. 【集中審議を求めていく構え】で、何を追究するのかを言わずに、わいわい騒ぎたてることの前宣伝を手伝っている。
答えようのない愚問に「都合のよい」回答が得られなければ、かくした、だましたと言い続け、問題の本質をどうみているかには何も触れないこの種のやり取りを記事に仕立てれば、紙面の隙間を埋めることだけは簡単にできます。
とりあげたことの関係者には必ず悪者がいるという印象を読む人に与え、読者を煙に巻きながら不信をあおりたてる効果しかこういう記事にはありません。
読んだあとには、空虚感以外に何も残らないのです。