ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

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大難は小難にとお連れ頂ける事を願って。

2013年08月11日 06時47分52秒 | 思った事
昨日、癌の方のお見舞いに行かせて頂き、おさづけをさせて頂いてきた。

9日御用で大教会へ行かせて頂くと、12下りが努められていた。
顔ぶれから癌の方のお願いづとめとすぐに分かり、一緒につとめさせて頂いた。
話を聞くと5日から入院をしたので、お願いに来たとの事。
そしてこの教会では、毎日2時に12下りのお願いづとめをしているとの事。

昨日は朝からその方の事が気になり、思い切って見舞いに行くことにした。
しかし、その朝から身体が痛く、目もしょぼつくので一人では行けない。
こどもおぢばがえり期間中は、妻や子供に体を揉んでもらう事が出来ないので、痛み止めの湿布薬を貼って勤めさせて頂け、今日まで来た事を思い出した。

妻におさづけを願い、体の調子を話すと、揉んでくれる事になった。
一時間以上全身をもんでもらう。大分楽になった。
そこで妻同伴で、月次祭の買い物、大教会へのお願いそしてお見舞いとさせて頂く事ができた。

今朝も調子が良くないので、おさづけを願って、起きた。
今日は月次祭の準備と会報づくり。
それの合間に、子供たちを教区へ送り、大教会へ届け物をする。
結構に勤め終えさせて頂けますように。
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こどもおぢばがえりを終えて

2013年08月09日 09時58分18秒 | 思った事
8月5日にこどもおぢばがえりのひのきしんを終えて、無事教会へ戻った。

今年は24日から26日まで詰所で準備のひのきしん。
28日から30日まで団参。
31日講社祭。
1日から5日まで詰所でひのきしん。
という日程だった。

うちの子供達は、大教会の鼓笛隊に参加させて頂いており、この鼓笛隊のおぢばがえりは30~31日となっている。
大概、団参の最終日、鼓笛の子供を、鼓笛隊に預け、連れて行った子供達と共に名古屋へ帰るために、おやさとパレードに出演する姿はほとんど見たことがない。
それが、今年はうちの子供以外の参加者が無く(初めてのこと)どうした事かと思っていたところ、昨年金賞を受賞して、単独隊としておやさとパレードに出演する事になっていた事を思い出した。
これはありがたいと、おやさとパレードに出演する子供たちを見て、夜に教会へ戻った。
単独で出演する子供たちの姿(スタッフも含めて)が見れてとても嬉しかった。

そんな事を思いながら振り返ると、今年はひのきしんの年だったように思える
長男は大学の都合で教会の留守番をする以外、全員が何かしらおぢばでひのきしんをさせて頂いたことになる。
長女は医療大学生として、前半詰所のひのきしん。後半本部のひのきしん。
次女は高校3年で、28日から5日まで詰所ひのきしん。
次男・3女は25日から30日まで少年ひのきしん隊。その後鼓笛隊。
三男四男は28日から30日まで団参。その後鼓笛隊。

そしてもう一つのありがたいことがある。
必ず誰か喘息の発作を起こして憩いの家のお世話になるのだが、今年は誰ひとり発作が起こらなかった事である。

親神様教祖ありがとうございました。

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こどもおぢばがえりですね。

2013年07月24日 07時48分48秒 | 思った事
今日から、こどもおぢばがえりのひのきしんなどで、詰所と教会とを行き来する予定です。
最近毎朝、おさづけをして頂いてから動いています。

どうなる事かと不安がいっぱい(本当は毎日(^^)ですが、もんでもらえる妻がそばにいないので><)

親神様・教祖に凭れてつとめさせて頂きますので、親神様・教祖よろしくお願いいたします。

そんな事で、こどもおぢばがえりが終わるまで、ネットにつながらない環境に入ります。
どちらさまもお元気で~~!
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支部ようぼく成人講座

2013年07月16日 07時35分47秒 | 思った事
7月14日 支部成人講座が行われた。
参加者はスタッフも合わせて20名ちょっと。

当支部では、数年前より輝きプログラムが不評で、参加者が激減。
それに代えて、講演会中心のようぼくの集いを開催して来た。(こちらは100名弱の参加者)

