文書の保存は、人類が絶滅してもなお残しておきたいものと、期間を決めてその時期までは保管しておくものとで扱い方が異なります。
決められた保存期間を過ぎたものは、処分しきれずに残っていたとしても、ゴミと同様で、「ない」ものとみるのが自然の扱い方です。
国防上の組織活動を報告した文書で保存期限を過ぎたものを、どこかから見つけ出してきて、「あるではないか」と言い張るのは、常人のすることではありません。
社会活動上そういう行為があったとすれば、脳に異常をきたしている病人のすることと見ておかなければならないでしょう。
すでにゴミになっているはずの文書が「あるか」と問われ、「ない」と当たり前の回答をしたことを、「情報共有の杜撰さ」のあらわれと責めたてるあほな報道も見られます。
「ない」はずのものを「ない」とするのは、情報共有の観点からすれば、杜撰さどころか厳密さのあらわれと言ってもよいでしょう。
なぜならば、国防上の組織活動にかかわる文書は、公開されるものではないので、このとおり「ある」と見せ合うこと自体が情報共有に必要な信頼関係から外れる行為であるからです。
いちばんの問題は、常人でない者が、国防上の組織に潜り込んでいて、見つけ出したゴミを情報らしく仕立て、それを漏らして喜んでいることにあります。