『復元』創刊号から、「別席教話の古記録」を、昔書換えてあったので、数回に分けて投稿しておきます。
これは、別席のお話をメモしたもののようであります。
完全な物ではありませんが、その時のお話の様子なりを身近に感じる事が出来ると思います。
先ずは、諸井慶徳先生の言葉からとなります。
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別席教話の古記録
諸井慶徳
『復元』創刊号p16~31
別席の創められたのは明治21年8月6日の刻限御はなしを転機としてであることは略々明らかであるが(1)、これが更に制度らしくなって来たのは明治21年12月25日の「御本席身上の伺」に於けるおさしづによるものであり、然〔しか〕も現行の如く、九度の別席を運んでおさづけを頂くようになったのは、翌明治22年3月21日のおさしづに続いて同年3月26日の「取次中当番を定める事の願」をした後、会議の結果決定したものである(2)。
ところで、その別席における教話は何時頃から一定されたものであろうか。これも既に知られている如く、明治31年5月12日夜「昨日辻留菊身上願ひより夜ぶかといふ御指図に付願」に引続く「日々のあたへ配与方の願」に於ける刻限の結果であると思われる(3)。
これらの事柄については、既に考証せられているのでここでは格別に触れないことにする。
しからば、この明治31年頃に於いて略々一定のものになった別席の教話はどうゆう内容であったであろうか。これは興味ある問題である。そうした内容を窺〔うがが〕い知るべき資料はないものであろうか。こうした思いでいた際、それに該当するらしい政一伯父の筆録の2書が見出されたことは望外の喜びであった。ここにその内容を広く同好の士に味読して頂ければ幸いである。
この二つの筆録は、政一伯父遺墨〔いぼく〕の筐底〔きょうてい〕から発見されたものであるが、最近に到るまで十分眼がとめられなかった。それはこれが全く走り書の程度の断簡であったからである。
政一伯父の各種の筆録は既に先年「正文遺韻」として出版せられたところであるが、これにも別席記録の一節は掲載されている(4)。しかしここにあるのは稿者自ら別席漫筆〔まんぴつ〕と称するごとく、それぞれの先生の話について二三の特徴ある要点を書き記したものに過ぎないのである。これも一つの資料としてもちろん多大の価値は有するとしても、別席の教話として一貫して速記せられたものではない。この点今度新たに見出されたものは独自の価値を持っている。何となればここには別席の教話がその始めから記載せられているからである。
もちろんこれも二時間の教話を残らず記したものではない。分量から推察してこのことは自ら明らかである。しかし、それはそれとしても、かなり委〔くわ〕しく記している点はやはり得がたい記録に違いない。この点は予〔あらかじ〕め了解せられねばならない。
この原文は明治33年前後に書かれたと思われる、35年頃には稿者は既に病のため床に就くようになったことと思い合わせ、この他の事情を考えるとほぼこのことに間違いはない。ここに別席教話の一定化せられた明治三十一年以後の初期の資料として確認せられるであろう。
原文は、画用紙のごとき厚紙を数枚仮に綴じて作った故人手製の筆記帳へ、鉛筆で書き流してある。故人自分の手控え程度のものである。正文遺韻に収められているものは総て故人が手製の罫紙に墨書をもって清書されていた稿であるが、これはそれ等に反して全くの下書きであり草稿である。しかも鉛筆のくずし字体で速記的に走り書いてあるものであるから、かなり読み解きにくいものである。かかる点から考慮されて、即ち一つは余りにも下書きであり草稿であること、他の一つは容易に読み下し出来ぬこと等々から、結局正文遺韻には掲載せられなかったのである。この点正文遺韻の補筆という意味も兼ねて本稿をあえてする所以〔ゆえん〕である。
原稿の体裁をついでながら言えば、縦19糎〔センチ〕横28糎半の大きさの綴り帳で第一稿のものは2枚綴り、第二稿のものは8枚綴りである(5)。前者は後者よりも更に一層細かい字で書き記されている。しかし何〔いず〕れも綴り込み全紙数を費やしているのではなく、この2稿が記されているのは前者においてもほとんど一枚の裏表のみであり、後者に於いても4枚の裏表だけである。(6)
以下その本分を示してみよう。
註(1)白藤義治郎「御本席によりて授けられたるおさづけ考」日本文化第13号58頁~59頁
(2)前田道治「お授けの歴史的考察」日本文化第15号68頁
(3)前掲書70頁
(4)別席傍聴漫筆「正文遺韻」272頁~292頁
(5)ここに第一稿、第二稿という名は筆者の仮称に過ぎない
(6)その他の紙面には余白の外に、他の断片的な記載があるがこれは今は触れない
【第1稿】
どなたもこの別席のお話はお聞きのお方もございましょうが、別にかわったお話をするではございません。あなた方が国々処々でお尽くし下さる心定めのお話を、かわり/\さしてもらうのでございます。
そこで心定めというても何分一時にはいかん。一度や二度聞いた分にはわからんから、かわり/\てお話をさしてもらう。
日々にこれまでというものは、皆それぞれにわたくし心をわかして、知らず知らず勝手気ままの心を出して天の理を曇らすから、憂い災難、病気病難やさまざまの難儀不自由がかかって来る。知らず知らず我が心から災いを招いているのである。これを今までは、ただ一時その場でなって来たように思って「ああどこそこへ行かねばよかった。ああこうせねばよかった。誰それがこうしたから、誰それにああせられたからこんな事になった。」とその場でしてその場でなったようにみな思うている。