しかし教区の指導により、本年輝きプログラムを再開した次第。

班別のねりあい司会者を仰せつかり、班の方にはよかったという言葉を頂いたが、次回も参加しようという思いになってもらえたかどうかは疑問である。

どうしても気になるのが、ねりあいの時間の短さ。
ようやく話になれたかというところで終わってしまう。

もう一つは、顔見知りの中でのねりあい。
他言無用という事で話し合いが持たれるが、どれだけ守られる事かという不安が常によぎる。

ともかくねりあい司会者がとても大変。
ともかく時間が短すぎて、頭がついていかない。

今後どうなって行くやら・・・が私の感想である。
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近況と 東北慰問演奏について

2013年07月09日 17時09分52秒 | 思った事
先月の月次祭をおえてから、色々な事が重なり、なかなかブログが書けなかった。
色々な事があったが、その中でひとつだけ近況として書いておきたい。

先月12日、うちの月次祭の日に入院された部内の会長さんは、その教会の月次祭(18日)の翌日に無事退院された。
何分80歳に近い高齢であるどうなる事かと思ったが、4日程の絶食と点滴治療の結果、思いの外早く退院させて頂く事が出来、大難は小難にすませて頂きありがたく思った。
また、会長入院のために代わって私が祭主をさせて頂いた。
祭文を読みながら、会長に就任されてから十数年間、一度も欠けることなく祭主を勤めて来れた事をありがたく思った。
そして皆さんには、「会長さんが居ないと大変です。諭達にあるように会長に心を寄せて勤つとめさせて頂きましょう」と申し上げた。
そうした中の次の日の退院で、本当にありがたく思った。


6月の初めに友人が「岩手教区報」を送ってくれた。
中には東北慰問演奏を行っておられる、バイオリニスト栄島さんの文が書かれていた。
みなさんに是非読んで頂きたいと思いアップします。

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月次祭を終えて

2013年06月13日 07時24分38秒 | 思った事
今月の月次祭は、急遽2名の方がお休み。
一人は部内の会長さん。
前日の準備は元気に来て下さったのだが、その夕方から熱が出て、S字結腸憩室炎という事で、病院に行ったところ入院となった。
先月は若い方々が来て下さって、とても賑やかだったが、今月は打って変わってお勤め人も揃わない状態。
晴れの日もあれば、雨の日もある。
その繰り返しで、お互いに段々と成人させて頂けると思った。

本当のお天気は、台風がそれてくれたお陰で、ちょうど良いお天気の下の月次祭となった。

追記
皆さんが集われる頃、三女と三男が、部内の親奥さんが座る場所について喧嘩を・・・。
結果姉には叶わない、悔しい心で三男が大きな声で泣き喚いて机の下へ潜り込んだ。
彼は喘息を持っているので、発作が起こりかける。
オイオイ、今日はおつとめの前からか~~。と思いながら
「泣き喚くから発作が起こるだろう、発作が起こって辛いのはお前でしょ。腹が立っても泣き喚かない。大好きな前野さんとお地方をするんだろう。おさづけをさせてもらおう。」と三男を机の下から引き出して、おさづけを取り次がせて頂く。
すぐに発作も治まり、無事に勤め終えることが出来た。
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夢・・・

2013年06月11日 10時07分28秒 | 思った事
昨晩というか、今朝というか・・・。
父親を偲ぶ会がおぢばで模様される夢を見た。

来年が出直して20年祭の年となる。
費用が大変で、家族だけでしようと思っていたのだけど・・・。
おぢばで年祭をということなのかなぁ・・・と思ったりして。

先日9日、おぢばでの結婚式に媒酌人として出させて頂き、おぢばのありがたさをより一層感じさせていただいたので、そんな夢をみたのかなぁ。と・・・。
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疑いと試し

2013年06月07日 09時21分32秒 | 思った事
[六下り目]
一ッ ひとのこゝろといふものハ
   うたがひぶかいものなるぞ

と「みかぐらうた」にある。

疑いでおさしづを探すと次のおさしづが出てきた。

明治29年10月10日夜12時30分 
『刻限』
いつも旨い事思うて居たら、違うで/\。話聞いて楽しんで居たのは今までや/\。来る者はよし、来る者だけは寄りてくれ。来ん者に来いとは言わん。来る者は皆寄りてくれ。内の者は筆取りするのやないで。筆取りする者皆呼んで来い/\。
さあ/\まあやれ/\長い間、やれ/\長い間十分待った/\。どうもこれまでと一つ事情ありて刻限の話と言うた処が、刻限話に錆は無し、神がするようなこの話、区域食い違いある。よう聞き分け。長い間長い道筋長い日ならどういう日もあろ。これまで長い間どういう話もしてある。年限数えてみよ/\。年限の事情入り込むも入り込むも、道理諭しみよ。これまで長い間、年限は早く六十年なる。それはどうもならん。種という、種を蒔いても年によりて生えるものあれば、又生えんものもある。この理聞き分けて、だん/\話伝えてくれ/\。何も言うまで。今の道と半年後の話と、事情一寸心に案じもあろう。道は結構な中に案じあろ。蒔き流し蒔き流し、あちらにしょんぼり、こちらにしょんぼり。蒔き流しはどうもならん。蒔いたもの修理する。あちら一人育て、こちら一人育て、何処へ種蒔いたやらという処から生えて来る。眺めて見れば、その道筋一粒万倍という。百石蒔いて百石取る話では分からん。たゞ一つの理から出けて来た。この話は深い心の話、前々一寸説いた処が、筆を取る者はなか/\容易やない。一寸取り掛けたら十分取りてくれ。さあ/\今に百石蒔いて、一粒万倍取る事ばかり思うてるから、どうもならん。聞き分けてくれ/\。言うたばかりではならん。上ぼり切りたら下だらんならん。よう聞き分け。雨降る中もだん/\凌ぎ、百石蒔いて一粒万倍という楽しみ。席や席やあら/\分かり結構と思えば結構になる。ちょい/\の話し難くかった。この結構一粒万倍分からん。煩(うるさ)い/\なあと思ては、どうもならん。楽しんだ理はいつまでも/\。孫子の代まで楽しんでくれるよう。話から理を諭す。道はどういう処から出て来たる。分からん。聞き分ける者だけ聞き分けてくれ。聞き分けん、出けん者はどうとも言わん。これまで説いたで。一度や二度や三度やあろまい。こゝへどうしましたと伝えてくれ。聞くに聞かせん、見せるに見せられん、口に言うに言われん。曇り/\濁り/\溜(た)まるから、多いの中から他の心にちょい/\皆ある。よう聞き分け。同じ一腹(ひとはら)一種(ひとたね)、我が身になるあたゑ、兄弟という親族という、皆結んでくれ/\。雨風や/\。あちらこちら津波や、地震やと言うても、遠い所は怖わいようで、聞いて真の心に無くばつい/\忘れて了う。よう聞き分ける者だけ聞き分けてくれ。聞き分け出けん者はどうもならん。嘘と言えば嘘になる。疑えば疑わにゃならん。疑うから、世界に疑うような事出けて来る。さあ/\月が更わり年が更わり、事情だん/\多くなる。これも分かり難ない。よう聞き分け。根出しの悪い方へは枝が枯れる/\。根出しのよい方へは枝が栄える。こら何でもない話と思えば、何でもない。これ聞き分けば古い話。これだけ諭せば分かるやろ。今夜はこれだけ話して置く。又めん/\聞いて居る話の段取こうなったと、席に知らしてくれるがよい。これだけ知らし置こう。

私自身はとても疑い深い人間である。
疑い深いという事は、信じられないという事でもある。

そうした中に、ひながたにある「おびや試し」の事柄を思った。
教祖は、おびや許しを出される前に、親神様の言われるままに自らに、おびや試しをなされた。
これは自分自身の身を持って、神様の不思議を試されたものだと私は理解している。

かしもの・かりもののお話からすると、体は神様から心に貸し与えられたものである。
心通りに総てのものは貸与えられている。だから心を切り替える事が大切だと教えられる。