「これがどうもいじらして見ていられん」と仰る。何も一時なるではない。今まで通りた理が、出て来ていかなる事もなってくるのである。それを知らんから人を恨んだり、憎んだりしている。
これは暗がりの道で、その場でなったように思っている道である。日々は人間身の内へ神が入り込んで自由に道を走っているようなものである。(しかしこれを知らずに暗がりの道を歩んでいるので、)これをどうも黙ってはいられんと仰る。
そこで神様は「無い人間拵えて自在をさし、何不自由無きよう万物皆与えている」と仰る。その与えに高い低いの隔ては無い。なれど日々与えありても身に不自由不足ありては難儀する者もあれば、又身上は壮健でも日々与え無くして難儀不自由している者もある。これは、「皆面々の心の運び方、日々長い間に通って来た心の理が知らず知らず天の理に背いて来たからそこで重い軽いも高い低いも自然/\に出来て来た」と仰る。
そこで、この度これが気の毒であるから話一条の道をつけてきた。この話の理が分かって成程と思うて、今までと心入れ替えて付き来るならば、大難は小難、小難は無難と心相応心通りの働きをして、いかな守護もせんとゆわん。だから、心の理を入れ替えるなら話一条で自由用という。
それ無い人間無い世界初めたもこの屋敷から初め、またこの度あう人間に珍しい道つけるのも、この屋敷から元なる親が天下っていかな話も皆して聞かして下さるのである。
これまでのいかなる教と言えども、やはり神が人間に入り込んで教えて来たのである。だから、みないかな教えと言えども、悪気を進めるような教えはない。しかしこれを知らずに、皆銘々に自分が考えて教えをするように思うて、口には教を布いてもこれを守らず、自分から外すようになっている。
だから、そこでこの度元なる親が天下って、段々と元のいんねん・人間身の内神の守護・神の自由用をお説き下されて、口と心と行いとが違わんように、話通りの道を通らんならん。
そこでどうせこうせ言わん、誠真実を定めて付き来るならば、いかな自由用もするで、いかなる事も「これかなわん」とはゆわん。「これ助けん」とはゆわん。心の与え通りの守護をする。
なれど神の方にはどうせこうせは言わん、願いがあれば分かるように話し、一通りしておいて、後は一名一人の心通りであると仰る。その心の理によって神が働くので、決して人間が人間を助けるのやない。
この度この話が違わん証拠に、いかな自由用もしてみせる。今までも証拠なくては人が用いない。じゃから証拠にいかな働きもしてみせる。さあこれを見ていかな者でも得心せよ。神の守護でいかなる事もなるのや。
それ人間が人間助けるなら、どういう事でも出来るであろう。よう世界でも言うであろう、医者と言えば病気助ける看板上げている。病気助ける看板上げているくらいなら、人を助ける者が、他人のみか我が身も助かりそうなものや。なれどいかなる利巧発明な医者と言えども、薬が無くば誰一人も助ける事は、これ出来ようまい。
そこでその人より、これ皆元は神様の守護で出来たもの。いかなる利巧発明剛的たる者でも、神の守護が無くしてはどんな事も出来るか。神が守護して働けばこそ、何よの事も皆出来るであろう。それを「皆俺がする。俺が物や」と思って気まま、癇癪、得手勝手を言うたりしている。
さあ、この度人間が自由用しているのか、神が自由用しているのか、これをよう思案してみよ。人間が勝手に自由用しているなら身上不足になって、難儀不自由するものもなけりゃ、又その日/\に困って難儀不自由する者もあるまい。いかほど剛毅剛敵で「俺がどうするこうする」と言うても、神が退けばどうしようもあるまい。いかな者でもどうしようもあるまい。
それでも尚、神の目には可愛い一杯、助けてやりたい一条である。けれども、我がと我が難儀の道に入れば、どうもこれは余儀なき事情である。神の目には高い低いの隔ては無いが、知らず知らずして、悪気に悪気が重なりて、生れ替わり出替わりして、ほこりを積んで、これまで通りて来た理の曇りがある。理の曇りたところへは入り込んで神が自由用する事が出来ん。そこで身に不足という、あちらが不足になり、こちらが不足になる。あれも外れ、これも外れとなり、自分の思うことも立たず、心で思うても自由用する事でけんから、又不足を供えて、不足に不足を重ねて通らにゃならん。
(以下断片的に記してある)
丁度ゆわば人間は、
この度の話一条はこの世始めのお話
教祖様は第一世界のひながたと成りてお通り下された
もとなる深きいんねんの理があって万事お話下さるのであります。
この結構な屋敷も結構なお方もわかりませんから
身びいき身勝手のものがこの話聞けば勝手が悪成る先
人を倒したならば自分が倒れるようになるで
それだから程ほど様々な悪い事を言いはやす
段々とご苦労遊ばしたというは右の道
一寸聞くとすれば人間を始めて下された親ならば、この様なものその場で口が利けんようか、足が動かんようかなりそうな者やというけれどそうや無いで、人間の親子の情を思うてみよ、
それを世界にわからんから暇いると仰る。
註(1)国々処々と書くつもりの所である、かく読むべきであろう
(2)災いの誤りと思われる
(3)だまつて即ち黙ってと読むべきである
(4)稿者は「難儀」と書く所を「難義」と省略して書いたものか。
今回はここまでとします。
次回は、2稿とまとめの話です。
教えを求める参考になれば幸いです。
親神様・教祖どうぞ結構にお導き下さいませ。