心は自由である。どんな事を思うことも自由である。
しかし、心が感じるためには、心が喜びを味わうためには、心が育つためには、身体がなければならない事に気がついた。

今の社会は情報化の社会である。実体験をしなくても様々な情報を得ることが出来る。
今書いている、この私の文章もそうした情報の一つである。

こうした情報が本当に正しいか正しくないかは、それぞれに試して得心をする必要があると思う。
情報だけで不安になり、何の体験もせずにいたら、いつまでも不安はぬぐい去れないと思う。

疑う心も同じで、体験することで真実は見極められると思う。
親神様のお働きも同じ、教祖のひながた・先人の歩みを体験すること。

体験した事の喜びが信仰の喜びであり、それが子供たちに伝わるものだと思う。
いくら、信仰の喜びを伝えようと言っても、喜びを体験していなければ伝えようがない。
結構であるがゆえに、その結構を離したくないがために、苦労を避けているようでは、それこそひながたを無くす事になるように思う。

不安に思う心があって結構。疑う心があって結構。
その心に気がついていることが先ずは大切。

その心を自分自身で嫌だと思うならば、その心の切り替えを願う事。
その為に自らが試すこと。これがまた大切だと思う。

親神様が人間の心を変えることなど、容易いこと。
しかし、それでは親神様を感じることが出来ない。
願う誠に親神様はお働き下さり、親神様と共に歩む心になるように、陽気ぐらしの心になるようにとお導き下されていると思う。
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横道

2013年06月02日 16時06分27秒 | 思った事
天理教は主に縦の繋がり(所属系統)と横の継がり(教区支部)の二つ組織がある。
教祖130年祭の活動として、先日所属教会系統での一斉巡教が行われた。
この次は、教区支部での集いが行われる。

私は縦の繋がりも、横の繋がりも両方共とても大切なもので、その間に自分のいんねんを自覚する種があり、陽気ぐらしへの道があると思っている。

教区について、横という言葉でおさしづを調べていると
「横道」という言葉で、次のおさしづが目に止まった。

明治38年5月16日 
『過日のおさしづより一同相談致しまして、教長へも申し上げ、そのおさしづの中に横道という事に於て一方へ御運び致しましたが、その外に相談足りませぬ処ありてはなりませぬから、尚横道という処をおさしづ下され度く願』
さあ/\尋ねる事情/\、前々事情、一つの心得の事情から、一つ分からんという事情、尋ね返やせば一つ理を諭そ。よく聞き分け。この道というは、一つ理という。皆んな一つの理である。一つの理というは一つの心、一つの心ならこそ、これまでの道という。これから先はなか/\の道、容易ならん道である。容易ならんと言えば、どうなろうと思う。よっく聞き分けにゃならんで。これまで外(ほか)の事にて、あちらこちら取り混ぜのようになったる。それを横道と言うのやで。これまで通り来たる年限数えてみよ。取り決まってから計りてみよ。皆んなこれまでしっかり、これでよかろ/\というは道の理。それからこちらへ年限数えてみよ。これまで何もならん事してるからならん。もうであろうか、もうであろうか、三年五年と、何ぼ待っても成らん。それは言うまで。それを力(ちから)にしては、横道と言うで。神の道は直(す)ぐ。一つの道は神の道。これまで通りた事は、取り返やしは出けやせん。神が案じてやるわい。皆(みな)一手一つの心なら、一手の守護するわい。成らん処(ところ)救(たす)けてやるは神、をやであるわい。これ聞き分け。

というものである。
過日と思われるおさしづは、

明治38年5月11日 
『本席身上御障りにて声出ずに付願』
さあ/\なあ、尋ねる/\。何から尋ねる。どういう処から尋ねる。さあ身上いかな事情と言う。どうも一日の日も勤まらんという道理になる。いかな事であろう、一つ尋ねる。皆々出てる者ある。又帰る者もある。なれど、一日の日そこえ/\に人が揃うたら、話せにゃならん事つかえてある。どういう事諭すなら、よう聞き分け。年来に聞きたる事も、一時の処になったる。又筆に取ったる処にも、知らし置いたる事もある。又、時々順序にも理を諭したる。よう聞き分け。さあ/\これ皆席の声が止まる。声が出ん。話そうにも話せん。なれど、こうと言えば自由自在見せてある。何かの事も、皆々心に思案あっても、纏まる事無いからどうもならん。その日になってから、取り返やしが出来ん。一日の日に順席(じゅんせき)の理取り返やし出来ん。そういう事ありてはなろうまい。こういう事しょうと言うて、成るものやない。又、しょうまいと言うても、成って来ればどうもならん。国の一つ事情も、道の事情も同じ理。一日の日を以て尋ねた順序の理のさしづ、こういう事あったと、皆々心に十分含んでくれ。皆何でも彼でもという心あっても、どれだけしても、理が無くばどうもならん。一日の日がある。越し難くい。飲むに飲まれん。行き付かにゃならんで。これよう思やん定めて、一つの心に治めてくれ。聞いて心に治まってなくば、一日の日が通り難くい。又一つ、何から何まで皆々談じ、皆々心に、どれがよかろう、これがよかろうと、一つ理を治めば、何も言う事無い。神の道望み、神(かみ)直(す)ぐ一つの道に、横道通るからどうもならん。さあ身に障りあろうが、一日の日も厭(いと)わず、席(せき)勤(つと)めさすが道の理。言葉下だすは容易やない。年を繰(く)って一つ理を改(あらた)めてみよ。七十余(よ)の者、思うよう出来るか出来んか。この理聞き分けにゃならん。さあ一日の日も無駄な話聞かさんよう。たゞ楽しみ一つ理を聞かさにゃならんが、一つの理であろう。

『しばらくして』
さあ/\もう一声(ひとこえ)々々、さあ/\まあこれ皆々、何人あれども、あちらこちら、今日(きょう)の日(ひ)揃(そろ)うまい/\。しんばしらが聞きて、一つ理こうと言うはこう。帰らん者あれど、決まってこうと言えば、何人寄るも同じ事、事情(じじょう)時々(ときどき)追々(おいおい)諭すから、よう聞き分けて、こうしたと決まったら、横へ寄ろにも寄られん。横へ歪(ゆが)んだ事、一つも出来ん。歪(ゆが)めば、歪(ゆが)んで了(しま)うで。これだけ諭し置こう。


私の心に止まったのは、
「容易ならんと言えば、どうなろうと思う。よっく聞き分けにゃならんで。これまで外(ほか)の事にて、あちらこちら取り混ぜのようになったる。それを横道と言うのやで。これまで通り来たる年限数えてみよ。取り決まってから計りてみよ。皆んなこれまでしっかり、これでよかろ/\というは道の理。それからこちらへ年限数えてみよ。これまで何もならん事してるからならん。もうであろうか、もうであろうか、三年五年と、何ぼ待っても成らん。それは言うまで。それを力(ちから)にしては、横道と言うで。」
そして
「神の道は直(す)ぐ。一つの道は神の道。これまで通りた事は、取り返やしは出けやせん。神が案じてやるわい。皆(みな)一手一つの心なら、一手の守護するわい。成らん処(ところ)救(たす)けてやるは神、をやであるわい。これ聞き分け。」

である。
取り返しの出来ない事が起きないように、神様の話を聞いて楽しんで通りたいと思う。
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お出直し

2013年05月24日 07時21分28秒 | 思った事
昨日23日、大教会月次祭のおつとめが終わった時刻に、大教会直轄菅原分教会会長、大教会役員 松田隆彦先生が享年80歳でお出直しになられました。

肺がんで危ないというところを、何度も何度も不思議なご守護を頂かれて今日まで来られました。
昨年念願されていた部内教会の会長が交代され、そして自教会の後継者がようやく定まり、今月はじめにその方たちが、教会に同居して下さったとたんの入院、そしてお出直しでした。

21日にお見舞いに行かせて頂き、意識の無い先生に御礼申し上げました。
付き添われていた方に話を伺うと、後継者の方とは数日の同居だったそうですが、とても喜んでおられたとの事。

今日24日午後6時半から遷霊祭。25日午前10時より告別式です。メモアール関にて行われます。
参列して御礼申し上げたいと思います。
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